活動報告/クオリア京都
第1回クオリアAGORA_2014/ディスカッション
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ディスカッサント
京都高度技術研究所理事長・京都市産業技術研究所理事長
西本 清一 氏
京都府企画理事
本田 一泰 氏
佛教大学社会学部教授
高田 公理 氏
京都大学大学院理学研究科教授
山極 寿一 氏
京都大学大学院総合生存学館教授
山口 栄一 氏
長谷川 和子(京都クオリア研究所)
有難うございました。 山口さんのいろんなデータを紐解きながら、分かり易く説明をされるスピーチは、私大好きなんですが、久しぶりに聞かかせていただきました。 で、きょうのテーマは「イノベーション・ソムリエ論」というような言葉も出てきておりますが、日本の産業をどう立ち直らせていくのかということです。 新しい産業をどのように見つけ育てていくのかを、これからディスカッションしていきたいと思います。 ディスカッサントは、ご紹介しております4人に山口さんも加わっていただき5人でお願いいたします。 ファシリテーターは高田さんにお願いします。 では、よろしくどうぞ。
高田 公理(佛教大学社会学部教授)
未だ聞いたことのない、独創的な考察に基づくスケールの大きい内容豊かな話でした。 ですから、私のファシリテートでうまくいくかのかどうか、心もとない限りですが、まずはディスカッサントの皆さんの印象をお聞きしましょう。 西本さん、いかがでしたか。
西本 清一(京都高度技術研究所理事長・京都市産業技術研究所理事長)
ちょっと、山口さんに質問したいことがあります。 直感的に言うと、日本が、では、1990年代以降に、コアになる学問分野、これは誰が見たってしっかりとわかった枠組みなんですけれども、そこから、ワァーッと拡散していったんですね。 一方、ちょうど日本がそうなり始めるところあたりで、アメリカは日本に相当危機感を持ち始めた。 日本が「JAPAN AS NO.1」といわれた頃のことです。 その辺りはひょっとすると「相転移」といわれたところかもしれないんですけど、日本は、フワーッとコアの部分から周辺へ拡散して行った。 訳の判らない名前の学問分野を、いっぱい作っていった。 これに対して、アメリカは原点に回帰して、基盤的な学問分野をしっかり固めたのかもしれない。 このパターンが認識として正しいのかどうか、先ず伺いたい。
それと、「SBIR」政策なるものです。 ある分野の、「馬の骨」とおっしゃいましたが、こういう素性の者に補助金なり助成金を出しただけでは、実は何も起こらないわけで、どういうふうなミッションを与え、どういう成果を期待したのか。 SBIRについて、もうちょっとディテールを聞かせてください。
山口 栄一(京都大学大学院思修館教授)
日本は工学とか医学とか、いわゆる実用的な学問群に拡散していき、逆に、アメリカはコア学問に着目したという質問なんですけど、日本という国は、もとより工学教育が非常に優れている。 工学教育が優れているので、今の日本があるんだと私は思っております。 だから、工学教育は今のままで良い。
日本において工学が強いのは、文化的ないし歴史的な背景があります。 ご承知の通り、ヨーロッパは、奴隷の文化に属する「テクネ」を今でも無意識に蔑む傾向があります。 それに対するものが「リベラルアーツ(liberal arts=言語にかかわる3科目と数学に関わる4科目の7科)」で、「アルス(ars)」と呼ばれていて、リベラルアーツに重きが置かれてきた。 「ソフィア(sophia」といっても良いでしょう。
テクネというのは今でも貶められていて、ヨーロッパでは、なかなか、工学部には、みんな行きたがらない。 一方、アメリカは19世紀というイノベーションの世紀を経ていますから、工学部は、スタンフォードやMITのお陰で、日本に近い。 日本は、世界で最初に工学部ができたので、非常に権威があり、重要な学問的伝統を持っています。 日本は、テクネをよしとする文化をずっと持っていて、これは大事です。
問題は、そのことではありません。 むしろ、日本では、リベラルアーツが捨てられ気味だということこそ問題なのです。 日本で唯一東京大学が成功しているのは、教養学部と「進学振り分け」のおかげだとよくいわれます。 東大には、今でも教養学部があって、理系に哲学などを、きちんと教えている。 西村周三さん(京大名誉教授)には、次々回でお話をしていただきますが、副学長時代にずっと、「東大の教養学部の存在はうらやましい」と、おっしゃっていました。
まして、リベラルアーツの中から、こうやって新しい産業が生まれるんだっていうことは、ぼくらとしては驚きでした。 ここにどんな思想があるのかは、これから、よく咀嚼しなきゃいけないですが、ともあれ、アメリカは、当初そこまで深く考えていなかったと思います。 アメリカもやっぱり、ピュアサイエンスの人たちってのは、なかなか就職口がない。 アカデミックポストは、これから、どんどん減っていく。 ですから、どうしようかと思った時、彼らを「イノベーター(innovator)」にしようよ、という風に思いついたんだと思います。 で、それがうまくいって、結果的に成功したんだと思います。 ですから、これ、日本も真似するべきではないか。
今、ご承知の通り、日本では、博士号を取らないという現象が始まっています。 特に、生命科学でそれが多いですね。 生命科学は、博士号を取っちゃうと就職口がなくなってしまう。 就職口がなくなっちゃうので、修士で止めておくという不思議な傾向が始まってます。 ですから、今、博士号を取る人がどんどん減っているんですね。 その結果、日本で何が起こっているかというと、学術論文の数が減ってるんですよ。 物理学と生命科学で、世界で唯一論文が減っている国です。
だから、日本において実は、アメリカ型SBIRのような道があるんだということを示すことはすごく大事です。 今や、生命科学の時代がやってきました。 iPS細胞の発見というミラクルが生まれたこともあるので、生命科学の人たちがアカデミックポストへ行くばかりでなく、イノベーターとして活躍できる道を作ってあげなければいけない。 これが、私たちの使命だろうと考えます。
次は、2番目、SBIRについてです。 アメリカ版SBIRは、ほんとによく考えられた制度なので、私たちプロジェクトのメンバー5人でもって、この3月にアメリカに渡りました。 そして、10日間住み込みまして、まず、プログラムディレクター、科学行政官側、つまりファンドを出す方の11組と、ファンドを貰った方、SBIRをもらってフェーズ1を立ち上げたばっかりの人10組に会いました。 驚くべきことに、私たちは、無作為抽出を行ったんですが、もらった方の10人は何と9割が移民なんですよ。 インドとか韓国とか南米とかからの。 それで、最後に、なんでこんなに移民の人が多いんでしょうねと聞いたんです。 すると答えは、やっぱり、リスク・テークしなきゃいけない。 もう移民は後がないから、という答えが返ってきました。
それと、もう一つ面白いことがわかりまして、こういう風にベンチャー企業を作る人たちってのは、「お金儲けしたいんだろう」っていう感覚で見がちです。 それは、日本の深い伝統に根ざしていて、「お金儲けは悪」だっていう感覚がある。 だけど、バイオ産業のベンチャー起業家は違うんですよ。 例えば、インドから来たナルレインさんって人は、「私たちはお金に興味はない。 研究がしたいから会社を起こすんだ」ときっぱりと語りました。 彼女は、ずっとフェーズ1ばっかりトライしているんですが「フェーズ1は、たかだか1000万円。 それで薬が作れるはずがない」というんです。 行政側もよくわかっていて、出す側としては、研究をやらせて少しでも前に進める。 そして、それをライセンスして大企業が買うというモデルの基にやっている。 ライセンスして売って、次の研究にかかる、つまり、これって、新陳代謝を起こすための装置なんですよ。 よく考えられていると思います。
日本には、ほんとの意味でのSBIRという制度はないし、バイオベンチャーというのは、ほとんど存在しません。 ですから、大企業だけで戦おうとすると、「演繹」の方にしか行けません。 「創発」軸、あるいは「回遊」軸が成立しないんですね。
プログラムディレクター側の話もしましょう。 彼らは、全員が白人のアメリカ人でした。 そして極めて美しい英語を話します。 それで、彼らに聞いたんですよ。 全員に。 「あなたのアイデンティティーは何ですか。 政府の役人なのか、それとも何なのか」と。 すると、「おれたちは政府の役人なんかじゃない。 サイエンティストだ」というんですね。 これ、目からうろこでした。 日本人にとって、サイエンティストはリサーチャー、つまり研究者です。 ところが、アメリカ人にとってのサイエンティストは、SBIRを運営して産業を起こすようなことをやっている人もサイエンティスト。 SBIRをもらっている連中も、アイデンティティーは何かと聞くと、全員がサイエンティストといいました。 つまり、会社を起こすのもサイエンティスト、大学に残る連中もサイエンティスト、それからプログラムディレクターもサイエンティストです。
しかるに日本には「科学行政官」という仕組みがありません。 実は、名目上、プログラムオフィサーという制度はありますが、これは似て非なるものです。 誰がやっているかというと、官僚、上級職とった高級官僚がやっている。 彼らは、ほとんどが法学部、経済学部を出た事務屋上がりの人が多い。 で、科学の訓練を受けていない。 だから、研究とは何かがわかっていないんですよね。 研究とは何かがわかっていない限り、「創発」軸とは何かすらわからない。 ここが、日米の決定的な違いだと思います。
高田
なるほど、議論はアメリカと日本の比較から始まったようです。 で、まず、アメリカでは基礎科学というか純粋科学の領域で本質的な革新をもたらすような科学者の営為を奨励し、そこから新しいビジネスを生み出す工夫を触発するという戦略を採用したわけですね。 その際、医薬品を例に取り上げると、SBIRが課したオブリゲーションは、必ずしも有効な新薬の創出でなくてもいい。 そういうイノベーションに役立つ何か新しい知見が生み出せれば、それを大企業が買ってくれるような仕組みを作った。 こう理解してよろしいか。
山口
これは「SBIR Award」っていわれているんです。 つまり賞金ですよね。 グラント(grant)の場合、あげっぱなしです。 もう一つ、コントラクト(contract)というのがあって、これ日本的な補助金制度です。 しかしSBIRでは、ほとんどグラントです。
高田
そういうのにハングリーなサイエンティストが応募するわけですね。 その際、評価を下すのはWASP(White Anglo‐Saxon Protestant)なんですか。
山口
はい、科学行政官の側は、WASPかどうかわかんないですけど、ホワイトですね。
山極 寿一(京都大学大学院理学研究科教授)
ちょっと質問したいんですけど、SBIRをもらった人たちがコアなところにいるっていうのは、非常にクリアに分かりました。 それで、うかがいたいのは、ミッションという話がありましたけども、そういうコアな学問を修めて学位をとった人たちに、どういうテーマを与えるんでしょう。 サイエンティストというのは、やっぱり自分の学問領域の中で、それだけの知識を持っているわけで、それを活用してどういうことをするのが求められるんでしょう。 つまり、何やっても構わないという形でテーマを与えられるのか、あるいは、非常に細かな目的意識を持たされるのか、どっちなんでしょう。
山口
非常に細かい目的意識を持たせるようです。 テーマの「粒度」という言い方をしますが、粒度が細かいというか、個別具体的なんですね。 例えば、何人か聞いた中で、さっきのナルレインさんの場合でいうと、「薬へのアディクション(addiction=嗜癖、常用)のメカニズムを探って、それを止めるような薬あるいはその方法をみつけてほしい」ということに対して応募してそれに受かったというものです。 具体的に薬を作りなさいというテーマではないんですよ。
それで、興味深いのは、私たち論文数を調べたんです。 すると、日本の企業からの論文数は、1996年を契機に、単調につるべ落としで下がっています。 日本では、企業はもう研究をしなくなりました。 ところが、このSBIRをもらったベンチャー企業は、驚異的に論文を出していてその数が年々ものすごい勢いで増えています。 論文を出して、絶えず学会活動をしている。 彼ら起業家は、やっぱり科学者なんですね。
高田
分かりやすいように「我が田に水を引く」のですが、それって、こういうことですか。 ぼくらは以前から、「今後は観光や嗜好品文化や睡眠文化などが大事な意味を持つようになる」と考えてきたのですが、こういう分野の研究には、文部科学省の科学研究費は、なかなか支給されません。 で、日本たばこや近鉄といった関連企業からお金を出してもらって、こうした分野における若い人たちの研究企画を募集するわけです。 むろん額は、1億円などとはほど遠くて、1件あたり5、60万円に過ぎません。 でも、多いときには4、50件の応募があり、うち5、6件を採択して、彼らに自由に研究してもらう。 すると、大学での既存の研究とはひと味ちがう面白い研究成果が出たりするわけです。 アメリカのSBIRも、要するに、「1億円で、いっちょう面白いことやらへんか」ということなんでする。
山口
そうです、そういう話です。 実はですね、アメリカは、大学院生、あるいはポスドクをイノベーターにしようっていう意図が強いので、サービス産業には、お金は出ないですよね。 ところが、台湾は、1998年からSBIRを始め成功したので、この成功を糧に、2005年から、SIIRっていう世界で初めてのことを始めています。 「Service Industry Innovation Research」で、まさに観光産業などを対象に、SBIRを始めた。 これ、台湾人のオリジナリティーだと思います。
高田
それは、国が主体として実施している事業なんですか。 日本の文科省の場合は、オーソドックスというか、ガチガチの学問でないと金が出にくいという印象があるのですが……。 と申しあげたところで、今後は皆さんのご質問を受けつけながら、今日のお話の輪郭を捉え直していこうと思います。 本田さんいかがですか。
本田 一泰(京都府企画理事)
2、3お尋ねします。 まず、SBIRのテーマなんですが、これを設定するのは誰でしょう。 それから、このテーマに沿って採択された方が出した成果を、どうマーケットに商品として転化していくのか。 これも誰がするんでしょうか。
山口
これ、両方とも。 プログラムディレクター、あるいは、プログラムマネージャーと呼ばれる人たちです。 私が会ったのは、WASPかどうかわかりませんけれど、全員白人でした。 プログラムディレクターの重要な仕事はテーマ作りです。 これになるための資格要件がありまして、4年以上の研究経験があること、PhDを持っていること等々。 実際、ポスドクに聞いてみましたらね、みんなプログラムディレクターになりたがっていました。 研究者と違って身分保障されますし、永久雇用(tenure)ですから。 ただし、DODの一部とか、DOEの一部はtenureではありません。 いずれにしろ元来プロの研究者なんですね。 全員が口を揃えて「サイエンティストだ」というのは、こういうことが理由です。
それから、例えば、DODとDOEの場合は、フェーズ3でベンチャー企業からその製品を政府調達します。 つまり、強制的に市場を作っちゃうわけですね。 あるセンサーを作れという時、もともと市場のないところに作らせるわけですから、作っても売れないと困っちゃう。 それで、そうやって政府が調達するわけです。 NIHの場合は、ベンチャーキャピタルを紹介して、ベンチャーキャピタルのお金を入れてもらうというやり方ですね。
高田
日本の場合は、科学研究補助費(科研費)というのがあります。 これと同様の、お金のばら撒き方は、アメリカにもあるんですか。
山口
あります。 NSF(National Science Foundation=国立科学財団)がやっていて、日本と同じです。 で、SBIRとの関係が面白くて、先に話したように法律で、現在、R&D予算の2.8%はSBIRに回さなければならない。 したがってNSFも、総額のうち、2.8%はSBIRに費やしている。 これ、ある種の自己矛盾を孕んでいるように見えます。 つまり、NSFは、純粋基礎研究に対してお金を出すわけですが、そのうちの2.8%は「会社を起こしてくれ」というわけですから。 ただ、今までお話してきたように、これ、一見矛盾しているようですが、実際に蓋を開けて見てみると、そうしてSBIRでお金をもらった人は、企業を起こして純粋基礎研究をやるわけなんですね。
山極
多分、日本の科研費のシステムとか、あるいはJST(Japan Science &Technology Agency=科学技術振興機構)の研究費だとかいろんなのがありますけど、それは、まあ、個人にも出ますが、基本的には、組織に出るんですよね。 組織に出て、期限を切って成果を問うわけだけれども、それは市場には結びつかないですね。
山口
そうなんです。 そこがすごく大事です。 日本の科学技術予算っていうのは、全部、組織につくか、大学の先生につきます。 大学の先生は、会社を起こそうとは毛頭思いません。 ですから、会社を起こそうというインセンティブのある人にはお金はいかないんですよね。 会社を起こしたいと思うのは、大学院生でアカデミックポストの少なさに不安を覚えていたり、ポスドクで、もう後がないと思っていたりする若者たちです。 その無名の人々にお金を付けるというのは、巧みなシステムだと思います。
山極
きょう、山口さんがおっしゃったことで一番印象に残ったのは、「サイエンティスト」っていう概念です。 日本だとね、例えば、役人になっちゃうと、サイエンティストじゃないんですね。 あるいは、地方の役所の環境政策部に入るとかすると、たとえ学位を持っていて、科学に関することをやってるんだけども、自分は科学者ではない、っていうかサイエンティストであることを断念してしまう。 社会的にそうなってしまう。
アメリカはね、多分、一つの職場に長いこといない、フリーランスが結構多いのかもしれないし、まあ、自分で、いろんなところを渡り歩いていけるのかもしれない。 それと、自分の科学者としての資質というものを世間も自分も認めているんじゃないか。 そういうところで違いがでてきているのかなあ。
山口
実は私、科学行政官、プログラムディレクターたちに、あんまり「I am scientist」というもんですから、「あなたのサイエンティストの定義は何か」と聞いたんです。 すると、彼らは、ちょっと怪訝な顔をしながら「だって私は、PhDを持っている」というわけです。 これを持っているということは、研究をしてきた証で、その後、ポスドクをしばらくやって研究をしてきた。 そして今、そのキャリアを活かして、今度は政府のプログラムを回そうとしているんだと、いうんです。 ですから、マインドセットは完全に科学者なんですよね。
高田
もしかすると、就労をめぐる日米の文化の違いが絡んでくるのかもしれません。 そういう意味で「制度の問題」だとおっしゃるのも理解できます。 例えば、日本人が会社に就職する時には「就職」といいますよね。 でも、これって本当は、就「職」じゃない。 就「社」あるいは、就「組織」というほかないわけです。 それに対して「職」は「プロフェッション」です。 こうした問題をめぐる意識のありようが、日本とアメリカでは、かなり違うんではないかという気がするのですが、いかがですか。
山口
おっしゃる通りだと思います。 彼らのアイデンティティーはPhDを持っているところから始まっていて、そこからにじみ出てきています。 PhDを取るっていうことは、やっぱり、彼らにとっては、一つ、何かを飛び越したということなんです。
高田
日本でPhD、つまりは博士号を取得するというのは、研究者としての運転免許を取得するといった意味しかないように思います。 いわばタクシードライバーになるのに、第二種運転免許が必要だというのと同じだというわけです。 そういう環境のもとでは、博士号を取得したのだから、「私は科学者、研究者として生きていくのだ」といったアイデンティティにかかわる意識を新たにすることには、ならへんのかも知れません。
西本
日本とアメリカのPhDの違いなんですけど、一つは、アメリカの場合、PhDを取っていると、就職した時に給料が1.7倍になるんです。 日本の場合、特に工学系では、修士が一番の売り手市場なんですね。 ある程度知識はあるが、偏屈ではない。 技術者として一番使い勝手がいいのが修士なんです。 ところが、アメリカの場合、マスターはドクターの落ちこぼれなんです。 途中でドクターコースを抜けちゃったことになるんですね。 日本の認識と全く違う。
それで、私は工学系にいましたから、民間企業の人に、もう少しドクターの給与体系を見なおしてください、とお願いしたことがあります。 しかし、日本の企業の給与体系は、すべて国家公務員の給与体系に準じているわけです。 ということは、学部卒が一つの基準になってるんですね。 それで、彼らがいうには、少数のPhDのために別の給与体系をつくるなんて手間なことはかなわんということなんです。 で、どうなるかというと、学部卒で入社して5年経った人の給与レベルに近い初任給でおさめるんです。 これでは、アメリカのように、学位を取っていい生活をするというモチベーションは湧いてこない。 なぜかというと、5年間、学生は余計に月謝を払っている。 つまり、その間、自分の能力なりスキルを高めるために5年分の自己投資をしているわけで、日本の給与体系ではそのバランスシートがとれないんです。
高田
くわえて今ひとつ、日本の企業の雇用慣行や人材育成のやり方が関連していそうです。 つまり、日本の企業は、大学や大学院で、ややこしいことをいろいろ覚えて来てくれるより、入社したあとに社内で、きちんと叩き上げるほうがええ。 ずっとそういう考え方でやってきたわけでしょ? それに対してアメリカ社会の場合は、仕事に必要な能力は、入社する以前に大学などで、きちんと身に着けて来い。 そうすれば、その能力を適切な価格で買い取ってやろうじゃないか。 こうした雇用慣行の問題が影響していませんか。
山口
今の両方のお話に、私なりの意見を申し上げると、たとえば私は、理学博士です。 理学博士っていうのは、70年代、80年代は、全員がオーバードクターになる時代でした。 そういう時代でしたから、われわれは腹をくくっていました。 どういうふうに腹をくくっていたかっていうと、博士っていうのは、別に運転免許ではないんだ。 これで、会社に入っていい目を見るとかのために取るんじゃなくて、やっぱり、自分のためなんだ、と。 自分が、なにか突き抜けるために取るんだ。 自分が、ある新しい「心の丈」を身につけるために取るんだっていう風に思っていました。
京大に移る前に、同志社で、13人の博士課程の学生さんを持っていて、ほぼ全員が社会人でしたけど、彼らに言いつづけたのが、「博士号とったところで、何の飯の種にもならない。 いわば、足の裏にくっついている米粒みたいなものだ。 だから資格みたいな考え方をやめて、むしろ、これによって、自分が新しい達成をする、違う軸に自分を置いてみる、というふうに思おうよ」ということでした。 これは、彼らにとっても一つの励みになったと思います。
たとえば、フランス人も同じだと、私がフランスにいた時に思いました。 フランスも、博士を持ったところで、アカデミシャンにはなれませんから、会社に勤めるわけです。 ある女性の博士論文の審査員をしたときのこと、めでたく審査に通って、最後に晩餐をしました。 それで、この後どうするのかと聞いたところ、博士の研究とは全く違う仕事につくというんです。 それで、なぜかと問うと、彼女は、博士号は、自分の納得行く人生を送るために取るもので、職業とは関係ないと、あっさり言っていました。 さすがtravail(労働)は拷問と思う国で、これは一つの達観だと思います。
それから、さっき高田さんがちょっとおっしゃった採用者のOJTの問題です。 じつは今日本のハイテク・ベンチャー企業は、博士号を持った人がほしいんです。 今の最先端の知識は、修士では足りないんです。 ところが、不思議な現象が起きていて「ポスドク1万人計画」のために、博士が労働市場に出てこない。 ポスドクになると33、34歳になっちゃうんで遅すぎる。 28、29歳の人を採りたいんですけど、いないんですよ。
山極
きょうは、「ソムリエ」という話なので、そのへんの話をすると、山口さんは、今や修士ではなく、博士が必要というお話でしたが、日本の一般的な企業は修士が適当と思っていて、アメリカでは博士が求められている。 これは、企業の戦略の問題なのか、つまり、どの国で博士をとっても内容は変わらないはずです。 この必要とする違いは、何なのか。 応用の仕方が違うんでしょうか。
山口
これ、もうちょっとちゃんとインタビューしないといけないとはっきりしたことは言えませんけど、アメリカの場合は、明らかに戦略としてPhDを採っていますね。 PhDを取った人間が最先進の知識を持っているから、そこでブレークスルーするんだっていう感覚でいますよね。 で、かつ、小さい企業であればあるほど博士を採る傾向にあると思います。 そういう観点でいうと、日本の企業は遅れすぎ。 多分30年ぐらい遅れているんじゃないですか。 未だに修士を珍重しますよね。 博士は、変な知識が付き過ぎちゃっていてダメだといいますけど、これ、日本の企業が落ちぶれていく一つの原因になっているんじゃないですか。
高田
ここらで、会場からのご質問、ご意見をお願いします。
村上 路一(奈良女子大学社会連携コーディネーター)
実は、私、いくつかのベンチャーを起こしております。 最初は、阪大、京大とLSIの設計会社を、続いて、東大と宇宙情報研究所を作り、3番目は、京大、京都工繊大学とシリコンカーバイトの会社を作ったわけですが、みんなうまく行きませんでしたが、面白い、すごい経験になりました。 今も、奈良女でコーディネーターしておりますが、それで思ったのは、今の大学の先生たちの教育では、お金出して、日本でSBIRとかそういうものを作ってもダメだろうというふうに思うんです。 一つの例を言いますと、奈良女でものすごいできる先生とディスカッションしたことがあります。 ある会社から、筋肉量とかを測る機械がありますが、昔、その開発の依頼があったんです。 でも、私は断ったんです。 その先生と話して、こりゃダメだなと思ったわけですよ。 というのは、その先生は医学の先生だったんですが、工学的な、また、さっき山口さんがハブになるとおっしゃった情報工学的なアプローチが全然ないんですよ。
大学の先生に言いたいのは、世の中は、できるかできないか、とか制度がいいか悪いかとか、閾値が極端にある場合は通用するかもしれないが、実は、世の中の出来事っていうのは閾値がなだらかで、ほとんど消費者が決めている。 それを大学の先生が決めるってのは、とんでもない大間違いで、ふざけた話です。 そういう先生に教わった学生に、いくら金をやってもダメなんじゃないか。 実は、私、1990年にスタンフォードに1年間留学させてもらったのですが、その時思ったのは、スタンフォードでは、やっぱり、意思決定論とか、そういうMBA的な教育をみんなにやらせてるんですね。 いかに問題をとらえて解決していくかというやつですね。 きょう、山口さんの図では、経営学はちょっと離れたところにありましたね。 経営学っていうのは、学問になっちゃうとダメなんですね。 MBAの教育が一番役に立っていて、端的な例を言いますと、今、「けいはんな」でいろんな大学が集まって「地域イノベーション」ってのをやっていまして、一番成果をあげているのは奈良女なんです。 それは、何故かと言うと、呼んできた医学博士の先生が「技術経営修士」を持っている。 ビジネスがわかっているんですね。 学問とイノベーションの違いがわかっている。 それに、薬剤師でMBAを持っていたり、私のようなベンチャーをやってきたコーディネーターがいるからと思うわけです。 いろいろいいましたが、私が思うに、結局MBAを持っている人とコアな研究者を、いかに結びつけることが大事なんだと思うんですね。
山口
今のお話の中で、アクターが3人出てきたと思います。 一人が大学の先生、二人目が大企業、そして三人目がベンチャー企業。 それぞれ役割分担があると思うんです。
大企業は、今や何かまったく新しいブレークスルーを創るってことはできなくなったと思います。 私のイノベーション・モデルでいうと、演繹と帰納しかできない。 要は100億円以上の売上げが見込めないと着手できない。 結局、ソニーのようになっちゃうんですね。
だから、演繹と帰納は、大企業が役割分担をする。 あと、ブレークスルーを起こしてくれる人の大部分は、大学の教員です。 しかし、大学の教員に会社を起こせといっても、それは無理です。 彼らは身分保障されているし、そのような能力を持っていない。 会社を起こせるのは、ベンチャー起業家だけです。
したがって大事なのは、この共鳴場をちゃんと作ってやることですね。 こういうところを、大学院という場にこしらえなくちゃいけない。 せっかく、思修館というのができて、もう、研究者ではなくて、グローバルリーダーを養成しようとビジョンを決めているんですけど、これをブレークスルーの方にどうやって持っていけるかが課題ですね。
それから、MBA教育なんですけど、実は、私は最初、同志社から請われてMBAのビジネススクールの教員としてやってきました。 MBA教育は、確かに大事なんですけども、強調し過ぎるとかえってよくない。 MBAというのは、マネジメントを教えるわけですよね、マネジメントっていうのは複雑さに対応する機能です。 これが強すぎると、リーダーシップを阻害してしまう。 リーダーシップというのは変化に対応する機能なんです。 そこで、マネジメントとリーダーシップは役割が異なるので、マネジメントを言い過ぎると、リーダーシップが抑えられちゃって、結果的にこの「帰納」、「演繹」の方にしかいかなくなっちゃう。 「創発」ができなくなる。 だから、程よいバランスが必要なんだろうなあと思います。
村瀬 雅俊(京都大学基礎物理学研究所准教授)
お話を聞いていて思うのですが、日本では、今、さっきのお話で出ていた「プログラムディレクター」っていう存在が、必要な時期なんじゃないんですか。 いくら大学を変えても、そこがないとかなり難しいんじゃないでしょうか。
山口
そうなんです。 今まで、一言もいわなかったのですけど、だから、イノベーション・ソムリエが要るのです。 つまり「目利き」ですよね。 俯瞰的に眺めて目利きをする人。 それが決定的に足りないわけですよ。 プログラムディレクターになれる人、全体のグランドデザインを描ける人がいないんです。 それで、イノベーション・ソムリエなんです。 イノベーションに軸足のある人が、お互いに手を結び合うっていう仕組みです。 それで、イノベーション・ソムリエのチームが出来る。 こういうのを作りたい。 それぞれ「たこつぼ」に入っているのが日本の原状ですが、こういう共鳴場が作れれば、アメリカのプログラムディレクターのような役割を担う人が生まれていくのではないかと思います。
池本 貴志(旭化成イーマテリアルズ)
成功の定義にもよると思いますけど、SBIRで上手くい率はどのぐらいでしょう。 また、どのぐらい成功させたら、プログラムディレクターは、ああすごいといわれるんでしょう。
山口
成功率は、およそ5%くらいですが、正確な値は今、カウントしています。 たしかに成功率は、そんなに高くないです。 累積したキャピタルゲインは35倍ということになるんですが、その裏には、確かに随分死んでるベンチャー企業が確かにいます。
河合 江理子(京都大学大学院思修館教授)
プログラムディレクターといわれている人たちは、そのお金、1億円なり、1千万円なりあげた、その先の成功ってことに対しては、どう評価されるわけですか。
山口
これは、重要な質問ですね、ワシントンDCに行って、NIHのオフィスを11カ所回ってプログラムディレクターにいろいろ聞いたんですけど、最初は嫌々の対応でした。 それで、われわれは、(今日お見せしたような)こういう結果を出したんだよと言うと、突然食いついてくるんですよ。 「どうやって、こんなデータを出したんだ」と逆に聞かれる。 よくよく聞いてみると、ファンドした後がどうなったかのアセスメントしてないんですね。 そんなことをしている時間がないということで、ぜひとも協力してこれからやっていこうということになりました。 11カ所回って、どこでも全員が同じことをいいましたので、とにかくやってないんだと思います。 アメリカというのは面白いところでですね、アセスメントをせずに、どんどん進んでいるということが分かりました。 ぜひ、データのパブリッシュされたものをくれといい、「これでもって、初めて自分たちは誇れる」と言っておりました。 余談ですが、彼らは、思修館の海外武者修行も、喜んで引き受けると全員がおっしゃってくれました。
山口
これは、重要な質問ですね、ワシントンDCに行って、NIHのオフィスを11カ所回ってプログラムディレクターにいろいろ聞いたんですけど、最初は嫌々の対応でした。 それで、われわれは、(今日お見せしたような)こういう結果を出したんだよと言うと、突然食いついてくるんですよ。 「どうやって、こんなデータを出したんだ」と逆に聞かれる。 よくよく聞いてみると、ファンドした後がどうなったかのアセスメントしてないんですね。 そんなことをしている時間がないということで、ぜひとも協力してこれからやっていこうということになりました。 11カ所回って、どこでも全員が同じことをいいましたので、とにかくやってないんだと思います。 アメリカというのは面白いところでですね、アセスメントをせずに、どんどん進んでいるということが分かりました。 ぜひ、データのパブリッシュされたものをくれといい、「これでもって、初めて自分たちは誇れる」と言っておりました。 余談ですが、彼らは、思修館の海外武者修行も、喜んで引き受けると全員がおっしゃってくれました。
高田
きょうの話を聞きながら、出版の世界でも似たような変化が起こっているような気がするのですが……。 というのも、日本の出版界では、大家の小説家などを編集者が、「先生せんせい」と、太鼓持ちよろしく、大いに持ち上げながら、高級な鮨屋なんかに招待して、「ぜひ、うちの出版のために名作を書いてください」などと言って、いわば丸投げで原稿執筆を依頼してきたわけです。 そういう時代が、ずーっと続いてきたのですが、いよいよ昨今は出版不況で本が売れない。 結果、大家の作品なら必ず売れるというわけに行かなくなってきた。 そこで編集者の力量が問われるようになり、相対的に編集者の地位が高まりつつあるように思えるんですね。
とえば見城徹さんという伝説的な編集者が経営している幻冬舎という出版社があります。 ここが出版する本は必ず、一定程度以上の売れ行きを示すようです。 というのも、著者だけではなくて、第一読者である編集者が繰り返し駄目出しをしながら、著者と二人三脚で本のコンテンツ制作に当たるわけです。 編集者という「目利き」の役割が大きくなってきたわけです。 ついでに言っておきますと、最近の文学賞のなかでは、大家が選ぶ芥川賞や直木賞より「本屋大賞」を受賞した本が一番面白い……そういう気がします。
で、何が言いたいかというと、今の話に出てきたプログラムディレクターですが、彼らは科学者に対していろんな注文を突きつけるわけでしょ? ちょうど出版業界でいえば、編集者に近い役割を果たしているように思える、というわけです。
山口
そう、そういう関係ですよね。 その通りだと思います。 要するにプロデュースしているんですね。 研究にしても、こういうベンチャー企業にしても、プログラムディレクターたちがプロデュースしている、そこが重要な点だと思います。
山極
イノベーション・ソムリエというコア学問で目利きの人、これを、山口さんは育てたいとおっしゃいましたが、いろんな学問を分野横断的にまずは切磋琢磨する場所が必要ですよね。 あるいは、その人材に対する背景とかが要りますね。 それは、例えばどういうものを考えていらっしゃるのか。
山口
うーん、あの、非常に素朴な形だと、思修館みたいな形がいいのかなと思うんですが、それだけでは不十分です。 それで、とりあえず、分野横断的なのはあるんですけも、分野横断っていうのは、π型人間を作る時の一つの彫り方がどうしても浅くなっちゃいますよね。 だから、それでは突き抜けることができない。 突き抜けることができるというのが非常に大事で、突き抜けられて、なおかつ場を提供して、もう一つ別の分野で掘り下げるというのをどうして可能にするかというのが課題ですね。
山極
制度的には、どういうものが必要なのか。
山口
思修館というのは、とにかく重要な第一歩だと思います。 「共鳴の場」を作り、さまざまな分野の人がいて、さまざまなことをやるっていうのは、まず必要なことで、これまでなかった試みですから、これをまず頑張りたいと思います。
本田
コア学問っていわれている枠組みは、時代によって変わり得ることはありますか。
山口
はい、もちろん変わります。
本田
そうすると、プログラムディレクターはどの分野の人か、それを選ぶ基準はどうなのか。
山口
アメリカのSBIRを詳細に調べていくと、コア学問の出身者がプログラムディレクターになっていて、選ばれる側もコア学問の人々が多いということがわかります。 生命科学の辺に重心があって、アメリカは、どうやら1980年代後半ぐらいから、政策的に生命科学に重心を置いて、意識的にバイオ産業を育てようと思ったという気がします。 つまり、アメリカは、1970年代はハードウェアの時代、80年から90年はIT(ソフトウェア)の時代。 90年以降は生命科学の時代がやってくると見抜いたということなんでしょうね。 もしそうなら、それは優れた俯瞰能力だと思います。
西本
山口先生のお話をお聞きして、今、ぼんやりと考えている要素もあるので、一つ問題提起としてお話ししたいと思います。 実は、社会構造が、アメリカと日本では全く違うので、SBIRなるものを、どうやりこなしても日本では成功しないと思います。 アメリカという社会は、ファンクションでチームを組む社会なんですよね。 一握りの資本家のファミリーがあります。 これは、おやじから金をもらって、すってもいいからこれで何か事業を起こせ、といわれている若者の機能が一つ。 それから、SBIRっていうのは、まさに移民が多いといわれたのはそれで、移民というのは、もうあとがない訳ですよね。 とにかく、アメリカの社会で生き抜くために、まず、学位を取る。 学位を取った後、会社を起こすような金をくれるんだったら御の字ですね。 食いつなげるわけですから。 それと、先ほどのすってもいい金をいっぱい持っている若者と組めるんですよ。 そして、なおかつアメリカは投機的な社会です。 決して最後まで会社を育てようということはしない。 価値が生まれ、リターンがあるとみれば、さっさと売っちゃう。 アングロサクソンの白人の一握り、いわゆるWASPというのは、とにかく利益をもたらして好循環を生むことを宿命付けられている人たちです。 それができなければ、おやじから見放されてしまうようなプレッシャーを感じながら生きている。 ということなので、一般論として言えば、今、SBIRの制度がたまたまうまくいったのは、移民という機能、PhDを取ってサイエンティスト称している人たちをうまく使いながら、経済価値を高めようとする資本社会の仕組みが備わっているからではないか。 その故にアメリカではSBIRが成り立ったと思うんです。
山口
おっしゃる通りです。 日本に、アメリカのSBIRはそのままでは輸入できないと思います。 日本人はすごく真面目だし、すごく忠誠心が強いし、これは良いところ。 お金を儲けたいとは思わないし、公徳心も強い。 この文化的特徴をうまく活用しながら、日本社会から新産業がなくなっていくようなことを、どうやって食い止めていくのか。
西本
そういった日本のよさは、これまではあったんですが、これからが危ういと思っています。 どう見ても、こんなに社会構造の違うアメリカの流儀で行こうとしているところが危うい。 日本人の基本となるメンタリティーに合ったようにカスタマイズした仕組みを模索せないかん。 向こうで成功したものを、そのまま移植すれば、それでうまくいくと思うのは大きな誤りだと思うんですね。
高田
さて、ワールドカフェに移る時間になりました。 そこで今日の議論を思い出しますと、山口さんがスピーチで強調された「創発」と「回遊」については余り議論が出なかったような気がします。 でも、SBIRは多分、「創発」と「回遊」を制度的に担保するような仕組みなのではないかと思えるんですね。 そこで今日のワールドカフェでは、「どうすれば『創発』と『回遊』が盛んに起こるようになるのか」といったあたりを議論すればいいのではないかと思います。
と申しあげたところで、思い出したことがあります。 昔、塚本幸一さんが社長をしておられたころのワコールでのことですが、何年か真面目に働いてきた社員を半年か1年、思い切って遊ばせる「ぶらぶら社員」といったような制度を作ったんですね。 すると、その期間に全国のあちこちの大学なんかに遊びに行って、新素材の形状記憶金属に出会った社員が、それをブラジャーに取り入れて、ヒット商品につなげたといったことがありました。
もともと日本人は、本来は関係あらざるものやことを結びつけて、新しい価値あるものを生み出す能力を育んできたように思います。 でも、近代科学の主流は「演繹と機能」の繰り返しに終始するようになった。 そこで本日のワールドカフェでは、もともと日本人が得だった「回遊と創発」、あるいは「知の越境と創造」といったあたりを議論すれば面白いのではないでしょうか。 ということで、この場の議論はお開きにさせていただきます。