活動報告/クオリア京都
第3回クオリアAGORA_2014/ディスカッション
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ディスカッサント
京都大学大学院理学研究科教授
山極 寿一 氏
京都大学大学院思修館教授
山口 栄一 氏
国立社会保障・人口問題研究所名誉所長 京都大学名誉教授
西村 周三 氏
長谷川 和子(京都クオリア研究所)
スピーチ、どうもありがとうございました。 西村さんは、京都大学で教鞭を執っていらっしゃる頃には、「よしもと」が話し方を学びに来たというほどの評判があったそうで、とってもわかりやすいお話だったと思います。 多分、ちょっと30分では話しきれない内容だと存じますので、この後の討論で、話し足りなかったところは補っていただきたいと思います。
これから、京都大学の山口栄一さんにファシリテーターを務めていただき、この10月から京都大学の総長に就任される山極寿一さんと西村さんの3人、そしてご来場の方にも参加していただき、ディスカッションを始めさせていただきます。 では、山口さん、よろしくどうぞ。
山口 栄一(京都大学大学院思修館教授)
4年ぶりに「西村節」を聞けて、私は、すごく元気になれました。 人口問題研究所の4年間のストレスから解放された西村さんから発せられた西村節を久しぶりに堪能いたしました。 西村さんに京都に帰ってきていただいて、本当にうれしく思っております。 これから、ファシリテーターの役得として、まず、私の方から質問をさせていただきます。
まず、少子化のことです。 2000年頃、私は少子化の原因を定量的に調べたことがありました。 合計特殊出生率というのは、n歳の女性の数を分母にして、n歳の女性から生まれた子の数を分子にして、これをnについて、つまり年齢別にずっと足していって計算します。 しかし、これでは少子化の真の原因が分かりません。 そこで、私は、独自に別の統計をつくりました。 n歳の女性の数ではなくn歳の既婚女性を分母にしてこの積分を行ないます。 既婚女性の合計特殊出生率と名付けました。 すると、合計特殊出生率は、既婚女性の合計特殊出生率と女性の既婚率のコンボリューション積になるので、少子化の真の原因が女性の生涯未婚率が低いせいなのか、それともやっぱり結婚したあと女性が子供を産まなくなったのか、それぞれの原因を定量的に分解することができます。 というのは、お話にあったように日本は非嫡出子の割合が1パーセント程度だからです。 つまり日本では、子供は99パーセント、結婚したカップルから生まれている。
私は、当時の3300市町村ごとにこれを求めたいと思い、厚生省の地下倉庫に行って、1年がかりで資料を全部コピーして(というのは、ダウンロードさせてくれないので)それを全部打ち込んで計算したんです。
それでわかったのは、1985年の時は、既婚女性は1人平均して1.8人を生む。 95年は、既婚女性は、平均して2.0人産む。 つまり、全国的に既婚女性は、生む子どもが増えるのです。 この傾向はすべての市町村で同様で、東京も例外ではない。 そこで少子化の要因分析を定量的に行ないますと、合計特殊出生率の低下というのは、100パーセント未婚率の増加によって説明できる。 そういう結論に達しました。 専門家の見地から、そういう理解でまちがいないでしょうか。
ところで私は、この4月に京大思修館に移ってきました。 そしてほんとにいろいろ下らないルールがあることに辟易しています。 思修館は全寮制です。 必ず寮に入らねばなりません。 当初私は、それをケンブリッジのカレッジ、あの全寮制の雰囲気だと勝手に想像していました。 社会人を経験して入られた方もいらっしゃるので、結婚して入学された方もいらっしゃるし、入学したあと結婚される方もいます。
ところが、夫婦で一緒に住むのと聞くと、それは、規則で許されていないというんです。 寮の部屋はシェアルームもあるので、比較的広くて二人で住める部屋もあるのです。 でも、それは規則でダメ、一緒に住めないというんです。 もっとびっくりしたのは、外泊は届け出なければいけないらしいのです。 じゃあ、結婚できないではないか。 結婚しても一緒に住めないではないか。 結婚を否定する規則が京大にあるということです。 人間の生活とは何か、家族をつくりあげるとはどういうことか、という深い社会学的考察を欠いたくだらない規則に満ち満ちているのです。
さっき、お話が出ていたように、ヨーロッパでは大学の授業料が要らないというのは人間のあり方に関する深い考察から出発しています。 学生の間に結婚というのも、ケンブリッジでは当たり前のことで、それこそが人間的な社会生活です。 子どももよく生まれて、カレッジですから、結婚すると家族部屋に移って、そこで子どもを育てるんです。 それと比べると、京都大学では何だか子供じみたつまらない規則が多くて、それがいろんな人間的なことを阻害してるんじゃないかという気がして仕方ないんです。 西村さん、いかがでしょうか。
西村 周三(国立社会保障・人口問題研究所名誉所長)
次期総長を前に、どういうべきか…、ははは。 いや、次期総長がおられるから、余計、何かいうべきでしょうかね。 おっしゃる通りですね。 ただ、今の話を聞いてびっくりしました。 というのは、逆に京大は、全国の大学からすると最も自由なところで、寮については、逆の意味で自由過ぎて困るというのが現状なんです。 だから、その、「羹に懲りて…」というのはあるかもしれませんね。 しかし、基本的には、京大が、今おっしゃったようなことをやっているのなら、絶対間違っているので、次期総長に、ははは、何とかしてもらうということで…。
山口
ぜひ、山極さん、よろしくお願いいたします。
山極 寿一(京都大学大学院理学研究科教授)
それは、ちょっと、問題ですね。 うちの研究室でいえばね、学生結婚大流行です。 しかも、結婚するとすぐ子どもをつくります。 結婚しないでも子どもをつくります。 最近にわかに、えらいベビーブームになっちゃいましてね、いい風潮かなと思っているんですけど…。 寮の問題は何とか改善したいと思います。
ちょっと、別の話題、いいですか。 限界集落が消えないというのは、驚きだったんですが、私の多分間違った常識なんでしょうけれど、だんだん人口が少なくなってくると、サービスが行き届かなくなってくる。 特に、郊外に建てたマンションとか、一時、できましたよね。 やがて子どもたちが出て行って老人だけになる。 すると、スーパーがなくなり、病院もなくなってバスも来なくなり、結局、廃屋になっていくというのがあります。 地方の集落もそうで、ご老人たちは自立ができず、そこでは暮らせず、みんな都市に出ていった子どもたちに引き取られていって、限界集落もなくなっていくんだろうと思っていたんです。 一体、なぜ、限界集落は消えなかったんですか。
西村
ああ、ちょっと、それは、私の言い方もオーバー過ぎましたね。 消えた集落が総務省の予測を大幅に下回ったということであり、みんな消えなかったわけではありません。 で、ただ、面白いのは、一つの要因として、今残っているところは、65歳から74歳ぐらいの人が、75歳以上の人を相当支えている。 これは、結構たくさんあって、65歳以上を高齢者というふうに考えて定義したことが間違っていたっていうのが一ついえるわけです。 それから、さっき紹介した内容でいうと、やっぱり、かなり集落ごとに特徴がありまして、例えば、お祭りをする集落は、なかなか消えない。 どうしてかというと若い人が、祭り、盆と正月に帰ってくるからです。 ミクロでいうと、いろいろ面白い特徴があります。 逆にいうと、研究所で、この話をしたら、割りとさめた人が、「今、75歳を超えたらもう無理やから、今後は消えるんでしょうかね」っていわれて、そうかもしれんねと言いました。 だから、ちょっと、オーバーな言い方で、過去の20年間に関して予測が外れたということであって、事態は深刻であるということは変わっていません。
山極
昔、「二重生活のすゝめ」ということを新聞記事でかいたことがあります。 これだけ流通革命が起こって、車を運転したり、航空運賃も安くなったので、故郷に帰ることができるようになった。 週末に帰って、農業とかですね、まあ、杉の枝打ちとか、自分の親族が持っている土地を利用して、そこで、ある程度、商売したり、米や野菜を作ったりできるわけですよね。 それをやれば、老人たちが都市へいかなくてもよくなるし、しかも、籍を移さなければ、税金をそこで払えるわけですよね。 実際、収入の高いスポーツ選手ではしゅっしんちに住民票がある人もいて地元に貢献している。 だから、サービスは落ちない。 そういうことを心がけていけば、ある程度人口は減っても、潜在人口が増え、やっていけるんじゃないか。 そういう政策をとれば、限界集落も消滅は防げるんじゃないかと思ったんですが、どうでしょう。
西村
同意見です。 今のお話で、実際に、隠岐の海士町というところでは、ほとんど限界集落なんですが、人口は増えています。 山崎亮一さんというコミュニティーデザインの専門の方がアドバイスをして面白いことをやっていて、これ、日本中に同じような話がかなりあります。 ただ、さっき、飛ばしたんですが、わりとミクロな話と大きな日本全体の話を混同するナルシシズムはやめた方がいい。 つまり、そういう事例はたくさんあります。 たくさんありますが、にもかかわらず、全体の趨勢はっていうことですね。 だから、日本人のメンタリティーっていうものを相当変えないと…。 さっきおっしゃったように、都会と田舎、両方ですごしたらいいんですよ。 特に冬の寒い間は都会に出てきて、いい気候になったらそっちへいったらというのは、理念的にはとても良くて、実際、実行している人も相当いるんですが、ただ、日本人のメンタリティーが、まだまだそこまで、一般常識にはなっていないという問題もあるかなというふうに思います。 今、山極さんがおっしゃったようなことを、私は、全国で展開する必要があるし、部分的に展開する可能性がかなり高いというふうに考えています。
山口
今の問題に関連してお聞きしたいんですけど、私がいつも不思議に思っている問題があって、それは、人口が5万人から10万人ぐらいの都市、いわゆる地方の小都市についてです。 世界の都市を分析すると、日本はなぜか5万人から10万人ぐらいの都市って必ずさびれています。 例えば、山口県の小郡市など。 街がさびしくてゴーストタウンのようです。 それに比べると、たとえば日本同様、合計特殊出生率の低下が著しいイタリア。 あそこにいくと、10万人ぐらいの都市のほうが、逆に生き生きしています。 私はよくベルガモとか、クレモナとか、クレーマとか、マチェラータとか、友人がたくさんいるし、とても好きなので頻繁に訪れるのですけど、とても元気なんですよ。 とくに夜はみんな街を散策している。 これ、なんでなんですかね。 日本って、何か制度の罠にはまっているような気がしてならないんですけど。
西村
今の話と関連して、ちょっと言い忘れたことがあって、一番出生率が低いのは東京都です。 今の話で、こういう議論をする人がいるんです。 意外にいるんですよ。 あえて口汚い言葉を使いますが、要するに「女が働きに出るから、子どもができないんや」。 これねえ、びっくりするぐらい、こういう人が多いんです。 しかし、答えは「ノー」。 絶対にノー。 一番女の人が働きに出てるのは東京ではなく、東京は、専業主婦率が一番高い。 世界を見ても、ちょっと、この絵(30P、31P)がわかりにくいですが、出生率の模範都道府県は、福井、石川、富山です。 女がいっぱい働いて、子どももたくさんいる。 だから、このことを見ると、女性が働きに出るほうが、むしろ子どもが増えるということが言える。 で、特に、これは、まだ、もうちょっと正確なデータを分析していませんが、おっしゃる市町村規模でとります。 そうすると、やっぱり、市町村規模の比較的小さいところの方が、女性が働きに出て出生率が高いんです。 で、一つは、相関係数がそんなにめちゃくちゃ高いわけではないんで、もう少し分析する必要があるのですけれども、コンパクトシティであるかどうか、です。 つまり、保育園に連れて行って、さらに、そこから職場にいく、家-保育園-職場、この三つが近接しているかどうかです。 まだ、ちゃんと分析できていませんが、これが決定的と考えています。
そういう意味で、もう、みなさん、「女が働きに出るからや」とお考えになっているなら、頭の中を入れ替えてくださいね。 これ、講演とか終わった後に、必ずいうてこられるんです。 図にも示しましたように、海外の事例と割と共通点があるんです。
山極
福井に行った時にね、福井県立大学の先生方とこういう問題を話すことがあって、確かに、福井県って、女性がよく働いている。 ただしね、近くで働くんですよ。 重要なことは、大家族で住んでいるんですね。 だから、子どもを預ける必要がなかったり、子どもを預けても、みんな知っている人たちだから、いろいろ安心していられるということがあって、要するに、みんな働けるような環境にある。 おっしゃるように、非常に近い所でネットワークが成立しているっていうのが、子どもが産まれても、離職率が異常に低い理由だとおっしゃっていました。
西村
ただ、福井は、昔は沖縄についで出生率は2位だったんですが、だんだん下がって、今では8位です。 その理由は、今、チラッとおっしゃった3世代世帯が減ってき始めたからです。 それが、出生率を下げる要因になっていまして、西川(一誠)知事が私の研究所に来られまして、何か良い方法はないか、と。 つまり、昔の、おじいちゃん、おばあちゃん、子、孫みんな一緒というのは、社会の規範に合わなくなってきた。 で、そういう前提で、いま山極さんがおっしゃったような、まさに「近くに住んでいる」という政策をどうやって作るかということをディスカッションしました。
難しいのは、この日本の社会で、おじいちゃん、おばあちゃん一緒に、という社会のあり方。 こういう議論をすると、ほんと、この話は微妙で、じいちゃん、ばあちゃんの世話するの、そんなん嫌ですわ、という話になるわけですね。
山口
西村さんが京大の副学長をされた時代に話したことを思い出すと、私はいろいろ突拍子もないアイデアを出して、その一つが「高度人材交流拠点」につながってるんですけど、要するに、家族で住む、血のつながっている者同士住むっていう固定観念を捨てて、社会的につながった人同士で住むという考えにすればいいじゃないか、と思うのです。 ケンブリッジ大学のカレッジのようなものをつくればいいんじゃないかということです。 ケンブリッジ大学のクレアホールカレッジなどは、結構、名誉教授のお年寄りを受け入れています。 歩けなくなったような人も、そこでみんなで介護するようなシステムが出来上がっています。 ですからカレッジを作って、そこに、教員も、大学院生も、名誉教授も、外国人サバティカルも住む、そういうふうな100人ぐらいで住まうシステムを作りあげると良いと思います。 これ一つの21世紀型の住モデルとなると思うんですが、西村さん、いかがでしょうか?
西村
いや、ほんとに、おっしゃる通りで、以前、今のアイデアを聞いてからそれ以上、ちょっと進化がないのが情けないけど、このアイデアは、ぜひ広めていきたいと思いますね。
山極
生物学的に見ると、人間の認知能力は、26歳をピークに急速に上昇するんですよ。 そして、その後、徐々にしか低下しない。 60、80歳になっても、ほとんど高いままに保たれているんですね。 その認知能力をいかすような社会を作らないと。 西村さんがおっしゃったように、80歳過ぎたら、介護が必要になります。 介護が必要になっても、認知能力を駆使すれば非常に重要な立場にあるんだってことを社会的に作らないと、年寄りは、だんだん「老廃物」というような感じにされていくと思うんですよ。 今おっしゃったカレッジもそうなんですけどね、なぜ介護が必要で、なぜ、介護をきちんと社会の仕組みとして取り入れていかなくてはならないのか、という理由を、作っていかないとダメなんじゃないかと思うんですね。
それから、もう一ついうと、これまで、人間は多子高齢化社会に暮していた。 高齢者は、子どもの教育に非常に貢献した。 だから、たくさん子どもを産めたわけです。 でも、子どもが少なくなってきた時、子どもとの接点がなくなりましたよね。 すると、高齢者の生きがいも、だんだん少なくなっていった。 高齢者と子どもは、非常に気が合うんです。 そこが、崩れていくというのは、社会として大変もったいない。 そういう仕組みも必要なんじゃないかなと思います。
山口
きょうは、わざわざアメリカのスタンフォード大学で研究者をされていたヤング吉原さんが、西村さんのお話を聞きたいとここに見えておられます。
アメリカの事例をお聞きしたいと思います。 もちろんアメリカは、人口は増えていますし、日本やヨーロッパの一部が抱えている問題とは無縁です。 アメリカは、才能のある人々を移民として上手に取り入れてる仕組があって、吉原さんもまさにその一人だと思います。
吉原さん、一言アメリカの生活について、お聞かせいただけないでしょうか。
ヤング 吉原 麻里子(立命館大学客員教授)
今日のテーマは、私の専門の分野ではございませんので、1市民としての視点からしか語れないですけども、今、山極先生がおっしゃった子どもたちと自分、親、3世代の間の交流を生むような仕組みを作っていかなくてはということ、これ、私自身、私的な次元から感じていたことでございます。 私のところも、研究を続ける上で、親に頼らざるを得ないのが現状ですが、今のところ親たちは頻繁にアメリカに来て、子どものためにもなるし、生きがいだからといって、非常にポジティブに育児を支えてくれているんですね。 アメリカに生活している子どもにとって、祖父母というのは日本の文化とか価値観とかいったそういうものも伝えてくれる大切なリソースです。 我が家では、祖父母が孫の育児に関わることで、単に子供を育てるという次元を超えて、価値観の伝達といった大切な交流を生んでいます。 海外には日本語補習校というのがございまして、たとえばサンフランシスコ補習校は、現在世界で学生数が一番多いらしいんですが、そこにはかなりの数の子供達が通っていて、日本人の価値観をもって海外で生活する新世代が育っています。 そういった子供達の日本の祖父母との接し方には、さきほどの「人材交流拠点」として、国内の家庭にない面白さがあるように思います。 そういうモデルが、海外にいる日本人の方の中で、少しずつできがっているかもしれません。
山口
私は、20年前にフランスのコートダジュール日本語補習校の校長をボランティアでしていました。 週一回、土曜日ですけど、日本語を中心に教えます。 でもまあ、祭りをやっているようなもので、竹とんぼや竹馬を作ったりあやとりを教えたり、九九を教えたりするんですけど…。 確かにあれは、ひとつの面白い事例でした。 家族を超えた人たちが一緒に住んで、楽しさをわかちあうシステムってのは多分必要だろうな、と思いました。
西村さんのおはなしで一番愕然としたのは、都市部の超高齢化ですよね。 地方は、逆に私はチャンスが有ると思います。 さまざまなアントルプルヌールたちがやってきて、いろんなことをやれる。 それがこれからのチャンスに変わると思うんです。 例えば、島根で「Ruby (プログラミング言語) 」を作ったまつもとゆきひろさんが移住してきたとたん、IT産業のメッカになりました。
しかしそれでもこの「都市の超高齢化」について、何か解決策はないでしょうか。
西村
ちょっとその前に、吉原さんからいいお話を聞いたので、あえて言いますが、アメリカから、私たちは何を学ぶかっていうことを考える時、大変参考になるのが、「エイジアン エスニック」の人のコミュニティーです。 ここに、日本が学ぶことが、すごくたくさんある。 で、逆の極は、実は、フロリダに、「リタイヤメント コミュニティー」っていうのがあって、ある時期、日本は理想とした。 つまり、年寄りだけが、金持ちのね、集まって住む町があって、それがみんないいと思った。 しかし、これを、日本に入れようとして、ほとんど成功していません。 で、むしろ、世代間交流を意図してコミュニティーを作るというのが、エイジアンの方が暮らすコミュニティーで、すごいたくさん成功している。 これから、もっともっと、ここに注目して、事例を集めるってのはいいと思います
それで、都会でどうするかということなんですが、今の話をあえてした理由はですね、ぼくら、何か、アメリカ的個人主義がすばらしいという時代があって、しかも、個人主義と利己主義を混同する人たちがすごくいて、アメリカ人は個人主義だから利己主義だって話をいっぱい入れてきて、マーケット至上主義ってのが来たんです。 ところがね、アメリカの社会で、当然、個人主義と利己主義は違うんですね。 個人主義は、かなり確立していますが、決して利己主義者ではありませんね。 で、その時の一つの条件は、今、独居死と孤独死は違うという話を、今、大きく話題にしています。 アメリカは、独居死は結構多いです。 1日前まで誰かと接触があったという死に方で、こういう独居死です。 しかし、日本は、子どもがいるにもかかわらず、子どもも知らんかったというような、まさに孤独死が多いですね。 それも一つ。
で、要するに簡単に言うと、私たち日本人は、これからコミュニケーションの仕方を工夫する。 今、おっしゃった話の中で大事なことが含まれていたのですが、認知症のお年寄りが、近所の保育園の子どもと交流することで、認知症の進行はかなり抑えられるという事例があるんです。 これ、日本の中で、意外なことに数十、場合によっては、数百という事例があります。 ところが、日本の社会がほんとに悲しいのは、例えば、左京区の人が東山区のことというイメージで、すぐ隣のこと、近所のことを知らないんです。 これ、なんかコミュニケーション下手なんですね。 まあ、私のすぐ近所に最新の臨床的なケアをやっている試みがあるのに、それを知らず、私の親はひどい目に合っているというようなわけなんです。 そういう事例があるということを、最近3年ぐらいずっと、こういうリサーチをやってきて感じます。 アメリカでは、エイジアンのエスニックコミュニティーは、それなりのコミュニケーションがすごくできている。 日本の場合ちょっと極端な話で悪いですが、東京の広尾に超高級住宅地があって、こないだ、そこの住人と話したら、ほとんど隣の人とは喋ったことがないそうです。 それって、お金持ち同士でも、アメリカと違うんじゃない、なんて、そういうイメージがあります。
山極
日本のとても貴重な文化として、隠居制度がありますね。 昔の隠居ってのは趣味人で、50歳を過ぎてから、習いものをして、三味線弾いたり、唄を唄ったり、いろいろやりましたね。 いろんな近所との付き合いがある。 要するに、これまでの人生とは全く関係なく、きちんと趣味人として生きる、教養を身につける時代-それがきっちり社会に組み込まれていたわけです。
ところが、今、例えば、安倍さんの政策だと、年金受給を先延ばしして、高齢者に、もっと働け、と言っている。 これも、一つの政策だと思うんですが、果たして、それについていけるのか。 一方では、若い人を増やすために、移民政策を敢行するということもきいています。 けれども、そういう話じゃなくて、むしろ、高齢者が、もっと豊かに生きられる政策が必要です。 例えば、都市では、高齢者が増えた時に、高齢者が、コミュニティーを作りにくいという事情があるんわけです。 集まる場所がなかったり、お互い、コミュニケーションをする土壌がないから、孤立して、個人で映画を観に行って、パチンコに行って終わりという、大変寂しい老後の生活になってしまう。 そっちの方を改善するほうが重要なんじゃないかな、と思います。
山口
そういう意味で、大学は重要な役割を持っていると思います。 きょうは、もう一人、スイスから京都大学に教えに来ていらっしゃる河合さんがおみえですので、ちょっとスイスの事情を話していただけないでしょうか。
河合 江理子(京都大学大学院思修館教授)
私は、スイス10年、フランス10年というような形で住んでいたんですけれども、フランスは、ご存知のように、出生率2%を超えているんですね。 その子どもを産むぐらいの歳の人は80%程が仕事しているんですね。 だから、さっき、先生がおっしゃったように、女性が働くことによって、出生率は下がらないという、いいモデルケースになっているわけです。 そんなフランスで、私も、仕事をしながら3人ほどの子どもを育てる友人とか見てきましたが、その体験からいうと、日本との大きな違いは、日本では、大都市で待機児童の問題がありますが、何カ月かで、すぐ保育所に預けられる。 それもほんとに安い。 だから、おじいちゃん、おばあちゃんに頼ることなく、地方から来てても、預けるところもあるので安心して働くことができる。 ベビーシッターなんかを雇えば、税金から控除されるなど、働きながら子どもを育てるいろんな仕組みができている。 スイスは、逆に、そういうシステムがないですから、日本の女性と同様に、子どもを産むか、仕事を続けるかのジレンマに悩むことが多いようですね。
あと、やっぱり日本は、仕事の仕方が長時間で、休暇も取れない。 これ、山口さんもフランスに住んでおられたからわかると思うんですけど、こういう状態の中では、子どもをつくって、その上、その後も、仕事ができるかどうか。 大学のサバティカル(長期休暇)に関しても、やっぱり、なかなか大学で、取りにくいですよね。 学生だったら1年遅らせばいいというようなものですが、やっぱり、戻る所がない。 これまでの仕事を一旦やめたら、戻った時にはパートぐらいの仕事しかない。 これじゃあ、考えてしまいます。 一人目ならまだいいですが、二人目はどうしようか、となりますね。 このへんが変わらないと、出生率は上がらないだろうなと思います。
西村
同じ意見ですが、最近、面白い経験をしました。 日本の例外的な働き方のスタイルで、東南アジアの方と議論をした時のことです。 日本では、大企業でも、子どもを産んで、手当もある程度出て、1年ほど休むことができます。 その後、(仕事に)帰ってきた時、社員がいじめる、というんですね。 確かに、1年間のブランクのある人が帰ってきた時に、その人と仕事をするためには、それなりのエネルギーが要りますので、分からないでもない。 しかし、これを変えないと、もちろん、制度、手当とかいろんなことは必要ですが、根本的な日本人の労働観を、相当変えないといけないと思います。 フランスの事例を勉強さしていただいて、そのことが、一番、思うことですね。 それだけ、ちょっと。
山極
もう一つ言えばね、例えば大学でも、アメリカとかイギリスだと、就職をしたい時に、夫婦両方とも雇うというのが、ごく当たり前に行われているのですが、日本だと結構禁止しているところが多いですよね。 つまり、同じ所に夫婦がいると、利益誘導が起こるかもしれないとかいう話です。 だから、すごく共働きがしにくいんです。 どちらかが単身赴任になってしまって、子どもを保育園に預けても、片親だけで育てられなくなってしまうで、すごく流動性が妨げられるわけですね。 そういうことも改善していかないと、夫婦が一緒に働けるような職場を開放していかないと、多分難しいかなと思います。
山口
では、会場からいかがでしょうか。
三木
私、今、大学院生をやらしていただいてます。 定年までは、地方都市に単身赴任で企業経営をやっていました。 私は、団塊世代でして、今、自分で何をできるかを自問自答しまして、私の周りの人たちに対して、元気をつけていくということをやっています。 というのは、今、人口問題とかやっていきますと、団塊が悪いんやというふうな感じで討論されますので、いや、そやないよ、ということを、データ的なものを、いろいろ読み返して説明しています。 西村先生にもお願いしたいのですけれども、7㌻目のところの「生産労働人口」なんですけれども、基本的には、15歳から64歳までで、先生は15歳から69歳までとされています。 ところが、現実の世界は、今、大学を出て、20歳を超えているというわけです。 だから、20歳から69歳というのを、シミュレーションの一つに入れていただき、場合によっては、年齢の幅をもっと広げてシミュレーションをやっていただく必要があるのではないかと思います。
要は、マクロの人間性の〇〇という法則があるんですけども…、5段階論です。 私は6段階目が必要じゃないかと思います。 そうなってきますと、日本も捨てたもんやないよという気になってくると思うんですが、いかがでしょうか。
西村
今のお話、全く同じことを考えておりまして、まもなく、20~69歳の話もいろいろ試算結果を出します。 後の方の話ですが、私も68歳でよくわかりますが、これから、70代の生き方、80代の生き方、あるいは90代、100歳代の生き方、それぞれ、ちょっとずつ違うと思うんですね。 もちろん平均ですが。 で、こんなことはね、世界中で初めてのことで、こんな大勢100歳がいる国は、もう、ないんです。 だから、そこをいろいろな意味で考えていくというのは、とても大事だと思っております。 で、その時、やっぱり、今おっしゃったように、世の中のお役に立つためには、どうしたら良いかっていうことが、一つの非常に大きなキーワードになると考えます。 私、決して、きょう団塊いじめをしたつもりはありません。 時間的な関係で省略したんですが、NHKなんかみんなね、65歳以上は働かない、って分類するんですね。 しかし、そうじゃなくて、お金になるならないは別として、どういうふうに社会に貢献していただくかの、いろんなメッセージが広がっていくといいと考えます。 特に、私、個人的にはね、やっぱり、団塊の世代が「高度成長に寄与して、こんだけ豊かな世界を作った」ということは、ここまで出るのでいいたいでしょうが、これは我慢する。 つまり、これからの時代は、相当変わると思うので、自分たちが、昔、いかに苦労したかという話は、できるだけ避けた方がいと思っております。 ホント同じ意見でございます。
宮野 公樹(京都大学大学院思修館教授)
山口先生のおっしゃった、家族で住んじゃダメってお話は面白かった。 これは、すごく納得できて、職員さんも正しいことをしているんですよ。 いわれたことを守っている。 そう見た時に、少子化も結果論。 ある問題を解決しようとした結果なんですよ。 だから、そう考えた時に、少子化、そして高齢化…も、全然違った風景で、ぼく見えるんですよ。
ぼくらの幸福感、労働観って、いかなるものをもって理想として今ここに至って、次に、それは、いかなるものとして変わっているのか。 つまり、相当明るいものとして語ることができると思うんですね。
山口
今の話は、ワールドカフェのテーマになると思いますね。 つまり、これから、ぼくたちは、労働観ないしキャリアデザイン、あるいはワークライフバランスを変えていかなくてはならない。 どうやって変えられるのか、どう変えていこうかということを話すのがいいかなと思います。 では、お題です。 これから日本において、都市では超高齢化が起き、地方では、どんどん人口が減っていく。 こういう状況を目の当たりにした時、私たちは、われわれの労働観を変える、ワークライフバランスの仕方を変える。 まず、マインドを変えなくてはならない。 そのビジョンをどこに持つか。 そのビジョンに向かってどういうふうな仕方で近づけるんだろうか。 それを、話し合ったらどうでしょうか。
それから、きょうは滋賀医科大学学長の塩田浩平さんが、先ほど駆けつけてくれました。 一言お願いします。
塩田 浩平(滋賀医科大学教授)
私も、少子化がほんとに悪いことかなという感じを持っているんです。 インフラはいっぱい今まで作られているし、文化的には、日本は結構豊かだし、これからの世代は結構出来るんじゃないかと思ったりします。 それと、先ほどの宮野さんの話ではないですが、なぜ、政府とかは、ペシミスティックなことばかりいうのか。 もう少し、政策を進める時に、心理学者なんか動員して、みんなの気持ちが明るくなるようにするべき。 つまり、将来に希望を持てたら、子どもも産むし、結婚もする。 絶対に、今苦しいから結婚をしないのではなくってですね、将来に希望をもてる気持ちになったら、結婚をし、子どもも生まれます。 気持ちなんです。 前から思っていることですが、何で、こんな悪いことばかり言って、気持ちを暗くさせるのか。 ウソでもいいから明るい話を…。 そういうことを人口問題研究所にやっていただけたら、と思っていたんです。
西村
さっきも言いましたが、うちの研究所は、「子どもは減りません」といって「減ったじゃないか」と散々叱られたことがあるんです。 それから、「羹に懲りて…」で、本当に暗くなってしまった。 私は3年半明るくしようと頑張ってきましたが、ははは、なかなか明るくするのは難しかったですね。 とにかく、私は、明るい所長でやってきました。
長谷川
どうも、ありがとうございました。 では、山口さんから提起されました、どういうビジョンをかかげ、労働観、ワークライフバランスを変えていくのか-をテーマに、いつもの様に、スピーカー、ディスカッサントのチームに分かれ、ワールドカフェの討議に移りたいと思います。