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スピーチ1 「人はなぜ、眠るのか?」
滋賀医科大学特任教授 角谷 寛 氏
人はなぜ眠るのか? この基本的な問いに対して、残念ながら正直に申しまして「解答」はないのです。 だから私たちは研究しているのだ、と申し上げるしかありません。 実は、睡眠に関しては、みなさんがそれぞれ専門家なんですね。
では、眠らなかったら何が起こるか?
これについては、ただ一つ、1964年、11日間眠らなかったという米国での例が報告されているだけです。 2日目に視力低下、3日目には気分の落ち込み、4日目には幻覚、妄想…といろんな症状が出ますが、眠らないという実験は非常に危険で、ギネスも認定をしていません。 ただ、眠らない状態が何日も続くと、実は、マイクロスリープといって、ククッと寝てしまい、全く眠らないということはないのです。 この米国の例も、全く寝てなかったわけではないはずです。 例えば実験動物のケースですが、寝かさずにおくと、その動物は10日~20日くらいで、皮膚がボロボロになったり肺炎になったりして死んでしまいます。 ただ、死んだ原因が、眠っていないためか、起こし続けられるストレスのためか説明できません。
ただ、寝てないとどうなるか、一晩のデータはたくさんあります。 実は、飲酒運転と同じことになるんです。 起き続けた時間と血中アルコール濃度を対比させた反応速度や正確性検査の結果が次の表に出ています。 これを見ると、15時間起き続けると、血中アルコール濃度0.03%の酒気帯び運転に匹敵し、免許証の減点13、18時間では0.05%と同じで25点の減点に相当します。 これは、起き続けていて仕事をすると、はっきりいうと酔っ払い運転レベルで、車ばかりか、仕事の内容もその正確性も全然ダメだということが示されています。 残念ながら、こういうわれわれ医師も、徹夜で仕事をし、そのまま患者さんを診るということが一般的であり、これは正しいことかどうか、みなさんに考えていただき、投書でもしていただくとありがたい。 というのも、社会というのは、中の者からはなかなか変えにくいというのが現実ですので、よろしくお願いいたします。
さて、眠りのメカニズムについていろいろいわれていて、その中でもだいたい正しいだろうということを図にしております。 体を休めるというのは、まず間違いないでしょう。 それから、深い眠りの時に成長ホルモンが出ますので、ケガの修復や成長を促すのにきいているだろう。 この5年ぐらいで結構いわれるようになったのですが、記憶を固定させることにもきいているのは間違いない、ということがわかってきています。 現在でも次々と論文が出ているレベルなので、特に記憶については、まだ確定しているというよりは、だんだん治験が積み重なっていて、正しいということがわかってきているといったほうがいいです。
では、眠くなるということには、どういうものが関与しているか。
大まかにいうと二つのものが考えられていて、一つは、起きている時間がだんだん長くなると、何かのものがたまってきて、あるいは、恒常性=ホメオスタシスというんですけども、そういうものが満たされるために眠くなるというのが起こるというのが一つ。 もう一つは、一日のあいだで、眠たい時間と眠くない時間が周期的に起こってくるという体内時計。 この二つの現象が加算されて眠気というのは起こっているだろうと考えられます。
実際には、これに、その時のやる気、緊張度なんかが加わっているはずです。 脳の解剖図を見せていますが、解剖学の塩田先生にお誘いを受けたこともあって、ちょっとやってみただけで、あまり意味はありません。 ただ、睡眠は少なくとも頭でやりますし、いろんな様々な物質が睡眠というのを形づくるのに影響しているのは確かです。 この図の赤線は、2000年ぐらいに私どもが関与して明らかになったことですが、たかだかつい最近、一個の物質が見つかっただけで、睡眠に対する、睡眠の調整物質に対する考えがガラッと変わってしまう。 逆にいうとその程度のことしか、今はわかっていない、というのが睡眠に対する現状だと思います。 だから、物質ですらも、もう少し突きとめてからでないと本当は、睡眠、起きている、あるいは意識レベル、そういうものの話をするには早すぎて、それこそ、2030年ごろになって、本当の意味の睡眠のメカニズムがわかったということになるんじゃないかと思っています。
睡眠の、測り方については50年ぐらい前に確立しまして、今はちょっと変わっていますが、基本的にはほとんど変わっていません。
脳波をとって、その波の形で分けます。 大まかに分けると、起きている時とレム睡眠とノンレム睡眠の三つです。 レム睡眠は、レムはREMと書き、英語のRAPID EYE MOVEMENT(急速な眼球運動)の頭文字をとったもので、それ以外の眠りをレムではないということでノンレムといっています。 浅い眠り、深い眠りがあるのはノンレムだけで、レムについては浅いとか深いとかいわないのが、われわれの分野の実際です。 まあ、浅いか深いか、どっちともいえるからです。 ただ、こういう、睡眠のゴールドスタンダードの検査法というのは、たくさん電極を貼り付けてやるものなので、入院でないとなかなかできません。 けれども、それだけでは日常の睡眠はわからないのではないかということで、もっと簡便な方法を取ろうとしているところです。 これは、また後に私が滋賀の長浜でやっていることで、後でお話しします。
さて、睡眠の構造ということです。 これは、若年成人と高齢者の睡眠構造を比較した模式図です。 上が若い人。 眠ると、浅い眠りから深い眠りに入っていてレムに行く。 また、深い眠りまで来てレムへ。 で、だんだん深いところまで行かなくなって、レムが長くなり起きる。 この人は5周期とっています。 これに比べて、年齢を重ねますと、まず途中で起きる回数が一つは増えます。
もう一つは深い眠りの量が減ります。 こういうふうなのが普通で、それとともに朝起きる時間が早くなり、トータルな睡眠時間が短くなります。 つまり、睡眠時間が分断化され、深い眠りが少なく、時間自身も短くなるというのが年齢の変化によって起きることです。 そこに、睡眠をレム、深いノンレム、浅いノンレムの三つに分けて、幼児から79歳まで年齢別にザクっとわけてそれぞれの睡眠時間を示した図を載せております。 浅いノンレム睡眠は、年齢別にほとんど量は変わりません。 一番量が変わるのは、深いノンレム睡眠で、レムもちょっと年齢で減っていきます。 それで、70歳~79歳になった人が、若いころより寝られないと思うのは当たり前でして、30代を目安に考えると30分、1時間は本来の睡眠時間が短くなります。 深い眠りもかなり減っております。 ですから、若いころより寝られないというのは当然で、それは、年齢の変化によることで、異常ではないんです。 これについて、われわれが考えているのは、若いころは体を作ったり、記憶を新たにしていく必要があるのですが、年齢を経ると、そうした必要は減ってくる。 だから、そのための睡眠はいらず、その分寝なくなっているのと違うかということなんです。
これ、夜中の2時ぐらいの世界の国々の写真をつないだものです。 日本は明るくはっきり形がわかります。 形の分かるところはそう多くありません。 ヨーロッパとアメリカの東海岸ぐらいなものです。 これから何がわかるかというと、日本人は夜寝てへんということ。 しかも世界のどこと比べても、明らかに寝てないということがいえると思います。 実際にそうでして、いろんな調査でもそんな結果が出ています。 表は、2009年にOECDが発表した先進国の睡眠時間です。 それによると誤差レベルといえる1分違いで、日本と韓国が最も短い。 逆に一番長いのはフランス、そして米国、スペインと続いています。 これら長い国と比べると日本は1時間も短いということなんですけど、では、日本人、東アジアの人はもとから睡眠時間が短かったかというと、決してそうではないんです。 これは、近年の現象で、NHKが5年ごとに行っている調査では、70年代と比べて、最近は、平日の睡眠時間は45分ぐらい短くなっている。 70年代は、平日8時間、休日は8時間50分ぐらい寝ていたんですね。 つまり、日本人の睡眠時間が減ってきたのは、ごく近年になって、生活のパターンが変わったことによるもの、人種によるのではなく、社会的変化によるものだといえると思います。
これが眠気のリズムです。 一定時間ごとに寝てもらい、カロリーも一定時間ごとに一定量を摂り続けるという実験をしてとったデータです。 ザックリいいますと、一番眠気が少ないのは、朝の起きしなで、次に少ないのは、夜寝る1、2時間前。 眠気一番が多いのはもちろん真夜中と、それから12時間ぐらい違いがある午後の時間も眠気が2番目に多くなる時間です。 お昼ご飯を食べた後に眠い、とよくいいますね。 しかし、そうではないんです。 元々、リズムとして眠くなるんです。 逆に、お昼ご飯を食べないと、そのストレスで寝てないだけでして、あるいは、仕事があり起きていなければいけないというストレスがかかっているから、起きているだけです。 もうひとついわなければいけないのは、先ほど、寝る前の1、2時間前は2番目に眠気が少ないということを申しましたが、例えば、明日は釣りに行くので早く起きなければならないということで、普段寝る時間より1、2時間早く床についたとしても、寝られるはずがありません。 寝られないのが普通なんです。 人間は、こういう時間は寝ないように何故か出来ていて、眠ることが禁止されている時間帯といわれています。 こういうふうな、まあ、これは、12時間ごとの周期があるという見方もできると思うんですが、こういう「リズムの周期」と後は起きている時間が長いと「加算されていく眠気」というこの二つが、眠りと起きることに、大きくきいているといわれています。
ところで、「眠る暇もない」とか「時間はあるけど寝られない」、「不規則」といったものが、現代の睡眠の大きな問題として考えられております。 不眠症ということで、結構、ここにもいらっしゃるかもしれませんが、不眠にも寝つきが悪いなどいろいろパターンがあって、ちょっと前までは、そうした訴えがあると全て不眠症といって治療しました。 しかし、2005年ぐらいから、そういう症状があっても、昼間に眠気があるとか、あるいは体や心の問題がなければ、治療対象にはならなくなっています。 そして、不眠症と並んで多い睡眠の問題は、睡眠時無呼吸症候群です。 寝ると顎や舌の力が抜けて、重さで舌が下がり気道を塞ぐ。 すると体が酸欠になり、目を覚まして息をし、また眠る―を繰り返すんですが、90年代には数%と思われていたんですけれども、実際には男性では2割、女性で1割というのが、世界中の常識となってきました。 この表は、われわれが大阪で行った男性を対象にした調査です。 「無呼吸なし」というのが40%で、軽症の4割弱もふくめほぼ正常なんですが、重症が6.6%。 で、この重症の人は絶対治療を受けたほうがいい。 検査の方法は、入院していろんな装置をつけてやるのと、家で簡単な装置をつけてやるのと二通りあります。 私は、日常での睡眠の状態がわかるということもあり、この簡便型の方が好きですね。
治療法は確立しておりまして、CPAPという機械を使います。 鼻から空気の圧をかけて気道を広げるというものなのですが、高い効果があります。 重症の無呼吸症候群は、治療を受けないと命に関わります。 毎日、一定期間治療を受けている人は、その図のとおり、ほとんど亡くなっていません。 しかし、機械が使えていない人は、4割もの人が84ヵ月でお亡くなりになっている。 しかも、そのうちの4割が心筋梗塞でなくなっている。 もうひとつのスタディの図では、重症の人でも、治療を受けると、無呼吸のない人や軽症の人同様に心臓や脳の血管病やそれによる死を予防できるということがわかります。 無呼吸があるかないかを知って、重症の場合だけ治療を受けると、こんなふうに世の中変わるかもしれません。 死ぬだけでなく、脳梗塞等にもつながる可能性があるし、少なくとも無呼吸があるかを調べることは意味があると思います。 それで、いびきがあって、眠気があってといいますが、無呼吸と眠気は関係ないこともあります。 その表で示したように、重症の人でも「眠気あり」という人は4割で、つまり「眠気あり」だけを相手にしていると、重症無呼吸の人の6割を見落とすことになるんです。 無呼吸症候群については、眠気ばかりにとらわれず考えていかなければならないと思っています。
それでは、最後に今やっていることについてです。 長浜で調査研究をやっています。 京大が1万人規模の長期間の調査研究を始め、睡眠時間といろんな病気の関係がアンケートと健康診断でわかってきましたが、睡眠の質もわかりませんし心の問題、睡眠障害の対応もできていない。 それで、京大の調査に加え、そこに参加した人を対象に、睡眠とメンタルヘルスの調査を追加して行うことにしたわけです。 私の好きな自宅で簡便に脳波が調べられ、客観的評価ができる装置を使うんです。 このスタディは、「長浜0(ゼロ)次睡眠研究(Nagahama 0-degree Sleep Study)」と名づけ、略称「なごーする研究(Nag-0-Sl study)」といっているのですが、この研究の特徴は、アカデミアだけではなく社会とつながってやっているということです。 長浜市、市民、企業などいろんな分野、業種の人たちと一緒に行う共同研究で、科学コミュニティーからはみ出した研究というのが特徴なんです。 いわゆる、トランスディシプリマリティ(超学際)なんですが、科学の国連といわれる「国際科学会議(ICSU)」の「Future Earth」というプロジェクトも、まさにこのトランスディシプリナリティをキーワードにしています。 「なごーする」では、自分たちの調査の多くを市民がやり、いわば市民が共同研究者で、文句もガンガンいわれますし、ストップもいっぱいかかります。 でも、こういうことが、社会とやっていくということで、こういうことをやらなければ、本当に面白いものは出てこないと思うんです、とにかく、苦しいことも多いですが楽しんでやっております。
「なごーする研究」同様、アカデミアや分野、組織、地域を超えてやることが、これからの科学にとって大切なことで、そうやっていかないと、睡眠ということも分かってこないのではないかと思っています。 最初にもいいましたように、毎日寝ているみなさんそれぞれが、自分の睡眠の専門家で、自身の感覚も持っています。 いろんな人からそれぞれの睡眠について聞ける、こういう多分野の人たちが集まる会合に参加できて、とてもいい機会を得たと思っております。
スピーチ2 「人は、何故眠るのか?~『睡眠文化論』という考え方」
佛教大学社会学部教授 高田 公理 氏
きょうは「睡眠文化論」という考え方を紹介させていただきます。 図や写真を使いながら話を進めていきます。
その前に、なぜ「睡眠文化」などということを考え出したのかと言いますと、何年か昔に、アメリカの睡眠学会が、「7時間睡眠がベストである。 なぜなら、そこで最も死亡率が小さくなるから……」などと言い出し、以来、それより短いのも長いなの健康によろしくないという物言いが広がったからです。 ところが実際には、たとえばアインシュタインの睡眠時間は11時間にも及んだし、逆にエジソンは4時間ぐらいの睡眠でこと足りたと言われています。 つまり、睡眠時間には人ごとに差がある。
それだけじゃない。 たとえば北極圏に暮らすイヌイットの人々の睡眠時間は、昼間が続く夏と、夜が続く冬では、同じように毎日7時間、寝ているといったことは考えられません。 つまりは地域が異なると、気候が違うし、文化も異なる。 その結果、時代や地域ごとに睡眠も、多様な相貌をあらわに示す。 つまりは「睡眠の文化」が実在するに違いないということで、私たちは睡眠文化研究を始めたわけです。
このことを考えるために、人間の三大本能、
すなわち「食欲」「性欲」「睡眠欲」について簡単に説明しておきます。
まず、人間が生きていくには「食べること」が不可欠です。 これが「食欲」です。 ただ、子孫を残さないことには、次の世代にバトンタッチできない。 そこで二つ目の本能である「性欲」もなければならないということになる。 そして今一つが「睡眠欲(眠欲といってもよい)」だというわけです。
これらのうち、水さえ飲んでおれば、食物は2か月ぐらい食べなくても、人間は死にません。 セックスも、それなしに子孫は残せませんし、欲求不満はたまるでしょうが、死んでしまうということはありません。 ところが睡眠が取れないと、角谷先生のお話にもありましたが、わりに簡単に死んでしまいます。
で、昔、スタンフォード大学で、睡眠を取らせない「断眠」実験をやったことがあるのですが、その最長記録はダンディー・ガードナーという若者によって達成された264時間12分、つまり11日と少しだったとされています。
まあ、人間の場合は、これ以上の実験ができないのですが、犬を素材にした実験では、死ぬまで眠らせないというようなことも行なわれました。 その結果は、脳が破壊されて死んでしまう。 鳥居鎮夫『行動としての睡眠』(1996年、青土社)に、そう書いてあります。
こういうことを日本人は昔から知っていたようです。 というのも、比叡山の延暦寺の厳しい修行のひとつに千日回峰行というのがありますが、その最後の段階に「堂入り」という、明王堂で9日間、正味でいうと丸7日半ほど、断食・断飲し、断臥し、しかも断眠するという行があるんですね。 これなど、人間の生存のぎりぎりを見通していたからこそ可能だったのだと言えようかと思います。
さあ、そこで、じゃあ人間は、なぜ眠るのでしょうか。 決定的な答は未だ提出できないのですが、いくつか考えられることがないわけではありません。
まず、エネルギーの節約になります。 ついで、睡眠は体を休めてくれます。 なかでも、脳を休めることになります。 さらに、記憶を定着させる上で大きな働きをしているともいわれます。 そして何より大事なのは「危機への対応のシミュレーション」──これについては最後に説明しますが、どうも人間は、眠っているときに見る夢のなかで、目覚めているときにはできないシミュレーションを試みているようです。 そんなことをフランスの睡眠学者ミシェル・ジュベという人が主張しています。
ついで、夜になると眠くなる。 たしかにそういうことがあるのですが、じゃあ、なぜ、夜に眠るのか。 それは、ほとんどの哺乳類、特に人間の天敵になりそうな野獣が夜行性だからだと言われます。 それに対して類人猿に属するヒトは昼行性です。 類人猿が昼行性になった歴史には面白いドラマがあるのですが、今は、そのことに触れる時間の余裕がありません。 で、人間の睡眠の話になるのですが、夜行性の猛獣に襲われないためには、夜、静かに寝ているのが最適だというわけです。 動物学者たちは、そう考えているようです。
じゃあ、その睡眠は、どのように定義しうるのか。
一言でいうと、「周期的に繰り返す生理的な意識喪失状態」だということになるでしょう。 ただ、それにも2種類のタイプが区別できます。
このことを説明する猫の絵をご覧ください。 左端の猫は覚醒しています。 真ん中の猫は徐波睡眠(ノンレム睡眠)のただ中にあります。 そして右端の猫がレム(REM)睡眠状態にあるわけです。
ここで「レム(REM)」とは「Rapid Eye Moovement」の頭文字を並べたものです。 で、その意味は文字通り「急速眼球運動」で、こうした型の睡眠のときに「夢を見る」わけです。 しかし、体中の筋肉は弛緩していて、まるで動きません。 にもかかわらず、脳波は覚醒中のそれに似ている。 そこで、この睡眠は「逆説睡眠」とも呼ばれるわけです。 で、男性の場合は、何故かペニスが勃起していると言われます。
それに対して中央の、徐波睡眠中の猫の目は動きません。 それで「ノンレム睡眠」とも呼ぶのですが、それなりに体は、しゃきっとしている。 にもかかわらず、急速眼球運動は起こらず、意識は完全に眠っています。
人間の場合、こうした「ノンレム睡眠」は入眠直後に始まり、徐々に深くなっていきます。 で、それから1時間30分ぐらいを経過すると、レム睡眠に移ります。 そして以後、90分ごとの周期でノンレム睡眠とレム睡眠の交代が5回ぐらい続きます。 その過程では、やがて少しずつ眠りが浅くなり、最後のノンレム睡眠のただ中で目覚めると、非常に気持ちのいい目覚めになるというわけです。
そんな睡眠について、角谷先生は自然科学的な医学の立場からお話しになったのですが、じゃ、それを文化研究の立場から観察すると、どういうことになるのか。 その説明に際しては、食文化研究と比較しながら説明すると、分かりやすいのではないかと思います。
いうまでもなく「食べる」ということは生理現象です。 人間はいつでもどこでも、誰でも食べます。 食べない人はいません。 しかし、時代や地域が変わると、食べ物も料理も食べ方も多様なバリエーションを示します。 つまり「食が文化としての姿を露わに示す」ことになります。
こうした捉え方は、そのまま睡眠にも当てはまります。 まず、睡眠は生理現象です。 人間はいつでもどこでも、誰でも眠ります。 眠らない人はいません。 しかし、時代や地域が変わると、眠りの価値づけが変化します。 眠るための寝具や衣装、眠り方は多様なバリエーションを示します。 それは「睡眠の文化」だというほかありえません。
このことを図によって説明しているのが「食品加工と食事行動」「睡眠文化と睡眠行動」のダイヤグラム(↓)です。
そのうち「食行動」に関しては、まず周囲の環境から獲得した食物に加工を施します。 そうして完成した料理を食べるに際しては、ある種のルールにのっとった食事行動を行ないます。 こうして身体内に取り込んだ食物は、同化と異化のプロセスを通して、身体を形成し、発生したエネルギーによって行動が保障されるというわけです。 こうしてみると、左側の食物の獲得と身体内での生理を知識として整理するのが「科学」であって、中央の食品加工と食事行動とは「文化」の領域に属するということが理解されようかと思います。
「睡眠行動」も、よく似た捉え方ができます。 その中核には「睡眠」という現象、それを保障する「寝るための装置」「眠りに関連する制度や価値観」などが位置しています。 が、そうした現象は、左側に示した場所ごとの環境の影響をうけます。 たとえば中緯度地方では夜に寝るのが基本ですが、昼の気温が高くて湿度の高い熱帯などでは、朝夕の涼しいときに働いて、昼間は眠って過ごす地域が少なくありません。 さらに宇宙船で宇宙を旅する際には、周りの環境とは無関係な規律の中で睡眠を管理する必要があります。 同時に、いずれの場合も睡眠は人間の生理に強い影響を及ぼす。 そうした現象を考察するために睡眠医学を中心とした科学の営みが存在するというわけです。
その上で、睡眠に関する装置について考えてみます。 すると、住宅から始まって、寝室、寝具、ベッド、布団、枕、眠り着、眠り小物といった多様な「装置」が思い出されます。 ついで睡眠に関する制度を取り上げてみますと、暦や時間の計り方、眠りの価値付けなどを列挙することができるでしょう。
そこで印象的なことを申しますと、いまどきの若者に、「眠るのんって、ほんま、気持ちがええよなあ」といったことをいうと、「えっ」という顔をして、「いやあ、いろいろ面白いことがある今の世の中、寝ているのはもったいないような気がしますねえ」といった答が返ってきがちです。 で、睡眠の価値はずいぶん低いところに置かれていのだなあと思わされるわけです。 そんなことを入り口にしながら、夢の理論や解釈、現代の日本で大勢を占める睡眠の生理学や医学といったものがはらんでいる文化的な特質を捉え直してみる。 それが睡眠文化論の立場だと言えようかと思います。
そこで最初に、さまざまな場所の自然環境、つまり気候や夜昼の時間の季節変化などが睡眠に及ぼす影響を考えて見ます。 たとえば、すでに触れたように、北極圏に近い高緯度地方では、夏には明るい白夜が続きます。 そんなときに7時間も眠ることはないでしょう。 逆に熱帯のジャングルなどでは、昼間は暑すぎて仕事にならない。 で、仕事は朝夕の涼しいうちに済ませ、昼間に睡眠時間を確保したりする。 げんに地中海世界、スペインやイタリアにはシエスタという、かなり長い昼寝の習慣があります。
ついで寝る場所について考えてみます。
まず、ヒトの近縁種であるゴリラやチンパンジーなどの類人猿は、樹上にベッドを作って寝ます。 彼らは雨が降っても、体毛があるので平気です。 でもヒトは、ジャングルの樹上から地上に降りてサバンナに進出した際に、体毛の多くを失いました。 結果、じかに雨や風にさらされる状況のもとでは寝られない。 どうしても屋根のある場所が必要になった。 で、彼らは大昔、洞窟のような場所に寝る場所を求めたと考えられます。
やがて自分たちで住居を建て、枕や布団が使われるようになりますが、これはずっと後世の話です。 ただ、住居の基本は寒さを克服することにあった。 これは、シベリアの事例ですが、テントの中に小さいテントを作って寒さを和らげようとしています。 また、地下を掘って炉を作って暖をとるなどの事例もあります。 アイヌの人々との交流のあったシベリアのギリヤーク族の冬の家にも、そういう工夫が凝らされています。
ところが、南米のアマゾンなどでは、まるで異なった装置を用いて寝ます。 わたしたちもリゾート地なんかでは、ハンモックでくつろいだりしますが、これって、もとはアマゾンのカマユラ族の寝具なんですね。 ジャングルの中なので、湿気はあるし、気温も高い。 だから、風通しのいい家を建てるのですが、地べたに寝ると、毒虫や蛇に襲われたりする可能性がある。 そこでハンモックという寝具が工夫された。 これ、腰が曲がって、結構しんどいと思うのですが、毒虫や蛇にはかなわないということなのでしょう。
一方、アフリカのサバンナに暮らす遊牧民のダトーガ族の家なんかを見ると、男の家と女の家は別々なんですね。 そうかと思うと、17世紀のルイ王朝時代――このころのヨーロッパは小氷期で非常に寒くて、冬にはセーヌ川が凍ったりしたのですが、先ほどの「テントの中のテント」のように、部屋のなかに、もう一つ小さな部屋を作って、そこを寝所にするという工夫が凝らされていたことが分かります。
つぎは「眠り衣」、つまり何を身につけて寝るかについて考えてみます。
近代以前のヨーロッパの、農民をはじめとする庶民は、素っ裸のまま、わらにくるまって寝ていたようです。 が、最近も、たとえばパリなどで調査をすると、素っ裸で寝る人が少なくありません。 そういえばマリリン・モンローも、「あなたは何を着て寝ますか」と問われたとき、「シャネルの5番よ」と答えたという話は、非常に有名ですね。
一方、少し前までの日本人は、古くなった浴衣を「寝間着」にしていました。 でも、最近は実に多様な「眠り衣」が使われています。 たとえば古い浴衣に続いて、パジャマが多様された時代がありました。 これは本来、インドの暑い地方の昼間の衣服がヨーロッパに伝わって「眠り衣」になり、それが日本にも伝わったものです。 で、日本人の多くが、このパジャマを身につけて寝た時代があるのですが、やがて、もう少しセクシーなネグリジェの宣伝がなされたり、さらに露出度の高いベビードールが使われたりもしました。
ただ、現代の若者は、余り眠り衣を使わないようです。 つまり、夏場はTシャツに短パン、冬はジャージで済ます若者が少なくありません。 なぜ、こういうことになっているかといいますと、たとえば夜遅く、眠りにつくぎりぎりの時刻までネットサーフィンをやって、カタンと寝たあと、朝になって目覚めると、腹が減っている。 で、近所のコンビニぐらいまでなら、その格好で行けるから便利だというわけです。
私なんかが子供だったころには、寝るときには寝間着に着替え、朝は朝でちゃんと昼間の服に着替えて学校に行くようしつけられたのを思い出します。 その理由を考えてみると、当時は工業の時代です。 そんな時代には「早寝早起き」が奨励され、覚醒と眠りの間に、きちんとした「けじめ」が求められたんでしょうね。 それに比べると、情報社会では、いつ寝て、いつ起きても、ちゃんと仕事ができますので、そういう「けじめ」が余り問題にされなくなった。 そういうふうに考えることができるのではないかと思います。
今ひとつ、いろんな赤ん坊の寝かせ方を参照しておきます。 日本の赤ちゃんは、実に自由な姿形で寝るのが普通ですが、そういうのを中国からの留学生なんかが見ると、「かわいそうな寝かせ方をするんですね。 これでは足がまっすぐに育たないでしょう」と言ったりします。 なるほど、中国人に比べると日本人には「がに股」や「O脚」が多いようです。
じゃあ、彼らはどんな風に寝させるのか。 これは中国のものではなくて、南米はボリビア、アイマラ族の寝かせ方ですが、赤ちゃんを布でぐるぐる巻きにして寝かせるんですね。 ちゃんと英語の名前もあって、「スォドリング(swaddling)」と呼んでいます。 それは一見、窮屈でかわいそうに見えるのですが、却って体がきちんと安定しているほうが、赤ちゃんは安心して眠るのだそうです。
そういえば日本にも昔は「嬰児籠(えじこ)」というのがありました。 東北あたりの農村で、野良仕事に行くとき、赤ちゃんをこの籠に入れて畦道なんかに置いておいたわけです。
ところで、大人になっても、安心して眠るには、ぬいぐるみなどの小物が必要だという女性は少なくありません。 「ひこにゃん」のぬいぐるみなどを触っていると、うとうと眠たくなってくるんでしょう。 名づけて「眠り小物」としか呼べそうもないものが、いろいろ見つかります。 女子大生など、若い女性のほとんどは枕元に携帯電話を置いています。 いつでも誰かとつながれるという安心感が快い眠りを誘ってくれるようです。
むろん音楽が必需品だという人は少なくありません。 珍しいものではアメリカのインディアン世界に伝わるドリームキャッチャー。 蜘蛛の巣のような形のものを赤ちゃんのベッド脇に置いておいて、悪い夢をつかまえてくれるのだそうですが、そういうのに女の子の好みそうにデザインしたものもあります。
そういえば日本には昔から、正月の2日に、いい初夢が見られるようにと、枕の下に入れて置く宝船の絵がありました。 と思っていると、サウジアラビアの留学生に聞くと、彼らもまた枕元には『コーラン』を置いておくんだそうです。 それが心の平安を、もたらしてくれるので、安心して寝られるのだと言います。
さて、基本的にわれわれは夜に眠るよう習慣づけられていますが、そうした習慣の基準となるのは時間の流れです。 その時間の制度もまた、時代によって多様な姿を露わにします。 たとえば現代の定時法は1日の時間を24等分して1時間ずつ過ぎていきます。 ところが、明治以前、江戸時代の時間の制度は、日の出から日の入りまでを6等分し、日の入りから日の出までを6等分して、それを一刻と呼ぶことになっていました。
ですから夏と冬では、昼と夜の時間の流れが、まるで異なりました。 たとえば冬至の一刻は、昼なら2時間38分、夜なら1時間49分といった具合でした。 それは、夜明けと共に目覚め、日が暮れると寝てしまうほかない前近代の農業社会では都合のよい時間の管理法だったと言えます。
ところが、こんなことでは近代社会はやっていけません。 長く取れば明治時代から高度成長期にかけて、工場生産を中心に工業が基幹産業になったからです。 そこでは労働者たちの生活時間の同調が不可欠になります。 それに工場生産の場合、生産額が労働時間に比例します。 こうした条件を満たすには、一年を通して「1日=24時間」とする定時法を採用するほかありません。 しかも勤勉に働くには健康な心身が不可欠ですから、「早寝早起き」で心身を整えて元気に働こうということになったわけです。
それに対して1980年代以降の現代社会では、情報産業の比重が高まります。 そこでは情報生産、言い換えると智恵やアイデアを出すことが重要な意味を持つようになりました。 こうなると多数の労働力の時間的同調は必ずしも必要ではなくなります。 それに、価値ある情報の生産と労働時間は相対的に無関係です。 長時間をかけてひねり出した智恵やアイデアには必ず大きな価値がはらまれるとは限らないからです。 とすると、厳格な定時法の遵守に意味があるのかどうか。 むつかしい問題が出てくるわけです。
実際、情報産業の時代には、ストレスは多いし、頭脳労働が多いので夜なかなか眠れないなどの睡眠障害が生じています。 つまり、不眠症や睡眠不足、睡眠時無呼吸症候群などに悩む人が増えているのです。 で、その結果、年間およそ2兆円の経済損失が発生しているのだと、睡眠学会などは主張します。 そして、睡眠の生理学的、医学的研究が急速に進むというわけです。
ところが、私たちが試みている睡眠文化研究には、必ずしも注目が集まるところまでは行っていないんですね。 でも、今後は「睡眠の文化的研究」が必要だと考えられるようになるだろうと、私たちは思っています。
例えば、ラテン世界のシエスタです。 つまりは「昼寝の習慣」なんですが、それがイタリア、ギリシャ、北アフリカ、さらにイスラム圏、インド、中国南部など、熱帯・亜熱帯を中心に行われてきたわけです。 ところが、スペインやポルトガルはEUに統合されるし、中国では急速な近代化が進んで、悠長に「昼寝」など、しておれないという状況がもたらされています。 これは結果として、多様な問題を惹起するはずです。 そうした伝統の文化が、新しい状況のもとで、どうなっていくのか。 私自身は、その成り行きが楽しみですし、変化の真っ直中で、きちんと調査しておくことも必要だと思います。
ところで、話は変わりますが、
ここで話題にのぼせたスペインは面白い国で、「睡眠」を意味する単語の「sueño」は、同時に「夢」をも意味するんですね。 彼らスペイン人は、「夢を見ること」を前提として眠っているのでしょうか。 ここで参照いただくのは、スペインのシュルレアリストの画家ピカビアの「パピヨン」という絵です。 一見すると、馬が目に入ってくるのですが、しばらく見ていると随所に蝶が飛んでいます。 ピカビアが夢の中で見た風景のような気がします。
そういえば昔の日本人も「夢」には関心が強かったようで、たとえば法隆寺には、悪夢を見たとき、その意味を違えてくれる「夢違観音」という名の仏さんがいらっしゃったりします。 というわけで、最後に少し夢の話をすることします。
そこで紹介したいのは、日本を代表する国語辞典の『広辞苑』に記された「夢」の語義の変化です。 1955年に公刊された「広辞苑」第一版では、「眠っているときに見る夢」のほかは「ぼんやり」とか「はかない」などと説明されているのですが、1983年に公刊された、その第三版以降には、「将来実現したい願い、理想」という新しい語義が記されるようになります。 こうした語義の用例は、古くは明治時代にも散見されるのですが、それを『広辞苑』が採用するのは、1980年代にずれ込んでいるわけです。
そういえば、このころには日本の高度経済成長がピークを過ぎてはいたのですが、「頑張ったら願い(夢)が実現する」ということが、広く人々に理解されていたんだと思います。 その結果なのかどうか、以後、「夢」というと「将来に実現したい願い」の意味で使われるケースが多くなりました。 実際、1990年代の『朝日新聞』の記事を検索して、キーワード・インデックスの手法で調べてみると、「夢」という単語の95%が「将来実現したい願い」という意味で使われていることが分かりました。 まあ、それはそれでいいのかもしれませんが、眠って見る夢が余りに軽視されるようになると、たいへんもったいないなあという気にさせられるのですが、いかがでしょうか。
それは、こういうことです。 眠って見る夢が、ときに科学上の大発見や芸術上の偉大な創造に役立ったという事例が、結構あるんですね。 たとえば化学者のA・ケクレは、夢で「ウロボロス(尾を飲み込む蛇に図柄)」を見たことがきっかけとなって、それまで未解決だった化学物質ベンゼンの環状構造式の発見に至ったことが知られています。 また、神経パルス伝達の生化学基礎の発見でノーベル賞を受賞したO・レーヴィーも、そのアイデアを夢の中で得たといっています。
芸術の分野でいえば、タルティーニの作品に「悪魔のトリル」という、非常に演奏の難しいヴァイオリンの名曲があります。 これは、睡眠中の夢の中で悪魔が弾いていた曲を採譜したのだとされています。
こうしてみると、「将来実現したい願い」もさることながら、眠って見る夢がはらんでいる大きな可能性にも注意を払っておきたいという気にさせられます。
夢の話とは少しずれますが、先に短眠型のエジソンと長眠型のアインシュタインに触れました。 そこで彼らの知性の型に触れておきたいと思います。 まず、エジソンは既存の知識や道具をシステム化して、電灯、録音機、映画など、新しい発明品を作った人でした。 こうした仕事は多分、覚醒した知性のもたらしたものだと思われます。
それに対して、アインシュタインの仕事は相対性原理の発見という、まったく独創的なものです。 その前提には、「秒速30万キロで移動する飛行物体から放っても、光の速度はやっぱり秒速30万キロでなければならない」といった、常識を超越した、いわば一種の妄想のような思いつきがあったわけです。 こういう妄想のようなものは、長時間睡眠のなかで、場合によると眠って見る夢に触発された可能性があるのではないかと思うわけです。 もっとも、こんなことは決して実証することが出来ないのですが……。
ただ、こうした思いから何か新しい面白い展開が開かれるかもしれません。
そこで、かりに「人間」を「ホモ・ドルミート」、すなわち「夢を見るヒト」として捉え直し、夢のなかで触発される独創性を取り出す試みについて触れています。
その一つは、コンピュータ技術を援用して、眠っている人が見ている夢を画像データとして外在化しようとする試みです。 そうした試みを素材にした映画が、すでに20世紀に出来ています。 1983年の「ブレインストーム」、1991年の「夢の涯てまでも」などといった作品が、それに当たります。 また、現実にも、たとえば盲人のための視覚代行装置、脳の中で認知されている人のイメージを取り出す機能的磁気共鳴断層装置などが出来ていて、やがて夢の可視化が実現される可能性が展望できるというわけです。
ところで、では何故、人は夢を見るのでしょうか。
その内容は基本的に、体験記憶の反芻でしかありません。 しかし、そのときに出てくるイメージは、さまざまなシャッフルを経て視覚化されます。 で、ときに自分自身が、なにがしかの危機に直面している場面がイメージとして現出するわけです。 そうすると、その危機から逃れようとして、イメージのなかでのシミュレーションが行なわれる。 このとき人は、REM睡眠の状態で眠っているわけですが、実際に体が動くと非常に危険です。 だから、脳は活動しているのに、骨格筋は動かないように、運動神経にロックがかけられているのです。 それが「逆説睡眠」と呼ばれることの背景を形成しているとも言えようかと思います。
こうした状況を、ハンフリーという人は「夢には危機に対応するためのシミュレーション機能がある」と表現しました。 また、それと同じことを、ミッシェル・ジュペは「REM睡眠には遺伝的行動のプログラミング機能がある」と説明しました。
で、このことを実証するために、夢を見ているときに、本来ならロックされるはずの運動神経のロックを、あらかじめ猫の脳に手術を施してはずしておくという実験をしました。 すると、その猫は、たとえば外敵に襲われているような夢を見ているらしいときには、夢を見ている状況にふさわしい、激しい行動をやってしまうのだそうです。 このことは人間の夢にも当てはまります。 だとするなら、人は夢を見るためにこそ眠るんだと考えていいのではないでしょうか。 そして、ときにはアインシュタインの大発見に比肩できるような妄想を夢の中で見ることができるかもしれません。
そんなことが実現できたら楽しいやろなあ。
そう思いながら、私は睡眠文化研究に携わっているという次第です。
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