活動報告/クオリア京都

 


 

 

第2回クオリアAGORA_2014/人口問題を文明史的に考える



 

第2回クオリアAGORA_2014/人口問題を文明史的に考えるの画像1

「ほぼ毎日のように人口問題、少子化高齢化問題が取り上げられている昨今ですが、人口減少の問題というのは、日本にとっては、最近になって初めて出てきた現象ではなく、過去にも何回かあって、そのたびに、減少問題に対応し、立ち向かってきた、そういう経緯を経てきたということです。

今の日本の人口問題を考える上では、もうちょっと長いスパンで捉える、人口問題を文明史的に考えてみるということのようですが、今日はその最適な方として、上智大学経済学部教授の鬼頭宏さんをお迎えしました。マイナスと言われる人口減少問題ですが、人口という財産をもとに、これからの日本について考えてみたいと思います。

 

スピーチ

ディスカッション

ワールドカフェ

≪こちらのリンクよりプログラムごとのページへ移動できます≫

PDFをダウンロードして読む


第2回クオリアAGORA 2014/人口問題を文明史的に考える~日本の人口の今と未来/日時:平成26年6月26日(木)18:00~21:00/場所:京都高度技術研究所10F/スピーチ:鬼頭宏(上智大学経済学部教授)/【スピーチの概要】日本は急激な人口減少期に直面しています。 しかし日本の歴史を振り返ってみると、人口減少はこれが初めてではありません。 なぜ人口減少が起き、それを克服して今に至っているのか。 近代以降の文明システムの在り方そのものが問われ、時代の大きな転換期に立つ今、この人口問題を文明史的にとらえ、日本の人口の今と未来を考えます。 /【略歴】鬼頭宏(上智大学経済学部教授)11947年静岡県生まれ。 慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。 慶應義塾高等学校教諭、上智大学助教授を経て現職。 専攻は日本経済史、歴史人口学。 著書に「人口から読む日本の歴史」「文明としての江戸システム」「人口学の現状とフロンティア」「地球人口100億の世紀」他。 




≪WEBフォーラムはコチラ≫

 


※各表示画像はクリックすると拡大表示します。  

スピーチ 「人口問題を文明史的に考える~日本の人口の今と未来」

≪鬼頭教授 資料ダウンロード (3.25MB)≫




上智大学経済学部教授 鬼頭 宏氏

上智大学経済学部教授 鬼頭 宏氏


きょうお話ししたいことは、先ほど紹介していただいたように、人口の増減は何を見せているのだろうか、ということですね。 人口の増減というのは、実は、気候変動があったから人口が減ったとか、あるいは、気候がよくなったから人口が増えたっていう、そんな単純なものじゃないということで、人口には、その増減の独自のパターンっていうのがあるんじゃないだろうか。 それは、何かというと、ある新しい文明が形づくられる時に人口が増加していく。 そして、それが成熟化して、その限界というか、その文明を組みたてている技術であるとか資源であるとか、制度であるとかそういうものが、もう、それ以上人を養えないような、文明の持っている人口の収容能力の上限まで人口が増えると、人口の増加はストップするんじゃないか。 そういう、シンプルな考えで、私は話を組み立てているんです。 そういう観点から、前半は、非常に長いスパンで見た時に、現代の少子化、あるいは人口減少は、どんなふうに説明できるかということをお話ししたいと思います。 それで、後半では、むしろ討論を通じ、皆様方のお考えを頂戴しながら、これからはどんな文明をつくっていけるのかというところまで行けたらいいなと思っております。 


まず、今、人口減少が起きておりますけれども、あまり、皮肉っぽくいっちゃいけないんですが、実は、私は、地球のサステナビリティが問題になり始めたころに、少子化が始まったということを、後でお話ししたいと思っています。 人口がいざ減少してみると、社会のサステナビリティっていうことを、あまりみなさんおっしゃらない。 最近になって、政府が、それではイカンということで、50年後、1億の人口を維持しましょうなんてことを言いだしたんですが、果たしてどこまで本気で考えているのか。 あるいは、どういう姿を考えているのか。 また、50年後、1億人維持というのは本当に可能か。 それに何か意味があるのか―いろいろ問題はあると思いますけれども、いずれにしても、人口が減りっぱなしだと、サステナビリティの危機が起きてくるだろうということですね。 それを最初の図にまとめております。 


きのう(6月25日)、総務省が1月1日現在の都道府県別市町村の人口を発表しましたが、そこでも議論されていますけども、人口の分布が非常に不均衡であるということです。 つまり、三大都市圏、特に首都圏に人口集中が進んでいて、地方圏の人口が減少していくっていうようなことですね。 これは、ひいては、地方圏が特にそうですけれども、人口が減っていって過疎化どころじゃなくて、集落の消滅なんかも起きたりして、これが、自然災害に対して非常に弱い社会をつくっていくようになったんじゃないか。 そういう問題も出てくるわけですし、ここには書きませんでしたが、首都圏を中心にして、これから、高齢者が2倍以上になる市町村というのはたくさんあるわけですね。 そういうところで、ほんとに、それだけの高齢者を維持できるか、介護できるかっていう問題がありますね。 


それから、人口規模が減るということ自体も、これ、大きな課題ですね。 今の首相は、多分そこを心配しているんだろうと思います。 経済力もさることながら、軍事力を維持するためにも人口を減らしたくないと思っているのではないかと、私は、内々、憶測しておりますけれども、いずれにしろ、人口規模が減るということは、つまりそれだけでも問題だ。 但し、このスピーチの前にディスカッサントの方々と話していたんですけれども、日本より小さな国で、もっと一人あたりの所得水準が高くて豊かな国がある。 これ見ると、じゃあ、人口が減るっていうのはどういうことなんだろう?と、まあ、いろいろ問題を考えてしまうんですが、とにかく、政府は、今、人口は減らしたくない、というようになったわけですね。 


それからもう一つは、この地域人口の不均衡に加えてですね、いわゆる少子高齢化ですが、年齢構成が非常に不均衡になっている。 これはよく知られたことですね。 生産年齢人口が減って、高齢者が増え、従属人口がどんどん増えていっている。 きのうの報告書でも、ほぼ25%が高齢者になったといっておりますが、これから40%ぐらいに向かってもっと増えていくだろう、ということですね。 これは、労働力不足につながって、国民経済の規模縮小になる。 これは、一方では財政危機をもたらすでしょうし、もう一方では、所得水準も下がっていく可能性も出てくるだろう。 ということで、国民生活自体、豊かさを保てなくなっていく可能性もあるんじゃないか、ということが指摘されているわけです。 ですから、まあ、これに対してどうしていくかってことで、1990年代になってから、いわゆる少子化対策が始まったわけです。 で、そこから先の少子化対策がどうたらこうたらってのは、私も神奈川県とか静岡県で、そういう委員会のメンバーでいますから非常に喫緊の課題なんですが、もうちょっと退いて見てみましょう、というのがきょうのテーマなんですね。 ちょっと、遠ざかって現象を見てみましょう。 時代的にも、少しさかのぼって見てみましょうということです。 



これは、戦後の「合計特殊出生率」(#3)の推移ですけれども、いつから落ち始めたのかというところだけを見ておいていただきたいのですが、このベビーブームの時代から60年代にかけての低下は、いわゆる「人口転換」ということで、死亡率が下がって、出生率も下がっていくという、これ後で話しますが、近代的な人口の構造になっていく。 丙午は、ちょっと、特別なケースなんですが…。 それから後の少子化ですね。 これは、1974年から始まっているということです。 現在の日本では、合計特殊出生率が2.07であれば、世代間の人口を維持することができる数字です。 74年当時だと、2.07じゃあちょっと足りなくて、子どもの死亡率がもう少し高かったので2.1ぐらいなんですけれども、そのあたりから、合計特殊出生率がどんどんどんどん下がっていった。 2005年がボトムということになりますね。 この時代も、ちょっと念頭に置いておいていただきたいですね。 


私は、日本の少子化というのは、三つの点で、ある意味では必然であった、起こるべくして起こったと考えています。 実は、その背景に、さっき、冒頭でお話しした文明の問題もあるので、ホントは四つ考えなきゃいけないのかもしれないですけど、とりあえず、三つということでお話ししてみたいと思います。 


一つは、先ほど少し申しあげたんですが、死亡率と出生率の組み合わせ。 「多産多死」から「少産少死」へという「人口転換」が起きた。 これが出生率を下げ、この延長線上に少子化があるんじゃないか。 それから、1974年という年なんですが、オイルショックの翌年、このあたりから将来の不確実性とそれから、環境とか資源の問題っていうのが国民の意識に上るようになってきた。 そして、実は政府も、その年にですね、「人口を増やすことはもうできない」ということで、『日本人口の動向』、これいわゆる「人口白書」ですが、そのサブタイトルで「静止人口をめざして」とうたっている。 これ、政府は音頭を取っただけなんですが、あとで申し上げるように、国民運動的に「出生率抑制」という動きが起きてきます。 それから3番目は、これは先進国はどこでも経験したことですが、日本、あるいは東アジアの出生率が低いわけですけれども、その背景には、社会構造の問題があるんじゃないだろうか。 特に、都議会でも問題になりましたけれども、ああいう、日本社会のジェンダー観とかですね、女性観というのが背景にあるんではないか。 



これは、人口転換の図(#5)です。 死亡率と出生率がこういうふうに低下していっているということです。 豊かになるとどこでも、そういうことが起きるわけです。 例えば、これ国連とIMFのデータに基づいて作ったものなんですが、左側が、合計特殊出生率と一人あたりのドル建ての所得水準の関係ですね。 貧しい国では非常に出生率の高い国が多いわけですが、所得水準が上がるにしたがって出生率は落ちていきます。 それと反対に右側の方は、平均寿命です。 出生児の平均余命と所得水準の関係で、これは、豊かになれば寿命はどんどん延びていきます。 もちろん、限度はあるわけですが、いずれにしても豊かになると出生率は下がって寿命は延びていくという関係です。 で、直接、世界的スケールで寿命と出生率の関係をプロットしてみても、右下がりのパターンになりますね。 寿命が長いところでは出生率が低いという傾向が見られるわけです。 日本だけで見ても同じことがいえます。 大正期(1921、25年)から2010年までの、その年の合計特殊出生率と平均寿命の関係でも、そのことが、非常にきれいに出ています。 要するに、長期的に見るとですね、子どもの死亡率が下がって、あまりたくさん産まなくても子孫が残せると思うと出生率は下がってくる、という関係がきれいに見られるんじゃないかと思うんですね。 ただ、まあ、それが今行き過ぎているわけで、少子化ということになってしまい人口減少につながっているわけですが、これは、そういう意味では必然的であったということです。 



それから2番目にですね、このグラフ(#7)を見ていただきますが、1970年代に、主要先進国は、いずれも合計特殊出生率が「2」を割っているわけですね。 ここが2です。 日本は薄い緑の線ですけれども、75年から2を割ってます。 大体、どこでもそうなんです。 但し、そっからまた浮上した国もあります。 アメリカ、フランス、スエーデン、イギリスといった国は、1.5以上に上がって、国によっては、フランスとアメリカは、2かそれ以上という水準まで上がっていますね。 それに対して、下がりっぱなしの国があるわけです。 これ、2005年、日本で一番出生率が落ちた時までしか統計を取っていないんですが、下の五つの国ですね、オーストリア、スペイン、イタリア、ドイツ、日本というのが重なっていますけども、これは1.5より低い。 だから、日本だけが特別ではなくて、同じように低い国がたくさんあるわけです。 



それで、これは、2008年の国連の「世界人口白書」からとったもの(#9)なんですけれども、日本以上に低い国があるわけですね。 それは、ヨーロッパにもある。 東ヨーロッパは軒並み低い。 もちろん、現在、移行期で混乱があるということも理由にあると思いますが、どうも、それだけではないんじゃないか。 今度の土曜日に、「日仏サミット」で、私も報告するんですけれども、フランスからエマニュエル・トッドという人口問題の研究者が来ます。 彼の考え方では、家族の類型が、例えば、夫婦で2世代、親子の関係なら3世代以上に渡って同居するようなタイプの家族、あるいは、兄弟、兄弟の夫婦が一緒に住むようなタイプの国は父親の権威主義が非常に強い地域で、出生率がとても低くなる傾向がある。 一方、これに対して、核家族が500年、それ以上にわたって続いているような国で、割に出生率が高い水準にとどまっている、というわけですね。 ですから、何か、人類学的な背景があるんじゃないか、ということです。 まあ、夫婦だけで子どもを育てようとする時に、地域とか政府とか、それから企業とかのサポートシステムができてるかどうかっていうことが原因なんではないか、トッドが、そういうふうに権威主義というものと結びつけて、低出生率を説明しようとしています。 これが日本の少子化が、ある意味で必然であるという三つ目です。 


先ほど、どこも70年代に出生率が低下したということを申し上げたわけなんですが、日本の少子化が始まった1974年は第一次オイルショックの翌年で、日本では、実質経済成長が、戦後初めてマイナスになった年なんです。 先進国の出生率は低下し始めましたが、ただ、途上国では人口爆発がおきてますから、地球の人口はどんどん増えていってるということで、この年の9月にブカレストで、国連が、政府間レベルのものとしては初めて、「世界人口会議」というものを開催します。 ちょうど、二酸化炭素を削減して、地球温暖化の被害をなるべく小さくしましょうといって、日本は率先して「京都議定書」で約束したのですが、この時も、日本政府は、それと同じパターンで、行動するんです。 実は、その時、日本の出生率は、ほどほどのところまで落ちていたんですね。 2を少し越える辺りで落ち着いていたんですけれども、早く人口をストップさせないと示しがつかない、と思ったんでしょう。 それで、「4%だけ出生率を落とせば、昭和85年までは増えるけれども、それから後は人口が減りますよ」っていうことを率先していったわけですね。 昭和85年ってのは2010年ですから、ほとんどその通りになったんですけれども…。 


で、先ほど申し上げたように、政府はいうだけで、別に旗は降らなかったんですが、まあ、「もっと避妊を普及しましょう」とかですね、こういうことをいうわけですね。 いろんな民間の団体とか、それから政治家とかが集まって、例えば岸信介さんも、メンバーで議員連盟のトップで講演されましたが、「日本人口会議」というのを、3日間にわたって開くんですね。 そして、その決議として、「子どもは二人までを、国民の合意で実現しましょう」と訴えるわけです。 それを、新聞も大々的に書きますね。 その翌年から、合計特殊出生率が2を割りこむようになる。 マスコミの影響ってのは、非常に強かったんだろうと思います。 そういうように、少子化というのは、ある意味必然的なものがあり、特に日本では、低くなる理由があったんじゃないかということです。 


では、まとめに入ります。 



まず、人口というものは、一体どのような動きをしてきただろうかということです。 国連の発表している数字を見ると、あるいは、たいていの教科書で、ですね「産業革命の時期、18世紀の半ばから、世界人口は急速に増えました。 それより前は、ちっとも増えていなかったんです」というそんな図をよく書いているんです。 ところが、いろんな研究者が独自に推計したものはですね、そう単純ではない。 特に、この目盛を対数にしてみると、はっきりそれが出てきます。 ここでは、二組の推計を出しております(#12)。 アメリカのマッケブディとジョーンズという人の推計と、フランスの人口研究所のビラバンという人の研究なんですが、多少ズレがあるんですけれども、大体、西暦100年~200、300年ぐらいのところは、人口が停滞する、あるいは減少しています。 もう一つは、1200年代~1300年代のところ、人口は頭打ちになる。 あるいは、黒死病の流行った時期ですから、減少するというのがあります。 それから、あまりはっきりしませんけども、マッケブディとジョーンズので見ると、17世紀に人口が停滞している。 この時期、ヨーロッパは明らかに、10年以上にわたって停滞しています。 マッケブディとジョーンズは、世界全体の人口についても停滞しているといっているわけですね。 


で、これからどうなるのか。 これは、いろいろ議論がありますけれども、先進国では、もう、自然増加マイナスのところが増えていますね。 日本だけじゃありません。 ヨーロッパでも。 そういうところが出ている。 それから、世界人口でも、21世紀の終わりには100億を越えるけれども、もうそんなに増えなくなりますよ、ということを国連が言ってます。 ですから、おそらく世界的にも、2000年の前から、4回目の人口の停滞期に入ってきているんだろうと思うんですね。 日本は、その先頭を切っているんだろうということです。 



これは、いろんな研究者の推計されたものをつないで、日本列島の人口の推移を描いたもの(#13)ですけれども、わりにきれいに、四つの停滞期、あるいは減退期といったほうが正確しょうが、それがあります。 つまり、縄文時代の後半 平安から鎌倉にかけての時代、江戸時代の18世紀、それから21世紀。 これが、日本の歴史上の人口停滞期ですね。 



で、どうして増えたのか、あるいはどうして頭打ちになったかについての仮説なんですけれども、下の図(#14)は、どんな教科書にも出てくる図です。 人口というのは、一定の条件のもとでは、最初は増えるけれども、それは頭打ちになるんですよという、ここでは「Sカーブ」と書いてありますが、「ロジスティック曲線」という名前が付けられた、S字型を引き伸ばしたような形ですね。 これは、多分、動物の個体群の研究では必ず出てくるし、植物でも出てきます。 定式化されたのは割に古いんですけれども、実験で確認されたのは20世紀初めですね。 アメリカの生物統計学者のパールとリードという人が、ショウジョウバエをいろんな条件で飼ってみると、いずれもS字型の曲線を描いて、あるところで増えなくなってしまう。 それを人口にも当てはめることができるだろう、ということです。 こんな図は描いていませんけれども、18世紀の有名な人口学者のマルサスも、言ってることは同じですね。 初めのうちは、人口はどんどんどんどん増えるけれども、だんだん、そう増加できなくなってくるっていってますけども、それは、たいていの生物に当てはまると思います。 これは、要するに、その、一定の条件、つまり、「人口収容能力」っていうものが、ビンであれ、地球であれ、日本列島であれ、あるってことですね。 


しかし、人間の人口というのは、どっかで一旦頭打ちになって、あと、単調に推移するんじゃなくて、先ほどの世界人口とか日本の人口の推移を見ていただいたように、S字型のカーブが積み重なるようにどんどん増えてくるという、経過があったわけですね。 それは、技術革新が行われたからだ、ということです。 つまり、同じ地形、列島の中でですね、技術革新が行われると、人口収容能力の限界が引き上げられる。 それによって、また、人口が増え始めた、というふうに考えることができるだろうと思うんですね。 



具体的に、そのメカニズムを簡単に表(#15)にしてみたんですけれども、ここが人口で、S字曲線のパターン。 増加して人口圧力が増していく。 すると、マルサスが考えたように死亡率が上昇するか出生率が低下して、人口は停滞していきますよということです。 しかし、人口圧力が増加した時、これ以上の発展の余地がないということで、資源開発したり、何か技術革新を行ったり、外部から新しい技術、文明、制度というものを取り込むということが起こり、新しい文明システムへの転換をするとすれば、再び人口が増え、次のサイクルが始まる―そんな流れを示そうと思ってるんですけど、まだうまくいっていません。 これからの議論でも、いろいろお知恵をいただき、改良していきたいと思っております。 



では、具体的にどういうタイプの文明システムが展開されて来たかというのを示したのがこの図(#16)です。 要するに、縄文の狩猟採取の経済、稲作農耕の経済、それから室町時代あたりからの市場経済化、あるいは商品経済化です。 そして、最後の箱が幕末、明治維新以後からの工業化ということで、新しい資源を使う、生産意欲が高まるなど、いろんな条件で、人口の収容能力が高まってくる。 その、文明システムの転換に応じて人口も増えて、そして、一旦頭打ちになって、また増えてという波を繰り返してきのだろう、ということを申し上げたいと思います。 



では、最後に、具体的に江戸時代のことを、少し見ておいていただきたい。 これ、吉宗が始めた全国の人口調査の表(#17)で、武士の人口は含まれておりませんけども、全国人口でいうと大体、3000万人ぐらいでスタートするんですね。 1600年ごろの人口は、多分1500~1600万人といっていいと思います。 そっから、1720年代まで、ほぼ人口は倍増します。 3000万人越えるところまでいきます。 ところが、そこからあとの1世紀あまりというのは、人口が頭打ちになります。 グラフは、ゼロから描いてないんで極端な動きをしていますけれども、大体、3000万人前後で推移します。 125年間で、たった3%しか増えていません。 ここの落ち込みのところってのは、享保の飢饉であるとか、宝暦から天明にかけての飢饉、あるいは天保の飢饉とか、飢饉の影響を受けております。 小氷河期ですから、非常に冷夏が来たりすることで、人が死んでいるんですけども、実は、その被害というのは非常に大きいんです。 ある研究者の推計によりますと、江戸時代の場合、1回の飢饉で33万人ぐらい死んでいる。 これは、幕末からですけれども、天然痘とかコレラ、それ以外の疫病が流行ると1回で、13万人ぐらい減るということがあります。 


しかし、これ、必ずしも、ヨーロッパと比べて日本が飢饉とか疫病に、特別弱かったというわけじゃないんですね。 それより、もっと人口減退を引き起こす原因はですね、現代文明と同じ、少子化にあるんです。 これは、江戸時代のある村の平均初婚年齢の推移の表(#18)です。 大体、どこの地方でも同じパターンです。 17世紀の終わりから19世紀までの期間、大体女性で少なくとも3年、結婚年齢が遅れていますね。 つまり、子ども一人分減らすぐらい晩婚化が起きている。 東北だと、もっと早婚で、14、5歳なんですがやはり17歳ぐらいになっていきます。 パターンは同じですね。 これが一つです。 



もう一つは、結婚している夫婦の産む子どもの数(#19)です。 これは50歳まで結婚が続いた女性の実際に産んだ子どもの数です。 但し、ここには乳児死亡の多くの部分は含まれておりません。 年に1回、キリシタンを取り締まるために調査をやるんですけど、その1年間の間に生まれて死んじゃった子どもは入ってこない。 それは、多分、15%か20%ぐらいと思います。 それを上乗せしてやらなければいけない。 すると、17世紀の後半に生まれた女性ってのは8人ぐらい子どもを生んでたはずです。 それから、ピンクで描いた方は、結婚している女性の合計特殊出生率、有配偶出生率ですね。 16歳から50歳まで結婚が続いたら、理論上、このぐらい子どもを生むでしょうという話ですね。 大体同じです。 ところが、18世紀になって生まれた女性って、がくっと子供の数が減るわけですねえ。 これも、2割足してやると5人は産んでたということになります。 今と比べれば多いですけれど、減り方が激しい。 特に、18世紀後半になりますと、これ、3人、せいぜい4人ですね。 幕末になるとちょっと増え、明治期の女性は、平均して5人産むようになるわけですけれども、こんなふうに江戸時代後半、特に人口が減った18世紀に産まれた女性ってのは、子どもを産まなくなっている。 つまり、ぎりぎりの水準で、子孫を維持できる子どもの数しか産んでいないということです。 そういうところに飢饉が来たりすれば、当然人口は減ってしまうという現象が起きたんですね。 



では、なんでそんなことになったかということですが、結論から言えば、耕地面積が、もう、開発の余地がなくなってきた。 もちろん、明治以後、あるいは幕末にも開発は行われましたが、これは、お金がかかる海岸の干拓などで、だから、農民が、村の周辺部で、コストかけない開拓ができなくなった。 これが一つの理由。 それから、もう一つは、肥料ですね。 まだ、金肥、お金で買った肥料を使うというのは、18世紀の前半には一般的ではなかったかも知れませんが、その肥料が手に入れにくくなる。 また、生活のための燃料。 里山も、やはり、利用するのにいろんな制約が起きてくる。 いずれにしても、村の規模が大きくなったり、人口が増えたりして、環境資源の制約が一番強く働いたんじゃないか、といわれています。 これが、江戸時代後半の人口停滞の主要因だろうと思っています。 


これは、工業化以前の社会のヨーロッパのいくつかの集落の女性の出生率と日本の場合と比較した図(#20)です。 これは結婚している女性です。 日本の場合20%の補正をしているんですが、それでも、ヨーロッパの水準よりは低い。 江戸時代は、いかに、出生率が抑制されていたかということですね。 これ、ある意味では、意図的に出生率が抑制され、人口の停滞がきたということですね。 



では、人口の停滞期、減退期ってのは、文明史的にどういうことがいえるかということなんですが、実は、決して貧しい時代ではないということですね。 いずれも、縄文中期以後とか、平安、江戸時代の後半であるとか、まあ、21世紀は、これからどうなるかわかりませんが、そこに、三つ箇条書きにしておりますように、人口の成長期に取り込んだいろんな要素をひとつの形にまとめて、その次の時代にとってみれば伝統的と思われるような結果を形成しているんじゃないだろうかと。 そういうことなんですね。 そういう意味で、それ以上成長しにくいという意味で成熟化した時代と言えるし、豊かな文化をもつようになったという意味でも、成熟した時代と言えるんじゃないかと思います。 そしてまた、その中で困難がいろいろ生まれてくる。 それは、次の時代の「文明の種」を生んだ時代、あるいは胚胎した時代であるということが言えるんじゃないかと思いますね。 


それをいうために、この、実は、人口の停滞期は、幕末、18世紀の後半、特に19世紀に入ってから、次の時代に結びつくような工業発展ってのが、地方で起きている。 そんな工業発展が、地方で始まってますよということを申し上げたいというふうに思ったわけです。 これ、各藩の中で、税金が余りかからない非農業部門のウエートがいかに石高に対して大きかったかということをお見せしようと思って私が作った表で、こんな動きが、地方では起こっていたわけです。 


では、ここまでお話しして、人口減少していく中で、これまあ、21世紀のことになるんですけれども、これから、どんな社会を目指していけばいいのか。 これは、次の議論の中で、みなさんのお知恵をお借りしたいと思います。 




次の「ディスカッション」へ進む ≫


 

 

前へ

次へ

 



閲覧数:019051

 

 

Tweet 


 


 

メニューを開く


 活動データベース内を検索

 

  • 空白→AND検索
  • OR→OR検索
  • [キーワード]→NOT検索
  •