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長谷川 和子(京都クオリア研究所取締役)
第4回は、農業にスポットをあてました。TPPや農業従事者の高年齢化など、農業を取り巻く環境はとても厳しいといわれる反面、農業に従事したり、関心が高いという若者たちも増えてきています。
今回、スピーカーとしてご参加いただく京都大学の間藤さん、農業従事者の石割さんとお話しますと、農業の知と農学の知が、どうもうまくジョイントできていないということが浮かび上がってきました。実はこの辺りをどう解決し次の時代の「農」を育てていくか、を今日は考えてみたいと思います。
ご参加いただいた方に話し合いに積極的に関わっていただこうと、これまでと形式を変えております。いつもの様にスピーカーのお二方からの問題提起、続いてディスカッサントの方々との討論、その後、参加いただいた方を交えて、農業、農学について意見交換をしていただきます。 こんな中から、ひとつの方向性が見えてくればいいなと思っております。
では、まず、間藤さんから問題提起をしていただきます。
※各表示画像はクリックすると拡大表示します。
スピーチ 「賢者の農業~付加価値の高い京野菜づくりから次代の農業を考える」
京都大学大学院農学研究科教授
間藤 徹さん
京大の先生をしていて、農学部なので農学をしているはずなんですけど、さっき農園(石割京大農園)を見てもらった方もいらっしゃいますが、きょう一緒にお話をさせていただく農家の石割さんに、あの農園で直接農業のご指導を受けております。 石割さんと知り合ってからもう10年になりますが、5年前から直接指導を受け、農園を開設して、週1回来ていただき、参加を希望する学生と実際に野菜づくりをしています。 それが、4年目の今年は、京大生協の食堂に本格的に野菜の出荷を始めることになりました。 そんなことをしながら、プロの指導を受け、食料を作るっていうのはどういうことかということを学んでいるところです。 (資料)
それで、お話にありましたように、ぼくは、農学部で学者をやってるわけです。 専門は肥料学で、この肥料はどういう効き方をするのか、こういう養分はどういう働きを持っているのか…。 実は、高等植物というのはですね、17の必須の元素がございます。 これ、きょうの趣旨ではないのでサラッといきますが、画面の周期表に、17個の元素が映っています。 まあ、これがないと、うまく生えません。 これ、水稲ですけど、根が水の中に下りてまして、この水の中にいろんな餌(養分)を入れて、不具合なく生えるっていうことから、肥料の研究っていうのは進んでいったわけです。 そういう意味では、もう、17わかってしまいましたから、肥料学はもうおしまいということになるわけですけど、じゃあ、実際に、それで、どこでも問題なくできるかというと、そうではない。
例えば、さっき、イネの写真をお見せしましたが、じゃあ、実験のイネの話がそのまま使えるかというと、種類が違うと変わります。 それと、やっぱり大きいのは、土壌。 土壌によっていろいろ変わります。 この土壌ならOKだけど、こっちではダメ。 そういうふうに、それぞれに各論が出てまいります。 植物の種によっても違うし、土壌によっても違う、もちろん気候によっても違う。
そうなってくると、学問というのは非常に不便なもので、イネではこうやったが、ムギでは通用しません。 あるいは、地域性。 農学の中では、日本の話をアメリカではできない。 京都の話が富山ではできない。 結局、学問としてグローバル化を進めていく中では、いや、京都でも富山でもアメリカでも、ちゃんと植物の栄養素として効くもんでないとダメだ、と。 そこで、どんどん具体例を捨て去っていくわけですね。 学問はそうでないと成り立たないわけですから。 私の学問は、今、肥料学でなくて植物栄養学っていいますけど、各論になり、各論を捨て去っていって、ジェネラルに、どんどんアカデミックになっていく。 そうすると17の元素になったんだけど、実は、具体的な話をしますと、ここに、珪酸というのがありますが、必須栄養素を示す緑がついていません。 これ、要らないということになっているんですが、実は、日本の稲作で珪酸がなかったら、まあ病気だらけでイネはできません。 だけど、ワールドワイドのサイエンス、プラントサイエンスという立場で言うと、珪酸は植物にとって要か不要かといわれると、要らないということになります。 農学的には要るんだけど、生物学的には要らないということになる。 そういうふうな各論を捨て去っていくところに科学があり、サイエンスがある。
じゃあ、そうやって種種学がいき、肥料学、昆虫学、植物保護学がいきといった中で、どんどんそれぞれ自分のニッチを求め、グローバルに戦えるっていってやっていくと、ぼくは、京都大学の先生なのに、京都のことを何にも知らない、そういうことが起こって参ります。
この写真は、(資料)15年ほど前にラオスに行った時の写真です。 当時、ぼくは、40半ばぐらいで、アカデミックで頑張りたい、遺伝子をやって、どうやってグローバルに攻めていこうと考えている頃でした。 そんな時に、この調査に行ったんですけど、実は、この女の子に「こんなところで遊んでいて、お前の田んぼは誰が見ているんだ」と、しかられたんですよ。 「今、草むしらなアカン時でしょう」と。 その時、ぼくは、言われた意味がわかりませんでした。 「経済的に発展してないから、こんなんかな」ぐらいに思っていました。 で、おまけに「あなたの職業は何ですか」と農学調査で彼らに聞くわけですね。 食うために飯を作るのが、彼らの仕事なわけです。 ぼくらは仕事をしてお金をもらい、ご飯を食べている。 全く感覚が違う。 それで、こういうラオスでの体験とかあって、それまで考えてもみなかったのですが、自分の食べているご飯はどこからきているんだろうか、ということに気づかされ、考えるようになったわけです。
それと、もうひとつは、これは、石割さんとの馴れ初めでもあるんですが、「『京』有機の会」という、京都で有機農業をやっておられる生産者の会でのことでした。 私のところに、堆肥をどうやって使ったらいいのか、ということを聞いてこられたわけです。 それで、その会にうかがいまして、私は、いきなり、17元素の話をしたわけです。 でも、実は、その時、ぼくは、堆肥が何かなんて、全く知らなかった。 牛と鶏と豚では、ぜんぜん違う。 いろいろ違いがあるんです。 食べるものが違いますから。 例えば牛糞と鶏糞では窒素肥料とリン酸肥料ぐらい違うんですね。 今でこそわかるようになりましたが、でも、そんなこともわからないでお話をしたわけです。 何も知らない私の話が役に立つわけはありません。 「こんな事も知らないようなのが、農学部の先生をしているのか」、と、生産者の方は驚かれたと思います。 ぼくも、余りに、現場で行われていることに無知な自分自身に気づき、ショックだったですね。 とにかく、生産者の方とお話するのが怖かった。 こういう体験をして、「こんなことで、いいのか」と考え始めたわけです。 まあ、ラオスでのこととか、こんな風なことがあって、この15年は過ごしてきたわけです。
それで、いろいろ考えながらやってきたわけですが、きょうのテーマに関連して、私の方からひとつみなさんにご意見をうかがいたいと思います。 それは、京野菜とは何かということです。 最近流行りですけど、京野菜といえば、すぐき(酸茎蕪)はなかなか京都にしかない野菜だとか、賀茂ナスは丸いよ、万願寺とうがらしは首がしゃくれていて、辛くないよ…とかいろいろあるんですが、では、京都に生えている白菜は京野菜ではないのか。 京都にしかないような種の問題か、土壌の問題か、それとも気候、あるいは特殊な作り方があるのかなど、まあ、さまざまにいわれるわけですけど、その定義は、一体何だろう、ということです。
私の考えで言うと、今言いましたようなことは、どれも違うんですね。 例えば、中国で京野菜はできるのか。 野菜工場でできたものは京野菜というのか。 ということですね。 そういう疑問に対して、私が15年間、いろんな体験をした中でわかってきたことは、京野菜たらしめているのは、どうも、生産者の心配りなのではないか。 つまり、こういうふうにして作る、作り方ですね。 だから、それは、賀茂ナスだったり、万願寺とうがらしだったり、例えばすぐきだったり、九条ネギだったり、そういうものの栽培の中で培われてきた「作物に対する思いやり」。 それは何かというと、実は、私たち、京都にいるわけですけど、京都というのは、昔から、お寺さんにお公家さん、武士、先生…まあ、いろんな意味で、うるさいクライアントが非常に多いところなんですね。 そういうクライアントに対して、お料理を作る方、調理をする方々が、彼らを満足させるような料理を作り、そういう目の利く料理人が文句をいわないような品質の野菜を、京都のお百姓さんは作り続けてきた。
そういう厳しい環境の中で、磨きぬかれた技術が、結局、例えば白菜を作ったって、タマネギを作ったって、もちろんお米を作ったって生かされている。 つまり、生産者の自分の収穫物、生産物に対する、そういう心配りが、京野菜を京野菜たらしめているのではないか。 京都で生産されている野菜を京野菜たらしめているのではないか。 そう思うようになりました。 これについては、みなさん、いろいろお考えがあると思いますし、きょうは石割さんがいらっしゃっていますので、直接聞いていただいたらいいかと思いますが、ご意見をうかがえるとありがたいです。
ついでに見ていただきますが、この画像は、吉祥院の石割さんの畑です。 (資料)非常にきれいですねえ。 これは、たまたま、東京から来られたバイヤーの方を、石割さんの畑にご案内して、お話しているところです。 (資料)この写真は、4年前に、京大の中に、石割さんにお願いして畑を作り始めた時の写真ですね。 ゴロゴロした石を掘り出して、その後、4年間かかって作業を続け、それで、さっき見ていただいたような立派な畑にしました。
農業について、先程から話しましたようなことを考えているもので、もちろん、ぼく自身は、遺伝子も扱いますし、有機無期の成分分析もやるんですけども、ただ、これから、京都の大学にいて、農学部にいて、肥料の先生としてやっていく中で、生産者が、どういうことをやっておられて、どういうニーズがあるのかということを知って研究をしたい、と。 もちろん、細かいことは、われわれ得意なんですけども、細分化した学問領域を全部ひっくるめて持っているのは農業ですから、農学と農業の乖離という中で、何とか農業に貢献できるような農学を再構成していく必要がある。 そのためには、石割さんと一緒にやって、農業の現場には何が必要とされているのか、それを聞きたいなというのが、今の私のコーポレイティブな仕事を始めたきっかけでした。 それから、畑のご指導ばかりでなく、石割さんには、全学共通で2回生15名ほどを対象に、実際に野菜を作る講義もやっていただいております。 では、石割さんに話を引き継いでいただきます。
京野菜マイスター 嶋石社長
石割 照久さん
京都で農業を営んでおります。 まず、農家っていうのは作ったものが売れないと生活できません。 それで、どうしたらいいかという部分で、いろいろといいものを作ってもPRをしないといけないと。 もっとメジャーになろうと、それをやってきて、何とか今は、大分メジャーになってきて、全国、世界でも通用するようになってきたかなっていう部分が、少しあります。
その中で、じゃあ、実際に食べていただく人は誰がいいか、って言うと、私らより若い世代の人がどんどん食べていってもらわないと、農家が衰退していきます。 それで、そういうことをいろいろ考えていて、間藤先生と出会い、この農場の協力を始めたわけなんですが、そこで、学生さんたちですね。 まず、ファーストフードを食べている。 あるいは、自分で調理したものを食べない、という学生さんが多いんじゃないかという話をしていて、ここの農場で作ったやつを「ホームカミングデー」や大学生協での販売で、ほんとにうまい京野菜、ほんまもんの京野菜を食べてもらおうということになったわけです。
それで、先ほど、京野菜の定義というのがありましたが、私たちは、土から作り、100%自家採種して野菜を作っております。 それから、後は、生産者が、いかにおいしく食べてもらうための野菜を作っているか。 形だけが水菜であったり聖護院大根であったりというのはいっぱいあります。 ですけど、ほんまに食べておいしいもの。 それと、火を通して食べておいしいもの、生で食べておいしいもの、うちでは両方作りつつありますが、この農園でも少しずつ実践をしていただいています。 野菜食べるのが邪魔くさい、嫌いやねんという人には、ぜひここの野菜を食べていただきたいと思います。
何はともあれ、野菜を食べてもらうというのが、まず一番。 日本は農耕民族で、これまで穀物、野菜を中心に育ってきていますので、野菜の味を忘れないようにっていう形で、間藤先生とタッグを組ませていただいているということです。
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