活動報告/クオリア京都
第2回クオリアAGORA_2014/ワールドカフェ
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ワールドカフェ
ファシリテーターの山極さんからのお題「これからの日本社会はどうなっていくのか。 どう創っていくのか」について、人口問題を多面的に切りながら、日本の将来について、意見を交わしました。
[ 各テーブルのまとめ ]
●第1テーブル 報告者
中野 千春(市場調査社大阪)
ここのテーブルでは、きれいに結論は出ていないんですが、2030年の社会っていうことで、やはり問題は、少子高齢化だろうっていうことから始まりました。 今の問題として、女性の幸せ感みたいなのが変化しているのではなかろうか、と。 結論は、生き方の多様性とかによって少子化が発生している。 但し、それは結果なのか、もしくは、原因なのか、どっちなんだろうねという話が出たりですとか、仕事も子どももとか、女性は難しいよねえと。 そんな話がありつつ、2030年に目を向けると、35%がインドの人と中国の人になってしまうので、さっき、余暇の時代を過ごしたらいいみたいな話がありましたけど、まあ、食糧とかエネルギー不足問題からは逃れられないだろうとなりました。
そういう中で、どうやって人口を増やしていったらいいんだろう、ってとこに戻ってきたのですが、上の年代の方からは、そもそも、最近の若い子は「自己中」なんじゃないのという指摘がありました。 で、少し前は「利他主義」っていうので、社会に合わせて行く生き方っていうのが推奨されていたし、それをしていたんだけども、最近の子は自己中心主義になっていて、その結果として、毎日100人が孤独死されているようなんですが、どの世代も孤立しちゃったりとかして、それぞれがバラバラになってしまっている。 昔は、競争することによって豊かになっていたんだけども、それが、今は、不特定多数のための方針みたいなことになってしまったりとかして、人と人とが向き合うっていうのが避けられている、みたいなことが起こっているのではないかという話が出ました。
それで、最終的に出てきた話が、どういう社会が幸せなのかということでした。 それは豊かな時間を手に入れるということではないかということになり、これから、時間をどう扱っていくかということが必要なんじゃないかなという結論となりました。
●第2テーブル 報告者 川田 哲也 (京都大学大学院思修館)
まず、今日本の中にどんな問題があるかということが、いろんな視点で、雑談も含め出てきました。
そもそも、若干、人口の話なんですが、東京への集中っていうものが、何が問題なのかわからなかったので問いかけさせていただき、いろんなコメントをいただきました。 やっぱり、テロとかのリスクがあるので分散する必要がある。 もしくは、リビングコストが高い。 ま、住むのが嫌だ。 東京へ行くと疲れる雰囲気がある。 特に、京都、関西から来る人にとっては、自分を卑下して笑いを取りに行っている時に「もっと自分を強く持って」みたいに真面目に意見をされる、そんな東京の感覚が受け入れられない。 とにかく、東京に行きたくないという意見がたくさんあって、なるほどと思いました。
その中で、東京に行く理由は、稼ぎに行くという話が出たんですけど、そのことから、何のために働くのかという話になりました。 昔から、人はストック、つまり、冨を蓄積するため働いたり、国力を上げるために働くことが必要だったんじゃないか。 これが現状なんですが、これからは、余暇のため、楽しく生きればいいのではないかという高田先生のお話から、それはそうだけれども、なんで、それができないのかという話へと移っていきました。 なかなか、自分が純粋に楽しむために生きようとしても、その行為が生産活動に結びつかなければ、それは難しい、ということで、「楽しく生きれば」という議論は、結局、盛り上がりませんでした。
では、働くということなんですが、その場合、今の日本の何を売ったらいいかということで、日本の強みとは何かということが、漠然と出ました。 その中では、「サービス力」を売ればいいだろうと。 それは、「おもてなしの心」。 この言葉は、なかなか話題にもなりましたが、おもてなしをサービス化して、途上国等とかで普及していけばいいのではないか。 資源も乏しい日本でもできることで、これはいいんじゃないかと。 さらに、教育の話も出ました。 授業は聞いてるだけで苦行のような今の大学の授業はまだまだだね、という話も。
それで、最後になって、人口の今の現状をどうするかという話をしました。 それで、理想のあるべき姿ということで、減ることもありだろうと。 一つの意見では、例えば、200年をかけて3000万人ぐらいに減らしたほうがいいんじゃないか、というのがありました。 今の、安倍さんが掲げる1億人は、これ、必須なことじゃない。 そもそも、それに関して疑ってかかるべきだ。 じゃあ、なんで、3000万人か。 江戸時代は、3000万人で何とかなっていた。 ということで、徐々に200年ほどかけて、小さな日本というか、3000万人で持続可能な社会ができたらいいんじゃないかということでした。 そのために、資源をうまく使ってしのぐ、と。 何とかしのいで、200年かけて3000万人に落ち着いたところが、これからの日本じゃないか、と。
●第3テーブル 報告者 上田 源 (同志社大学)
まず、そもそも、人口減少は、報道等されているほどに、悪いものなのかというところから始めました。 人口減少を、もはや、前提とした国づくり、減っていくのは仕方ないので、それを踏まえた上で、国土をどうやって利用していくのか、っていうことを考えるべきだろうっていうふうに話が進みました。
人口減少といわれていますけども、少子と高齢化と二つあって、まず少子の部分ですけれども、私は若年層ですから、これから、結婚をしたり、子どもを作ったり、年金を払ったりという世代です。 それで、子どもがほしいか、ほしくないかといった時に、私は、全くほしくないタイプの人間なんですね。 それは、何故かというと、育てる自信がないからですね。 どうやって、育てていったらいいかわからないし、結婚しても、奥さんと二人で子どもを育てるということに、漠然とした不安感があります。 なので、そこに対して、ひとつ、使うべきは、老人だろうと。 おじいちゃん、おばあちゃんは、自分の子どもを育てたら終わりではなくって、さらに孫の世代まで育てていく。 そもそも、老人がボケるのは、自分が助けられ続けているからであって、自分が、孫を助ける状態になればボケないんじゃないか。 ボケない老人は、大切な人的資源になっていくのじゃないのかな。 例えば、学童保育と老人ホームを一緒にしたりすれば、これ大きな力になると思います。 子どもたちにとっても、普段会えないおじいちゃん、おばあちゃんに会うってことは、いい刺激になるだろう。
あと、私もそうですけれども、学生とか、一人暮らしをしている若者を、地域のお祭とかに参加をさせる。 これをやると、仮に4年間しか住んでいなくても、若者の力がコミュニティーに使えるようになり、同時に、こういうものを起点として、コミュニティーが、もうちょっと強固になっていくんじゃないのかな。
最後ですけど、今は、消費と所有の社会である、と。 で、特に日本は、未だに、旧態依然である。 ですから、ここから、遊びというものを基にして、共感とかシェアをしていくっていう社会に移行していくべきではないか、と。 つまり、今なお、ただ、単純に、モノを作り、買い、何か所有するという社会から、誰かと何かを共有し、人間関係を築くという、そういう社会にどうやって移行するかというのが、今の日本に求められていることではないか、そういう結論になりました。
●第4テーブル 報告者 木原 奈穂子 (日本テクノロジーソリューション)
このテーブルでは、人口減少の要因というところから始まりました。 それは、生物学的に自然現象が起こっているのではないか。 つまり、生きにくい社会だから、自然現象的に疫病が起こったりして人口減少が起こっている、と。 つまり、今の社会からは、昔でいえば、相互扶助的にする、人のためにする仕事が減って来ているんじゃないか、と。 そのことから、生きにくい社会を解決することが、人口問題の解決にもつながるということで、社会的イノベーションを起こすべきでないのか、という話に移っていきました。 社会的イノベーションっていうのは、例えば、現在の製造業的な話を中心に見ますと、9時~5時で働いて、時間給で正社員として認められるというものですが、こんな社会は、そもそも間違っているんじゃないか。 つまり男性視点がある大量生産、大量にものをつくれば、生きていけますよという視点から、女性の視点へ。 具体的には、権威主義から権威的でない社会、上下関係的な関係からそうではない社会、こういうふうに変えていくイノベーションを起こさないと、社会は変わらないという意見が出ました。
また、日本的な文化っていうのはすごく大事で、これを、どれぐらい高付加価値していくか。 このことが重要なんじゃないかという話も出ました。 つまり、日本国内でもそうだし、これを、どれだけ世界に発信していくか。 そして、国外でそれをどれだけ、定着していけるかが課題だ、と。 これを、業界の中で、どれだけ共通化し、分別化を進めていけるか。 このことが、日本の強みにつながり、ひいては、人口問題も解決できるのではないか、という結論に。
クオリアAGORA事務局
はい、それぞれのまとめを有難うございました。 では、末原さん、鬼頭さんからご感想をお願いいたします。
末原 達郎 (龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長)
実は私、山極さんとは、アフリカのコンゴの森の中で知り合った仲なんです。 私がですね、コンゴの森で、農耕民の調査をしていたら、現地の人に、あの山の中に、「ニャマギラ」というのがいる、と。 これは、現地の言葉で「ニャマ」というのは動物で「ギラ」というのはゴリラなんですが、それが、バイクに乗って、何週間に1回か、市場の村に行って、ありったけの酒をすべて飲んでいくというすごい伝説を聞かされたんです。 どんな人だろうかなと、思っていたんですが、まあ、私は、日本の農耕民のように黙々と、毎日毎日畑に行き、毎日、毎日畑を測り生産量を調べるということをやっていたわけなんですが、そうこうしていて、山極さんに会ったんですね。
その山極さんからお声がかかって、きょうここに参ったわけです。 楽しかったですね。 こんな会とは思いませんでした。 こんなに老若男女が集まってるとは思わなかったんです。 結構、みんな言いたいこと言いますし。 いくつか、発想の起点となることが得られました。 この種を、農耕民らしく育てて、また次につなげたいというふうに思っております。
鬼頭 宏 (上智大学経済学部教授)
お招き、ありがとうございました。 スピーチの持ち時間が30分だったので、何を話そうかと迷い、大分切って、ちょっと中途半端で申し訳ございませんでした。 しかし、後のセッションの種を撒くことはできたのかなと思います。 討論をした時もそうですが、最後のご報告を聞いて、こういうふうな考え方があるな、といくつか考えを変えなきゃなんない部分もあるし、また、信念固めたところもあります。 例えばその一つは、ここにも、若い、現役の学生さんがいらっしゃるし、私と同年輩の人もいらっしゃる。 いろんな世代が集まっているのが社会なんで、それを、日本の年齢階梯制の非常に強い社会のように、何歳だから何をしてはいけない、何歳だから何をしなければならない、というような壁は取っ払うべきじゃないか。 そうやりながら、どんな人でも、支えられる人は支える、面倒見てもらう人は面倒を見てもらうっていうことをやっていくような、もっと、そういうお互いに手伝ったり支えたりするような社会にできればいいなと思いますね。 きょうは、小さな世界で短い時間ですけれども、まさにこのことを実感しました。
で、余暇の問題、いろんな考えがありますが、一つだけ申し上げておくと、いろんなライフコースが多様化するというのを、今まで以上にやっていかなきゃいけないですけど、それと同時に、何歳だからというのを乗り越えて、必要になったら大学に戻ってくるとか、社会に出て働くとか、いろいろな「行ったり来たり」というのを年齢超えて生涯通じてやるというのも、一つの生き方なんじゃないか。 そういうことが許されるような社会になったら、とても、みんないろんなことができて、力が発揮できるんじゃないのかなと思っています。 ぜひ、これからも、みなさん、いろんなアイデアを出して、これからの日本を背負っていただきますよう。 それにふさわしい若い人もいらっしゃるので、期待しております。 有難うございました。