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ディスカッサント
堀場製作所最高顧問
堀場 雅夫 氏
佛教大学社会学部教授
高田 公理 氏
京都大学大学院理学研究科教授
山極 寿一 氏
ロボットクリエイター
高橋 智隆 氏
山極 寿一(京都大学大学院理学研究科教授)
高橋さんの今のお話には、とても示唆に富んだ言葉が散りばめられていて、いいたいことがたくさんあるような気がします。 実は、私、つい一週間前まで、アフリカに行っていまして、久しぶりにゴリラに会ってきました。 そこを見にいくのは1年ぶりぐらいだったんですが、なんだかすごくドギマギしてですね、出会いとはこういうものかなと思った次第です。 それで、きょう、高橋さんのRobi君と出会い、その仕草を見ていてロボットとも安心できる、というか、緊張しないでインタラクティブな関係が持てるんだなという思いがしました。 そして、高橋さんがおっしゃった「期待値が小さい」ということなんでしょうが、こう小さいと、何だか背中を後押ししてあげたい。 そういう気に人間をさせるからくりが、Robi君には隠されているなと思いました。
それでは、高橋さんもベンチャー企業家でもありますから、考え方は違うかもしれませんが、同じ企業家である堀場さんにまず、口火を切っていただきましょうか。 どうでしょう、高橋さんのお話からワクワクするような起業への思いが感じられたのではないでしょうか。
堀場 雅夫(堀場製作所最高顧問)
ぼくも、少しあとに生まれていたら、もうちょっといい感じで人生を過ごしたかもしれない。 ご存知と思いますが、私どもの会社の社是は「おもしろおかしく」なんです。 実は、昭和46年にこの社是にしたいと思ったのですが、昭和53年までずっと役員会で否決され7年間もかけてやっと実現したんです。 社長から会長になる時の餞別としてこの言葉を正式な社是にしてもらったんですねえ。 私、企業というのは、おもしろなかったら成功しないし、やめとけという主義なんです。
しかし、私が経営者としてスタートした時代というのは、「月月火水木金金」で、365日、24時間働いてこそ経営者であるし、そもそも仕事というのは、苦労で疲れるものであるとインプットされていたんですね。 その証拠に、何か仕事を頼んだら「ご苦労さんでした」といいますね。 その人が苦労したかどうかは関係ないんです。 私が、外から会社に帰ってきたら「お疲れさまでした」といわれる。 全然疲れてもいないのにですよ。 「お疲れになりましたか」と聞くならいいけど、若い女の子が、疲れている、と断定しよるんです。 そういわれると、え、苦労せんといかんのか、疲れんといかんのかという気になってしまう(笑)。 しかし、疲れてへんと、それを否定してしまうと「あのおっさん、仕事、仕事といいながら、遊びに行っとんにゃ」ということになるさかい、従って会社に近づくと、ウキウキしていても疲れた顔をして(笑)、ああ頑張ってきたんだなというところを見せないといかん。 未だに、日本にはそういうところがあるんですね。
それで、高橋さんなんですが、別に特殊な人でないだろうと思うんです。 本来、普通の人間で、普通の生活で、誰にも文句をいわれず伸び伸び生活したら、こんな楽しいものができるということなんだと思います。 私は、ずいぶん古い時代で、そういうものに社会がついてきてくれなかったんで、ずいぶん苦労しましたが、ジェネレーションは違っても、このおじいちゃんも思想は全く一緒です。 ま、結構なことやと。
山極
今、疲れた、苦労したというのが人間の労働の条件、という話が出ましたが、ロボットは、まさに正反対なんですね。 人間はいくらエネルギーを補給しても疲れます。 しかし、ロボットは、いくらでも繰り返すことができる。 だから、本来、ロボットというものには「ご苦労さま」という必要はないわけですが、Robi君のように、人間の形で人の雰囲気を醸し出すように作られていると、つい「疲れただろう」とか「ご苦労さま」と声をかけてみたくなる。 これがインタラクティブロボットのひとつのミソなんでしょうが、そういうあたりは意識して作られているんでしょうか。
高橋 智隆(ロボットクリエイター)
そうですねえ、ロボットの動きもコミュニケーションも、デザインだと思うんですよ。 うまくデザインしてやると、声をかけたくなるし、Robiは最大たったの200語しか理解できない、とても限定されたコミュニケーション能力なんですけど、それでも何となく意思疎通ができている気になるんですね。
これってデザインの力だと思うんです。 スピーチでもいいましたが、音声認識なんかも、今まで精度が悪いから普及しないのではないかということで、どんどん精度を上げ、言葉の数を増やしていった。 が、もう一つ使われない。 どうも、その方向は間違っていたんじゃないか。 つまり、人間は、言葉を理解できないものにさえ話しかけるというところがあるわけなんです。 そういう人間のことをよく知り、人間のツボというか、どうすれば琴線にふれるかを理解した上で、デザインに反映させていくと、音声認識やナビの問題は解決できるだろうし、山極さんが指摘されたようなことが意図的に可能になっていくんではないかと思います。
高田 公理(佛教大学社会学部教授)
もともと日本人というのは、役にたたへんけど面白いもん作るというのは好きやったと思うんですよ。 江戸時代のからくり人形を思い出していたんですが、お茶運んだりする人形なんですけど、あれってなんの役にも立たないけど、ものすごく面白い。 あのからくり作っていた人の中で、東芝の創設者になった大変な人がいます。 彼は、昼と夜で時間の長さが違う不定時法で極めて正確な時計を作ったんですが、そのとたん、日本が定時法に変わってしまった。 まあ、結局役にたたない大発明ということになったんですが、日本人は、本来、そういうふうに面白いすごいものを作ってきたんです。
それが、明治になってから、役に立つものしかあかんという世知辛い風潮が強くなって、さっき堀場さんがおっしゃったように企業やそして本来一番楽しいことをしないといけない大学も、大変具合の悪い状況にあるわけなんですね。 それが、きょう、明治から150年経って「ブツ」を持って、日本のこのどうしようもない状態を破壊する人が出てきたんだなあと、感慨をもって話を聞いていました。
それで、コミュニケーションということなんですが、実は私、10年ほど前にある寝具会社と「おしゃべり人形」というものを作ったことがあるんです。 1200語しゃべれる人形で、不眠症のOLをターゲットにしたものでした。 ところが、モニタリングとかすると、1日で飽きてしまうんですね。 それはなぜかというと、いっぱい言葉はしゃべれるがRobiのように対話ができない。 一方通行なんです。 何があっても一方的に頓珍漢なことばかり話すわけです。 かろうじて少し痴呆の進んだお年寄りには、話しかけるだけで喜ばれたんですが…。 それで、日本には、コミュニケーションという、元々は一方通行の意思伝達を表す言葉と違って、「やりとり」という双方向のコミュニケーションを表す言葉があります。 高橋さんのロボットは多分それを目指されているわけなんですが、きっと、さらに進化し、人とコミュニケーションを媒介する存在として、これから大きな役割を果たしていくものになるのだろうと思いますね。
山極
からくり人形のことが出てきましたが、その他にも文楽とか、お人形さんがそういうものをやっているところを見て、すごく人間的なものをイメージすることが日本の文化には根強くありますね。 まあ、ロボットは日本が世界で一番盛んなんですけど、それは、日本はそういった歴史を持っているがゆえにで、こういう、人間ではないけども人間にちょっと似た動きをするものに対して、いろいろと情感の幅を広げて解釈するということができるからではないですか。
高橋
おっしゃる通りです。 それと、伝統文化だけでなく、昨今のアニメとか、漫画、キャラクター、ゲームとかの影響もあって、こういうロボットに親近感を持つようになってきたことが大きいと思います。 日本人がロボットを好きなのは、仏教のせいだとか、キリスト教の欧米人は嫌いなんだとか、誰がいったのか知りませんが、こんなことは嘘っぱちで、恐らくポップカルチャーによっても日本人は、ロボットをさらに好きになったんだろうと考えます。 で、日本文化に関心の高い国、アメリカやフランスでは、日本の古今の文化を知ることで、実際にロボットに対する考え方が変わってきているんですね。 今まで、欧米人の彼らには、一緒に楽しく暮らす友だちのようなロボットはイメージとしてなかったんです。 例えば、ガラクタみたいなやつで、人とコミュニケーションを取れるような知識のない99%機械みたいなロボットか、逆に、人間そっくりのアンドロイドで、超人的な力を持っていて、人類を滅亡させて地球を乗っ取ろうという、例えばターミネーターみたいなやつか、両極端で、その真ん中を思いつかなかったんですね。 日本人は、ちょうどこの中間のような、ちょうどいいイメージのロボットをポップカルチャーの中から見出したんだろうと思いますね。
高田
もうひとつね、関連することをいえば、近代社会ができあがってくる時、産業革命を通るじゃないですか。 その時、ヨーロッパでは「ラッダイト運動」、つまり「機械打ち壊し運動」がものすごく盛んになるんですね。 機械が自分たちの仕事をとってしまうから、あんな機械は破壊してしまえということなんです。 ところが、日本は、近代化のプロセスで欧米からいろんなものを取り込むんだけども、ラッダイト運動は入ってきたためしがなかった。 機械を破壊するどころか、例えば、自動車工場のラインには、人間の形こそしていないが、ロボットがいっぱいありますね。 冬の朝には、グリスが固まるので動きが鈍くなる。 それで作業員と一緒にラジオ体操をしたりする(笑)なんてことが現出するんですよ。 これは、仏教の問題とは多分違うと思うけれども、日本人のアニミズムというのか、人間のために役に立ってくれるものには魂がこもっている。 だから、大事にしたらなあかんというふうな気持ちが、日本人にはあることは確かやという気はするんですがね。
山極
ものを擬人化してみるところがあるんですね。 それでこれまでにも、犬の格好をしていて、コミュニケーションしながら成長していく「AIBO」というロボットなどいろいろ作られてきたんですが、さっきの高橋さんのお話でものすごく気になったのは、先回りして何かを提案するロボットのことなのです。 これまでは、こっちが指示したり、期待したことに応えてくれるといういわば一方向性のオーダーしかなかったんだけど、お話では、向こうからこちらが気がつかないことを教えてくれたりするということでした。 これは、インターネットではすでに始まっていることに対応することなんですかね。
高橋
そうですね。 その通りです。 実際は、まだ、そこまで先回りして私の思っていることをしてくれるところにまではいたっていませんが…。 ただ、ちょっと、コミュニケーションとかインタラクティブというところからはずれてしまうかもしれませんが、ぼくが思うところ、今、どうも大きな時代の転換点にあるんじゃないか。 それはどういうことかというと、今までは、コンピューターがバーチャルだといわれていた時代で、頭のいいのはみんなそっちに行ったんですね。 私は、残念ながら、機械の側にいわば取り残された人間なんです。 それで、ずっとそちら側のITベンチャーが発展して、そういう人たちが成功を収めてきたわけです。 が、今、何が起こっているかというと、そこで、アイデアとか才能のインフレが起きてしまったんですね。
ちょっと位面白い何かソフトウエアを開発したり、アプリを作っても、もう一円にもならないし、すごいCGを作っても誰も驚かいない。 逆に、遅れてしまった機械の技術を取り入れて、リアルへとそれをうまく移行できると初めて価値が出る。 例えば、メディアアートの分野では、リアルにものを動かすとアートとして評価されるようになってきています。 ロボットはこうした流れの象徴のようになっていて、成長してきたコンピューターを機械に融合させて、次のものを生み出していくという、その流れのまさに最先端の中にあるんです。 今おっしゃった、ネット上で行動履歴を基に先回りしてやっていることを、ロボットによってリアルに移行しようというものであって、ロボットを媒介としてリアルとバーチャルが融合することで、多分、バーチャルの中で起こっていたこと以上の効果が出てくるんじゃないかと思います。
堀場
前から聞いてみたかったんですが、高橋さんのロボットは確かにメカメカっとしてないんですよね。 また、そうはいっても外目は、まさに生き物というようにはなってなくて、メカでないようにもしていない。 見た目はメカではあるが、メカメカっとはしていない。 これは意識的にそうされているんでしょうが、それで、先ほどみせていただいた女性のロボットですね、とてもセクシーでしょう。 あれ、ヌードでもないけど何も着てないのね。 もっと、ヘアスタイルよくして顔もきれいにし、いいスーツか着物を着せたりしたら、さっきデモンストレーションで歩いていたの、もっと色気があって、もうちょっと大きかったら、抱きつきたいという気にさせることも可能ですよね。 (笑)あえてしてないわけ。
高橋
えーとですね、ぼくは、そういうふうなことをしても、あんまりええことないんじゃないかと思うんです。 一つは気持ち悪くなるという問題がある。 あの有名な大阪大学の石黒浩先生という方がいらっしゃいますが、最初、娘さん、そして女子アナ、最後に自分という順番で、何で自分が最初でなかったのかとも思いますが(笑)、とにかくそれぞれのシリコン型をとってコピーし、アンドロイドを作っていらっしゃいますが、やっぱり気持ち悪いんですね。
それが面白いことに、特に女性型が一番気持ち悪くなる。 何がいいたいかというと、人間は、人間にそっくりなものが微妙に違うことに異常に敏感に反応して気持ち悪く感じるんです。 それは、ちょっとした構造の違い、例えば、シリコンの端っこが汚くなってるとか、動きがちょっとおかしい、どこか必要な関節がないとか、瞬きの回数が変…というようなことなんですが、われわれは、こんなことを異常に敏感に感じ取り、気持ち悪さにつながってしまいます。 だから、ロボットをどんどん美人にしていっても、いいロボットにはならないんです。 面白いのは、おっちゃんをロボットにすると意外と気持ち悪くならないんですよね。 美人の方が怖くなる。 これ幽霊でもそうですね。 それと、もう一つは、人間そっくりにしてしまうと機械の魅力がなくなってしまうので、それも面白くないと考えているんです。
つまり、写実画を極めると、写真になってしまうんです。 それなら写真を撮ればいい。 ロボットとして、機械らしさと人間らしさと、できれば両方の魅力を足し算して、なんか2倍面白いものができたらいいなあと思いながら、こういうものを作っているんです。
堀場
いや、よくわかりました。 大体、想像通りでした。
高田
ただね、ロボットじゃないけど、「ラブドール」というのがあるでしょう。 オリエント工業さんのやつですが、あれは徹底してリアルに作っていくんですよね。
高橋
はあ、でもね、京都にマネキンの会社がありますが、そこの方と話をして聞いたのは、あれは、人間の型そのままで作ると何か変なんですって。 やっぱり、マネキン用にモディファイしないとおかしく見えるらしいんですよ。 材料とか静止しているとかいろんな理由でそのままではダメなんでしょう。 多分、オリエント工業さんのやつもいろんなノウハウがあって、いろんなデフォルメをかけているんだと思いますよ。
高田
石黒さんは、国際会議で忙しい時、どこかに宅急便でロボット送っといて国際会議に参加したという話を聞きましたが。
高橋
それは、石黒さんが、国際会議と何かの交流会議をダブルブッキングしてしまった時に、自分は国際会議で海外に行って交流会議はアンドロイドで講演をしたという話だと聞いています。 その余話なんですが、ダブルブッキングを謝罪して、アンドロイドに講演させますが、私かアンドロイドかどっちが行きましょうかとおたずねになったら、両方の会議主催者とも、アンドロイドがいいということになったので、がっかりされたようですよ(笑)。
山極
ロボットを人間に似せないということなんですが、私、数年前に、ホンダの「ASIMO」のシンポジウムに出たことがあります。 ご存知のように二足歩行をし、段差を乗り越えたり、走ったりするロボットなんですが、二足歩行を研究している人類学者や動物学者が集まって、その面白さを語ろうというシンポだったんですね。 その時、私はASIMOの二足歩行がなぜ人間に似ていないかを話しました。 それは何かというと迫力なんですね。
実は、人間にとって二足方向は「自己主張」なんです。 例えばファッションモデルのウオーキングを見ても、体全体で自己表現をしていて、その迫力がよく伝わってくる。 しかし、Robi君もそうですが、メカニズムとか姿勢はよく似せてあるが、ロボットの歩行にはこの自己主張がないんです。 まあ、人間によく似ていても自己主張がないというのがロボットのいい面でもあり、これが担保としてあるので安心して付き合えるのだろうとは思います。 さきほど、「50円玉で、何かしてきなさい」といわれるとロボットは困ってしまうというお話がありましたが、これもまさにロボットは自己主張できない、あるいは、させないようにしてあるからであって、ここが人間とロボットのインタラクトと、人間同士、あるいは人間と動物のインタラクトの違いかなって気がします。 他に、人間にそっくり似せないということで、何か意識されていることはありますか。
高橋
いろんな人間固有の要素があって、ロボットと人、コンピューターと人の違いも出てくるわけですが、だから、そこをなんとか研究しようということで、学習型のロボットを作ったりというようなことがあり、ロボットは心もあるのかみたいな議論もあるんですけど、私は、それって全部デザインで解決できるんじゃないかなと思っているんです。 つまり、今いわれたようなことを聞いて、その要素が何なのかということ、それが表面的にどう現れるかということを、ちゃんと分析してロボットに反映させれば、本当の意味でロボットの意志でなくても、心も感情もなくても、まるでそうであるかのように振る舞うことができるし、また、相手のシグナルから、場やその空気を読むことすらできる。 必ずしも、人間と同じ方法、同じ思考回路でやらなくても、そういうことはできるんじゃないかという気はします。 ただ、今の山極さんのような指摘がないと、気づかずに、そういうデザインが欠落したまま進んでしまうかもしれないという気がします。
山極
先ほど、高橋さんのロボットは、昆虫のように外骨格的なものでできているというお話でしたが、昆虫は、われわれにはずいぶん機械的に見えるんです。 それで、機械と動物の違いっていうのは融通がきくかきかないかということなんですね。 機械はほっとくと自動的に動いてしまう。 こちらがいってもその通りにはいかないみたいな、その融通のなさが機械である、と。 われわれが勝手に思い込んでいるだけかもしれないが、そういう思いがある。 で、機械がきちんと自分で判断をして自律的に動き、われわれに迫ってくるということが近い将来起こるかもしれない。 この境目が、機械に対する信頼か恐怖かの分かれ目ではないかという気がするんですが…。
高橋
あのう、多分、ちっちゃいと、あんまり別に何もたいしたことないから、まあいいや、と。 それが、思いどおりに動いていなくても、実害はないという気はしていますね。 ただ、大きいと恐らく恐怖をとても極度に感じると思います。 私の個人的な体験をいいますと、ATRで研究されているロボットがあるんですが、それはちょっと大きくて、ガスマスクのような顔なんですね。 こっちを認識して「遊ぼう」と近寄ってくる。 そして、自分のことを「可愛いか」と聞いてくるんですよ。 まあ、明らかに気持ち悪いし、そうかといって不細工だと答えるとなんかぶたれそうだし、困ったことがありました。 まあ、恐怖心は、大きさということもあるのかなあ。 小さいと恐怖は和らげられる。
堀場
しかし、所詮、こっちがインプットした何かがなければ、ロボットが単独に意志を持って動くことは絶対ありえないでしょう。 学習して先ほどの「あなたこんなものがほしくないですか」という話にしても、これまでどんなものを買って、どんなものをほしがるか、という今までのデータがあって、その中のどれか、あてはまったった時にそうするのであって、ロボットが、ほんとに顔を見て、この人は「すけべ」やから…と判断するなんて、できるわけない。
山極
いやあ、ぼくは発展していくと思うんですよ。 単に、注文というこちらがいれた情報を基に判断するばかりでなく、勝手に情報を読むということが起こってくるかもしれないんですよ。 いろんな過去の情報から、例えばこういう時に笑う人とか、こういう場面でこういう行動をした、というようなことを参考に、こういう人だと判断するようになるかもしれないんです。
堀場
それは学習効果としてあるかもしれないが、とにかく最初のインプットというものはいりますよね。 それより、きょうの高橋さんの話で思ったのは、ロボットが人間に近づくというよりは、今の若い人がロボットに近づいてますよ。
どういうことかというと、私の会社の中で、ものすごく感じる。 「こんなことなんでせえへんにゃ」というと「聞いてませんでした」、そして「何でそんな大事なことを教えてくれないのか」と、言い訳をする。 何でも「聞いてない」「教えてもらってない」なんです。 まさにロボットと同じ。 教えてもらってないこと、聞いてないことは一切やらない。 これ、ほんとに最近の傾向なんです。 立派な大学出てるとか関係ないんです。 人間が、ロボットに近づいているというしかない。
高田
スピルバーグが作った映画で「AI」というのがあって、それは、人間になりたくてしょうがないアンドロイドの話なんですが、印象的な場面があります。 ある時、食事の場面でサラダを食べて、その水分で電気回路がショートして壊れてしまいます。 そんなわずかなことで、なりたい人間にはなれへんのですね。 これを見て、スピルバーグは面白いなあと思ったんです、人間が命を長らえるためアプリオリに持っている食欲、性欲、睡眠欲については、プログラムしてロボットに教えることはできても、最初から存在の問題として、自分の命を長らえさせるために、という志向性は生み出せへんのですね。
逆に、今、堀場さんがおっしゃったように、現代の若者が、そういった志向性を、もう初めから持ってへんと。 だから、例えば、何食っていいかわからないので、グルメ評論家に聞かんと、食べたい料理も決められへんとかね。 堀場さん、人間のロボット化というのは、大変面白いことをおっしゃったと思います。 AIを研究している人は、脳みそを中心に考えはるんで、いろんな情報をインプットしていったら、人と同じような能力を持つやろうということで来たんだけども、野菜も食えへん、ステーキや寿司のうまさもわからないというふうな存在に、人間のような生命駆動力みたいなものが期待できるかというと、できへんのですよ。 だから、ロボットがなんぼ発展しても、人間の能力を超える局面はいろいろ出てくると思うんだけれど、全然心配することはないとぼくは思っているんです。
ただ、「アシモフの三原則」というのがありますね。 人を攻撃するなとかいうやつですが、最近気になるのは、高橋さんのロボットとは対極にあるロボットのことなんです。 軍事ロボットで、人は乗っていないのに、いくらでも攻撃できる爆撃機や戦車がアメリカを中心にしてどんどん開発、製造されているでしょう。 これは、ロボットというより、人間の問題と思うんですが、日本の可愛らしくて平和なロボットの対極に、こういうものがあるということを忘れると、ちょっとまずいと思うんです。
山極
堀場さん、高田さんから重要な指摘がありました。 二つ問題があったと思います。 一つは人間のロボット化で「、指示されないからしない、教えられてないからできない」という自分の作り方に若者がなってきているということ。 もう一つは、機械と人間の違いは、欲望を持っているかどうかがあるわけだが、その欲望自体が機械の方に引きずられ、人間は望んでもいなかった大殺戮をやってしまうかもしれない。 未来の可能性として、インタラクティブなロボットを作ることは、人間のロボット化に行き着いてしまうかもしれない…。 高橋さんどうでしょう。
高橋
うーん、最近の若い者は、という話を聞く中でいつも思うのは、日本全体の若者がそうなっている、あるいは、そういう傾向にあるというのは、ちょっと飛躍しすぎだと思うんです。 世代論でステレオタイプにいうのは問題あるかもしれませんが、人のロボット化は、いろんなところで以前からわれているように、一部の世代でとりわけ特徴的に起こっていることでしかないと思います。 それが傾向としてずっと広がり、悪化していくものではないだろう、と。
それから、軍事用ロボットのことですが、日本は介護用とかレスキューロボットを作っているいい国で、アメリカは軍事用の殺人ロボットを作っている悪い国といういい方はぼくは、すごく嫌いなんです。 なぜかというと、福島の原発に最初に入ったのは、米国の軍需ロボットなんですね。 ロボット大国の日本のロボットをなぜ使わないのかということなんですが、理由は簡単で実用性がないからなんですよ。 レスキューロボットはいっぱい研究され作られています。 しかし、それは、実験装置というような、配線がぐじゃぐじゃ、鉄骨をつなぎ合わせたようなレベルのもので、現場ではとても使えないシロモノです。 アメリカのロボットは、実戦用ですから、まるで違う。
話がそれてしまいますが、日本の研究は学術目的で、新しい学術理論を検証するための実験装置を作って学会に発表することのために、お金を使っているといってもいいんです。 あたかも実用性があるかのようにうたって、補助金を取り続けているんです。 ミッションを達成するためにシビアに作っているアメリカとは大変な違いなんですね。
山極
これは、ワールドカフェのいいテーマにもなると思いますが、発想、技術とか日本はいいのがあるが、これを実用化するための政策だとか、補助金の仕組み、あるいは産業とのタイアップというようなことが、まだまだ遅れているということですね。
高田
現に高橋さんもほとんど補助金なしで、自分の作ったもの売って次の開発につなげておられる。 要は、商売せえへんかったら、金が動かへんかったら話は前に進まないですよ。
山極
今のお話に関して、会場から、何か意見はありますか。
西田 光生(東洋紡化成品開発研究所)
戦争で必要とされるアメリカと違って、今の日本にロボットは必要でなかったのではないでしょうか。 超高齢社会になるこれからは要るかもしれないが、今の段階では、あってもなかってもよかったということではないんじゃないでしょうか。 だから、実用的なものをつくってビジネスにしようとする人も出てこなかったんじゃないでしょうか。 それはどうでしょう。
高橋
まず、要るものを作ろうという発想が間違っていると思います。 スピーチでもいいましたが、例えばYouTubeですが、アレ、誰がほしがったか。 それに、出てきた後も、アナリストには「ペット自慢のあほサイト」と馬鹿にされたんです。 それが、今やメディアとしてあんな力を持っているわけですよ。 それはTwitterやFacebookも同様ですね。 新しい時代の産業というのは、誰も必要ともしなかったし、欲しいとも思わなかった、あるいはそれまであった何かの代替でもない全く新しい不必要なものなんですね。
でも、それが、ライフスタイルの中に溶け込むと、もう不可欠のものになってしまう。 パソコンだってそだった。 ロボットだって、不必要なものなんです。 考えているのは、この必要ないものをどうやって売りこんでやろうかな、ということです。 そうでないと、新しい産業は生まれてこない。 さっきもいったように、アイホンだって、あんな感じのままでは、誰もワクワクしないでしょう。 だから手足でもつかないと、といったのです。 必要なくても、何かしていかないと産業は回っていかないし、そういうものをうまく生み出していかないと新しい雇用も創出されないと思うんです。
高田
ちょっと、短くいいですか。 今おっしゃったことが、きょうの話の一番の基本であって、つまり、これまでのわれわれの考えは、「必要は発明の母」ということだったんですが、そやない、「発明こそ必要の母なんや」というのがきょうのお話だったんですね。 実は、新幹線もそうなんです。 京都と東京の間を3時間で走る必要はなかった。 しかし走ったら需要が出てきた。 思うに、1960年代くらいから、「発明は必要の母や」ということがわかるような技術革新が、われわれの周りで進んできたと見ているんです。 必要はないけど、おもろいもんを作ったら、必ずその周りに需要が発生するというのが、きょうの高橋さんの話の中で一番重要な提案だったんではないかとぼくは聞きました。
桜井 繁樹(京都大学大学院思修館教授)
きょうは本当に興味深いお話をありがとうございました。 高橋さんは、きっと、とってもすごい夢をお持ちだと思います。 みんなの前で、いいにくいかもしれませんが、ぜひ、その一端でもお聞かせ願いたいのですが…。
高橋
ちょっと、まあ、ハードルがすごく高くて、しょうもないこと語れないですが、実は、今お話したようなこと自体が夢で、一人1台、そういうロボットを持ち歩く、そんな未来をつくるということなんです。 それは、スティーブ・ジョブズさんが実現されたコンピューターをみんなが持っているとか、スマートホンの開発とかと同じで、そういう自分の描いたビジョンが実際に実現して、人々に広まって、その後すたれてなくなるものがあるとしても、ひょっとして未来永劫続いていくような礎を築けるかもしれないわけです。 そんなことができたら幸せだな、と思っています。 一方では、現実的に、ロボガレージを、企業としてどうしていこうかなという夢もあります。
山極
有り難うございました。 今のお話を基に、次のワールドカフェに移りたいと思います。 そのテーマですが、二つ考えました。 一つは、ロボットを用いて将来どういうことができるのか。 もう一つは、新しい産業は悪ふざけから始まるというお話をされていましたが、高田さんもおっしゃっていたように、面白い発想をしていくと新しい産業が出てくる―これが実現する仕組みを今後どうしていくのか、です。 この後、この二つのテーマで、わいわいがやがやをよろしくお願いいたします。
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