活動報告/クオリア京都
第7回クオリアAGORA_2014/ディスカッション
≪こちらのリンクよりプログラムごとのページへ移動できます≫
ディスカッサント
料理研究家
大原 千鶴 氏
佛教大学社会学部教授
高田 公理 氏
京都大学大学院思修館教授
山口 栄一 氏
龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長
末原 達郎 氏
高田 公理(佛教大学社会学部教授)
お話、非常に面白く聞かせてもらいました。 で、あることを思い出しました。 スピルバーグ監督の映画「AI」です。 この映画には人型ロボット、つまりアンドロイドが出てくる。 それも「人間になりたい」と思っているロボットなんです。 それが人間のマネをしてサラダを食べる。 すると、体内には複雑な電気配線がしてあるので、サラダの水分でショートして壊れてしまう。 これじゃ人間になど、なれっこありません。
つまり、人間は水分を含んだ食物を食べる。 このことが人間という動物の本質の一つなんですね。 どうもスピルバーグは、そういうことを暗喩的に言いたかったのではないかという気がします。 同時に、人間の体から脳みそだけを取り出したような「AI」、つまり人工頭脳ができたとしても、あんまり意味ないんとちがうか、とも考えていた可能性がある。 スピルバーグ、なかなかやりおるなあ。 そんなことを思わされたものです。
その話が末原さんのお話とどうつながるのか。 まず今の若い人は食事にお金をかけないわけでしょ? あ、彼ら、本にもお金をかけませんが……。 で、かわりに携帯電話やコンピューターには、かなりのお金をかける。 とすれば、食を大切にしない、こういう暮らし方が、かりに社会全体に広がっていけば、それはそれで大変な問題なんじゃないか。 そんなことを感じた次第です。
いや、末原さんの話によると、日本の社会は全体として、とっくに食料のことなど考えていないという。 これも大変な問題で、今後の日本社会はどうなっていくのか。 とんでもない方向に進んでいるのかも知れない。 そんな感じも受けました。
ところで、アフリカの村はエネルギー、水、食料をすべて自給しているのだという話でした。 その正反対なのが日本社会ですね。 とくにエネルギーに関しては、そのほとんどを、外貨を払って買う石油に依存しています。
ところが、たとえばオーストリアです。 この国も少し前までは大量の石油を輸入していました。 が、これでは外貨が外へ出ていって仕方がない、というので、首都ウィーンの50キロほど上流のドナウ河沿いに原子力発電所を建設しました。 20世紀末のことです。 ところが、反対運動が盛んになったので、国民投票をしたところ、51%対49%で「動かすな」という決定が下された。 こうして、原発はできたのに一度も動かしたことがないという状況が続いています。 で、現在は、その原発の敷地内で太陽光発電の実験をしていて、その発電量が50キロワット程度……。 現場を見に行ったときには笑いましたね。 アホみたいな話ですから……。
ところが、ここで知恵を出し始めた。 オーストリアは山の多い森の国でもあるわけです。 ですから、木材の切れ端などを利用してチップを生産し、それを石油の代わりの燃料として火力発電に使い始めた。 すると石油の輸入量が減って、外貨の持ち出しが急減した。 のんびり、ゆっくり、こうやって、うまい具合に暮らすという方法を選んだわけです。 学ぶべき点がありそうやなあ。 そう思わされています。
そこで、目を転じて農業に則した日本国家の農業政策を翻ってみると、ひたすら失敗の連続なんですね。 逆に、徹底して国の政策に背いて勝手気ままにやってきた地域のなかには豊かな農業社会を運営しているところがあります。
その典型は1960年代に、みずから田んぼを潰し、「ウメクリ植えてハワイへ行こう」と言い放ち、それを実際に実現した大分県の大山町でしょう。 当時の農林省は、「米は国の礎。 田んぼを壊すなど、何事か」と激怒したのですが、わずか数年後には農林省自身、減反政策を採用するわけでしょ? まったく国の言うとおりにしていると、ひどい目に合うこと必定だという気がします。
そこで現在の日本の文科省ですが、これまた大きな過ちを続けている。 国立大学を中心に農学部を潰して、農学の主流をバイオ研究に移し続けている。 本当は日本のマクロな農学こそ、世界の発展途上地域の農業に大きな貢献ができるはずなのですが……。
そんな時代に、末原さんが移られた龍谷大学はマクロな農学をちゃんとしていこうと、農学部をスタートさせる。 なかなかの英断だと思います。
きっと受験生は、その価値に気づくでしょう。 だって、マグロの養殖をはじめ水産学の盛んな近畿大学が、今や最大の受験生数を誇っているわけでしょ? 末原さんには、ちゃんとしたマクロな農学の旗手になってほしいな。 そう思っているところです。
今ひとつ、アフリカ社会で一人前の人間と認められるのは、結婚して竈を持てた時、なんだそうですね。 これも非常に面白い物言いだと思います。 というのも、石毛直道さんの指摘によりますと、まず「人間は料理をする動物だ」ということです。 ついで「人間は共食(きょうしょく)する動物だ」ともいえる。 あ、これ「共食(ともぐ)い」ではなくて「食物を分配して共に食事をする」という意味なんですね。 この二つ、共食と料理をする動物は人間以外には存在しないわけです。
ところが現代の大学生の多くが「ご飯作り」、つまり料理ができない。 女子大の林間学校でカレーを作らせたことがありますが、たとえばジャガイモの皮を剥くとき、包丁を手前から前に向かって削っていくので、ほんの小さな欠片しか残らない。
他方、食べ方にも不思議な現象が起こっています。 たとえば少数ではあるのでしょうが、ご飯を独り便所で食べる人がいる。 「便所飯」というようですが、つまりは共食しない。
食に関連して人間を捉える石毛さんの言葉に引き比べると、もしかすると現代人は「人間でなくなりつつある」といった見方もできかねないという気がするのですが、いかがでしょうか。
末原さんには、こうした現代の食をめぐる問題を、生産現場の側から捉えて直していただいたわけですが、その結果物としての食料や食物を、どう料理し、どのように食べているか。 そのあたりを大原さん、お話ししていただけませんか。
大原 千鶴(料理研究家)
そうですよね、ほんとに、お料理をする方としない方との2層にはっきり分かれていまして、結婚なさっても、あんまりお料理をなさらない方も、やっぱり、実際いらっしゃいますよね。 何ていうんでしょうね、料理っていうのは、実は、おっしゃったように作る時点で非常に五感も使いますし、一緒に食べることでコミュニケーション能力も図れますし、段取り力が、すごく大切なんですね。 包丁の技術とかだけじゃなくって。 そういういうようなことができるっていうこと自体が、非常に人間形成に役に立つと思っておりますので、今の若い方々が、せっかくすごくいい大学を出られても会社に入って続かずに辞めていかれたりとか、いろいろな心の病になられたりとか、そういう問題も結構解決していけるようなヒントがその中にあるのではないかと思います。
でも、こういうふうに料理をつくらなくなったことの原因の一つに、やっぱり携帯電話とかね、ああいったものがすごくあるんじゃないかと思います。 昔は、先ほど末原先生がおっしゃったように、個人がいて、その次には家族があってっていうように、コミュニティーの中での自分の位置っていうのがあったのに、今では、自分と携帯とかパソコンがあれば世界がつながってしまって、それも、自分が好きな時につながることができ、断つこともできるという世界。 コンビニもいっぱいあって料理を作る必要性もなくなってきて、そういうものなんだと、みんなの意識がそういうふうになってきたんじゃないかと思います。
それは、食べることだけじゃなくて、話が広くなりすぎるんですけど、宗教とか法事ごととか、近親者の死とか、そういった、もともと、昔から日本の人間のやってきたことが全部欠落していって、こういうことが関連して、今の状況に立ち至っているのではないでしょうか。 私、いつも思うんですけど、ちゃんとした生活していると、ご飯食べたくなるし、ちゃんとした食事が欲しくなるんですが、昼夜逆転したり、デジタルの方ばかりに走ると、何かコンビニ食でいいやっていうふうな感じになってきてしまうというか、そういう風潮が強まっていると思います。 ただ、そういっても昔には戻れないじゃないですか。 そこをどうするかっていうことじゃないかなと思っています。
高田
なるほど、現代という時代は、食べものが徹底して市場経済化の渦に巻き込まれているというお話でした。 そういえば戦後の日本では、あらゆるものが「商品化」してきました。 たとえば「住宅」は、早い時期から、ほぼ完全に商品化していました。 それは大工さんに建ててもらうものだったのですが、ただ昔は、住み始めて具合の悪いところが出てくると、自分で手直しする人もいなかったわけじゃありません。
住宅についで商品化したのは衣服でしょう。 昭和2、30年代には、多くの家庭にミシンがあって、お母さんが服をこしらえたり、手直ししたりしていました。 それが高度成長期になると、そんなことを誰もしなくなった。 結果、ミシンは物置台になってしまいました。
で、昭和5、60年代から平成にかけて、急速に外食が普及して、つまりは「食の市場経済化=商品化」が進行しました。 実際、外食産業の市場規模は、日本のGDPの5パーセントぐらいを占めている。 ですから、市場経済化がいけないとは言えないのでしょうが、でも、人間の暮らし方という視点から考えたとき、いろんな問題がありそうな気がするのですが、このあたり、山口さん、いかがですか。
山口 栄一(京都大学大学院思修館教授)
きょうは、ほんとに、すごくインスパイヤされました。 面白かったです。 私、実は、8年前に「イノベーション 破壊と共鳴」という本を書きまして、このイノベーションの教科書を書くにあたって、あえて初っ端、農業から話を始めたんですよ。 というのは、農業というのが、もっともイノベーションからほど遠い。 いろんな制約があって、やりたい人がやれなくなっている。 がんじがらめになっているもんだから、そこから書き始めたんですね。
それで、きちんとした科学的な分析をしようと思って、二つの分析をしました。 一つは、「名存実亡度」というトポグラフィを描きました。 (資料~[1][2])ここに掲げる図Aは、日本全国の市区町村について、農地地価を生産農業所得(農作物を売って得られる利益)で割った値を、色の濃さで表現したトポグラフィ(1999年と1980年)です。 農地地価は、農業委員会に出かけて行って、全部かき集めまして、50年分の農地地価を全部データベースにしました。 それを生産農業所得で割るわけです。 この割り算で何がわかるかというと、利子ゼロで銀行からお金を借り、農地を買って農業を始める。 すると何年かけたら、借りたお金を返せるかという値です。 収益還元年ともいいます。 この収益還元年が10年未満の場合、青色で示し、10年以上の場合、茶色で示しています。 また、上の図が、1999年の図。 下の図が1980年の図です。
これで面白いことがわかります。 たとえば、北海道では多くの地点で10年未満で借りたお金を返せる。 つまり産業として成立しているということです。 1980年から1999年にかけて青い色がどんどん増えています。 これは大規模化が進んで、土地生産性が上がり、生産農業所得が伸びたおかげです。 産業として大成功した。 ところがたとえば、北陸地方や近畿地方などは、1980年時点で多くの地点で収益還元年が10年以上で、1999年に至っては何と80年以上に増えている。 この地帯は小規模農家なので土地生産性は上がりませんが、農地地価がどんどん高くなっているからです。 これは何を示しているかというと、北陸地方・近畿地方などでは、農地は資源じゃなくて資産なんですね。 農家の人だけが、そこに、子どもたちのために住宅を建てる特権を持っていますから、資源として使うんじゃなくて、あくまで、いずれ子孫が住宅を建てるための資産なわけです。 だから、北陸の人たちの場合、農地を持っているのは、何も農業をやるためではなくて、いずれ家を建てるためにすぎない。 そこで、この「農地地価を生産農業所得 で割った値」=収益還元年を、私は「名存実亡度」と呼んでいます。 農地とは名ばかりで実はない。 この「名存実亡度」が10以上になると、農地は生産資源ではなくなって将来子供たちが家を建てるための資産である、という意味です。
それから、もう一つ分析した図B(資料[3][4])は「モラル破綻度」(1999年と1980年)です。 これは、市町村ごとに、どれだけ農業に税金が投入されてるかっていうのを算出しまして、それを生産農業所得で割ったトポグラフィです。 もしもこの、農業に投入された税金の額を、生産農業所得で割った値が1を超えていると、生産農業所得(農作物を売ってで得られる利益)よりも、たくさんの税金が投入されている。 1を超えている地帯は、もう農業をやめてもらって、税金をばら撒いたほうが効率的だということなので、ある種のモラルハザードが起きてるってことですね。 そこで私は、この「農業に投入された税金の額を、生産農業所得で割った値」を「モラル破綻度」と呼んでいます。
するとすぐに分かるように、「モラル破綻度」のトポグラフィは、「名存実亡度」とと完全に重なるんですよ。 「モラル破綻度」は、北陸地方などでは多くの市町村で1を超えています。 3を超える市町村もある。 つまり、3の税金を投入して1の農業所得しか得られない。 しかも、1980年時点では日本の殆どの場所でモラル破綻はしていなかった。 モラル破綻度は1以下だった。 ところが1999年では、モラル破綻度が1を超える地点が、とりわけ西日本で増殖しています。
どうしてこうなんだろうと思って、第二種兼業農家が全体の農業に占めている割合をトポグラフィとして表現すると、これまたぴったり重なります。 第二種兼業農家というのは、主として自分の所得はサラリーマンとかして得て、土、日だけ農業をやっているという人たちです。 で、一方、先ほどの表からわかりますように、専業の農家は5分の1に減っているんですね。 しかし、第二種は2分の1にしか減っていない。 第二種兼業農家は「おいしい」んですよね。 やはり、日本の農政は、モラルハザードを起こしている。
それで私は、北海道に出向き、農家を徹底的にインタビューしました。 興味深いことがわかったのは、北海道の大規模農家は、基本的に米ではなくて、あずきや小麦などを輪作しています。 つまり、補助金の得られないものを作っているんですね。 聞いてみると、「農業が楽しくて仕方ない」と。 大規模農家で、一人、70ヘクタールぐらい耕しています。 自分ひとりで、100ヘクタールは耕作できるという話も聞きました。 そして、小豆など作ったものは農協なんかは通さずに直接消費者に売っている。 ひとり一人が立派な企業家です。 だから、産業として成立しているわけですよね。
結論は何かというと、本州の米農家っていうのはモラルハザードをしているんだ。 もしも、直播きをして大規模農業を始めれば、日本は十分に競争力を持つ。 そういう世界がやってくる。 ところが農家が農地を住宅地にできるような農政をやってるもんですから、モラルハザードが起きてるってことです。
それで、私は、アメリカに飛びまして、田牧(一郎)さんに会いました。 田牧さんって、「田牧米」っていう、アメリカの最高級ブランドの米を作っている人です。 この田牧米。 ものすごくうまいんですが、話を聞くと「田牧米は、直播きをやってコシヒカリを超える味を持たせるように開発したものである。 直播きで大規模農法が可能で、自分はヘリコプターで撒いている。 それで十分に、コシヒカリを超える味のものが作れる」とおっしゃっていました。
というわけで整理をしますと、あえて挑戦的なことを申し上げますけれども、文化としての農業と経済としての農業というのは、いわば対峙しているとおっしゃいましたけど、私は「現状の日本の農業はそれ以前の状態である。 農政は、第二種兼業農家をモラルハザードで温存させるってことをやっている。 われわれがやるべきことは、命がけで農業をしている専業農家をエンカレッジすることだ」と考えます。 ところが、片手間に農業をしている第二種にさえ戸別所得補償をやるような、とんでもないモラルハザードの農政が行われている。 私は、経済としての農業が成立すれば、文化としての農業が復活すると思うんですよ。 つまり、農業が産業にさえなれば、農業に文化がやってくる。 いかが思われますか。
末原 達郎(龍谷大学経済学部教授・農学部設置委員会委員長)
実際はですね、非常に小規模な農家、家族農業経営が日本の農業を支えてきたわけですね。 ところが、非常に不思議なのは、1960年代のある時、需要と供給がぱたっと、需要のほうが供給より下がってしまった。 それまで、1960年代の後半までは、日本というのは、何しろ米を作ればそれでよかったんです。 ところが、その時に初めて供給のほうが需要を超えてしまった。 それは、小規模農家が意欲があり、技術も発展したということがあったんですけど、そこで、日本は、無理やり農業生産を抑えてしまったんですね。 一つは、農政の間違いだと思うんですけど、米に特化するということをやってしまった。 もともと、米作りというのは、実ればいいという時期があって、「豊年満作」という思想があったんですね。 いろんなもの、多様なものがたくさん実るのがいい、と。 それが、その時点で、政策的に切られてしまって、お金を渡すから作らないでね、と、需給のバランス調整しようというふうなことになり、それ以来、こういう問題が続いてきてるってことですね。
確かに、そういう政策自体に問題はあるんですが、じゃあ、経済だけで回したらいいかというと、必ずしも、そうはならないと思いますね。 例えば、300ヘクタール位を経営する大規模農家はうまくいくと思うんですけども、それは限られたところにしかいないので、山間部で、人が少なくて、農地も非常に小さいところはどうするかっていうことですね。 資産としてずーと続かないにしても、それ、どうやってその社会を成り立たせていくのか。 確かに、農業は、一つの産業としては成り立ちうる可能性があるので、多分、今、おっしゃったように社会的なイノベーションを行う転換期だと、私も思っています。 ただ、大規模だけでは解決しない。 それは、米に集中し過ぎたから、こういう問題が起こってきたので、いくつかの野菜なんかも含めて農業生産をしていく場合には、家族農業が生き残っていくことになる。
経済というのは、循環している時はいいんですよね。 エコノミックというのは、もともと、何ていいますかね、自然の摂理派というのから生まれて、経済学というのは農本主義の元みたいなもので、血が循環するようにものが動いている時は、経済は非常にいいんです。 ところが、循環しなくなったらね、経済として成り立たない。 そこをなんか手当するというか、考える必要があるわけですね。 それは、さまざまな品種を経済的にやっていくと、同じ単一の品種になっていくとか、単一の生産様式になっていくという欠点がある。 今、工業製品を作るような経済の仕組みが、日本中に広がっているわけですね。 ところが、生物っていうのは、基本的にバラバラの格好をしていて、曲がったキュウリだって個性を主張しているわけですから、そういうものを流通移動させる仕組みにはなっていないんですね。 おっしゃったような意味での経済的に産業として成立するというのは、工業的な経済システムでいけるかどうかというと、ぼくは、ちょっといけないんじゃないかなと思いますね。
だから、ある意味では、平場の農地なんかは規模の拡大。 それから新しい人が農業をやろうととした時に入ってこれないというのは、非常に悪い仕組みであって、それを何らかの形で受け皿を作っていく。 大学を作るということは、若い人が入ってくるっていうことですから、そういうものを活かすような農業に変えていく必要はあるんですね。 一つは経済の仕組みですが、ただ大規模化だけでそれが達成できるとは思わない。
山口
でもね。 私は、北海道の農業って、ある種の理想だと思うんです。 特に帯広のあたりで行われている70ヘクタールを耕して小豆や小麦を輪作しているような農業です。 彼らは、リスクを乗り越えることを楽しみながら農業をしているんですね。 立派な経営者です。 それがだんだん波及してきて、今、青森にやってきて、30ヘクタールから50ヘクタールぐらいの米農家が発生しています。 大規模化がなされてきています。
1961年に、農業基本法ができた時、農林省がめざしたものは大規模化だったわけですが、これはまんまと失敗。 ただ、北海道では、これが成功した。 うまくいった理由は、新陳代謝です。 経営に失敗した人たちを経営に成功した人たちが助けるという構図でもって、新陳代謝が起こってどんどん大規模化がなされていって、非常に美しい産業の姿ができあがっている。 それ以外のところでは、ちっとも新陳代謝が進まずに、1ヘクタールの農家がそのまま温存されている。 だから、新規参入者が入って来られないんですよね。 起業家精神をみなぎらせていかに農業をしたいと思っても、本州では入ってこられないわけですよ。 これは、イノベーションを阻害しますから、大規模化が良い、悪いの話ではなくて、むしろ、楽しみながら農業をやる、新規参入者が農業をやるにはどうすればいいか。 それは、最終的にある姿は、産業としての農業がどう成立するか。 それが成立して、初めて文化が成立するんだろうなって思うんですけど、いかがでしょうか。
高田
おっしゃること、よく分かる面もあるのですが……。 アメリカというか、これにオーストラリアを加えた新大陸の農業は、全体として大規模化しています。 旧大陸のように伝統的な生業としての農業が未成熟だったところに、ヨーロッパから商品生産のための農業が入ってきたからです。 つまり、小麦なら小麦、サトウキビならサトウキビを大規模生産する企業的農業が卓越するんですね。
こうした農業は自然に対して収奪的になりがちです。 田牧米を作っている人の場合がどうなのか、詳細は知りませんが、アメリカ中西部で発達した農業は、もともと雨の少ない地域ですから、大量の地下水を汲み上げることで可能になった。 この地域にオガララ帯水層という莫大な量の地下水の層があったからです。 でも今日、そのほとんどを汲み上げてしまったので、今後、この地域の農業は壊滅的な打撃を受けるとされています。 それに大量の化学肥料を使うので、土が痩せ、大地が固まってしまう。 加えて、そこで働く労働力に対しても収奪的になるという問題を抱えているのではないかと思います。
もっとも、農業の大規模化にもいろんな方法があるわけで、山口さんがおっしゃったように「農業を楽しむ」――そこには新しい可能性がありそうです。 たとえば八郎潟の広大な干拓地で「あきたこまち」を作っている企業的農業の場合、ちゃんとペイする農業を、ある意味、楽しみながらやっている人々がいるようです。
ただ、アフリカを含め、ヨーロッパやアジアといった旧大陸で長い歴史を持つ農業は本来、さまざまな種類の作物を自給的に作り、土地を大切に扱いながら、その恵みを繰り返し収穫するという「収奪的でない」農業だったわけです。
そうした農業を極端な形で実践した人のなかに、1960年代でしたかね、「楢山節考」という作品で文壇にデビューした作家の深沢七郎さんがいました。 彼はわずか30アールの土地で100種類の作物をこしらえて自活するということをやってのけました。 まあ、これは例外的な事例に過ぎませんが、それは他方で、日本の農家の基本的なありようを継承していた面もあるように思います。 山口さんのおっしゃった農業の楽しみとは正反対の、こうした楽しみ方もあるようにおもうのですが、いかがでしょうか。
そういえば大分県の大山町の農家の所有している土地は、わずか3反程度なのですが、ここでは今なお平均的な農業所得が、一戸あたり年間500万円ぐらいあります。 何故こんなことが可能なのかというと、農産品の2次加工から、さらには3次流通までを自分たちで差配するという効率的な経営をしているからです。
たとえば栽培したウメは梅干しにし、イチゴは形の悪いものなどをジャムにし、自分たちが経営している販売拠点で販売する。 結果、500万円の農業所得を上げつつ、労働は週に4日、パスポートの普及率は日本の自治体のなかで最も高い暮らしを可能にしているわけです。
じゃあ、何故パスポートの普及率が高いのか。 それは、楽しみを兼ねた海外の農村との交流のためで、そうした機会に仕入れた知識で、実に多様な作物を栽培し、加工し、販売しているわけです。 実際、すでに1970年に各種のハーブ栽培に着手したり、1980年代には多様なキノコ栽培を始めたりしたんですね。
これは、山口さんのおっしゃるのとは異なる「もう一つの産業化」とでも呼べばいいのでしょうか。 言ってみれば、多様な農業のあり方を考えていくことが必要なんじゃないのかなと思うのですが、末原さん、いかがですか。
末原
私も、そう思うんですね。 大規模化は一つの方策。 それがいけるところはなんぼかあるだろう。 5割か6割か。 確かに、今、いろんな法律でがんじがらめになっているところを自由にする必要があるだろうし、ほんとに、今から農業をやりたいという人たち、若者も中年もいますけども、そういう人たちができるということがとても大事。 そういう人たちが、住める場所、住めるような仕組み、農業をやれるような仕組みは、地域社会の中で作っていかざるをえない。
後は、知恵を働かせて、消費者の要求に応えられるような商品を作っていくということ。 それは市場と結びつくということですけど、そういうやり方っていうのは、今、あんまりなされていない。 特殊なところはいけてますけど。 ほかの工業だと、そういう分野があんまり残っていないが、農業だと、ずいぶん残っていると考えますね。 それから、ある程度、そういう知を活かして、ネットワークを作って農業というものを通じて入り込めていくと、それは産業としても成り立ってくるだろうと思います。 その場合、わりと多様的なもので小規模な農家でも、やっていけるんじゃないか。 知恵と力は使いようだ、と。
私、フランスでみたんですけど、日本の地域が弱い最大の原因はね、日本に夏休みがないからではないかと思ってるんですよ。 フランス人はみんな、バカンスで夏休み、自由になるわけですね。 すると、だいたい田舎にいくんです。 田舎に行って大してお金もかからないようなところで生活する。 その中に、いろんな教育農場みたいなのがあって、牧場の経営者がね、馬を飼いながらコンピューターでね、パリの学生たちに教育してるわけです。 ほとんどコンピューターの授業してるんだけど、後は馬を飼わせたり、馬の世話させたりしている。 そういう形態というのは、いくつもあるんだろうと思うし、そういう農業を通じた産業、何ていうか、必ずしも農業に特化しなくても、ちょっと変わった産業というのは、これから日本でも出てくる可能性がある。
心配なのはね、食事のことなんですよ。 味というのは五感でしょう。 五感というのは鍛えないとね、どんどん衰えていくもんで、それをどっかで鍛えるようにする必要がある。 なかなか、ある程度年齢がいってから鍛えているだけでは、何かね、高いものものだけであって、われわれが、日本の社会として美味しい味っていうものを作っていけるということになれば、やっぱり若い人から全部参加できるような食材というのがあって、その食材を作るためには、やっぱりそれに関与した農業というのが必要ではないか。
高田
「美味しい味をどう認識するか」――これを身につけるには、自分で料理を作らないとダメだと思います。 ぼくは、20歳代にスナックをやっていたので、ひと通りの料理は、すべて自分で作れます。 グルメ評論家の書いた「おいしい店」を食べ歩きしているだけでは、絶対といってええほど、たべものの味を理解するのは無理だと思います。 自分で料理して、それを食べてみて初めて、食べもの味が分かるのではないですか。
今どき毛沢東でもないでしょうが、彼は『実践論』のなかに面白い言葉を残している。 いわく「ナシを知ろうと思えば、ナシを噛んで変革しなければならない」―自分の歯で噛んで、自分の舌で味わうことがない限り、ナシの本質は分からないというわけです。 大原さん、食べて味がわかる、作って味がわかるということについて、どう思われますか。
大原
おっしゃる通りで、作るためには、やっぱり舌がちゃんとしていないとダメですし、別に、ごちそうである必要はないと思うんですけれども、その土地でできあがったものをちゃんと簡単な形でいいので調理して食べてその味を確認するということが大切だと思うんですよ。 それは、遠いところから来た外国のものではなくって、自分の目の前にあるものを食べるということが、おんなじ空気の中、おんなじ水で育って生きてる植物ですので、やっぱり体にすんなり入るっていうふうに思うんですよね。 そういう考えで、実家はお料理を作ってお出ししてるわけなんですけど、私なんかも小さい時から、実家でそういう料理を食べて育ってきたわけです。 結局、ごちそうとか、懐石を食べてきたわけではなくて、お客様にお出しした残りの端を食べるだけなんですけども、それでも、舌が鍛えられるといいますか…。 知らないとわからない。 できるだけ、小さな時から自然のものを食べさせることが大事だと思います。 うちの子どもたちも、まあ、化学的な味のものは殆ど食べさせてきませんでした。
高田
会場の皆さん、何か話題を提供してもらえませんか。
三木 俊和 (大阪経済大学大学院生)
高田先生のお話にあった大分の大山町「木の花ガルテン」ですね。 私も行きまして、これ、おばんざいで、野菜のものを出しています。 100種類ぐらいあって、それはすごい人気で、福岡からのお客さんをものすごく誘致していて、お話のように今、福岡に出店するようになっているわけです。 これ見ているとずいぶん農業は元気なんですね。 こういうことがあるのに、農業が元気でないとものすごく宣伝されてるのが残念でならない。
それで、私は、5年前からフランスによく行きます。 何のために行くかというと、日本食を食べ歩きするためです。 しかし、残念ながら、まずいんですね。 これでは、和食ダメやでということなんですが、結局、出汁がダメ、水も合わない。 私の友人が、フランスに行って、おいしい味噌汁とご飯を食べてもらうと、フランス人は本当においしいと喜ぶと言っていました。 日本食はものすごく愛されています。 おいしい、ほんものの和食を増やさないといけないと思います。 大原先生、出汁と水が一番大事ということを、もっと世界に向けて発信していただきたいと思います。 これが正しく伝われば、日本食はもっと広がると思います。
もう一つは、お茶漬けというものを見なおしてほしいんですね。 私、学生をしているので生協の学食に行くんですが、そこで、お茶漬けを食べたいんですが、食べられないんです。 ライスになるんです。 もう少しお米文化を楽しみたい。 お米中心にすると、体の調子もよく、私もこれに切り替え、メタボと言われていたのが10㌔痩せたんです。 お米は、健康食としてもいいと思うんですが、大原先生いかが思われますか。
大原
お茶漬け言わはったから、これは、「京都人のぶぶ漬け」の話かなと思いましたけど…。 そうですよねえ、もともと食の成り立ちっていうところからいきますと、私なんかは、実家の仕事もあり、家が、中国の天童如浄に師事した道元が開いた禅宗の曹洞宗です。 ですから、これ、懐石なんかも全部含めまして、「無駄なくいただいて、最後は、お漬けもん、お湯で器をきれいにして終わる」っていうのがわかります。 けれども、日本ではもう多くの人が、そういうところから離れてしまってらっしゃるので、それは格好悪いっていいますかね、行儀の悪いことになってると思います。 そうではないということを理解するには、お茶とか、仏教とかいうものが、もっと昔のように社会に浸透していくことも大事ではないかと考えていて、そういったことをいろいろ発信するよう、微力ですが頑張ります。
高田
いろいろ、面白い話が出てきましたが、ちょっと抜けている話題がありそうです。 食べ物の生産の場面、それを料理して食べる場面については、いろんな話が出たのですが、食べの流通についても考える必要がある。 実は私、京都の七条千本で生まれ育ったので、中央市場とその近隣の商店街のことは、よく覚えているんですね。 魚なら魚晴や山定、野菜なら堀井商店、果物なら朱常……といった具合です。 で、今日は中央市場にある京都青果合同の内田社長がお見えになっているので、食べものの流通に関して、何か話題を提供していただけるとありがたいのですが、いかがですか。
内田 隆 京都青果合同社長
急に振られましたので、常日頃考えていることを話します。 食というのは、全部、文化につながっているという、そういう話があったと思います。 まず、日本が敗戦して、欧米の食事が入ってきて70年になりますが、やっとアメリカ人が日本に勝てた、という話をされることがあります。 これは、日本の食文化っていうものを半世紀以上かけて潰せたということなんですけども、例えば、ハンバーガを食べて食事をすますであるとか、日本の食文化が完全に崩壊し、共食という、家族が一緒に食事するというのもなくなってきていますし、とにかく全ての日本の昔の良かったところが、戦後に、完全に潰れてしまった。 これが一番の問題で、子どもたちに一から、そういう教育をやり直す必要があると思っております。
それで、実は、市場で卸売業をやっているわれわれが、10年前から「農育」「食育」というものに力を入れておりまして。 これ、何をしているかというと、京都市内の小学校児童に、産地の人から簡単な農業技術を教えてもらい、野菜を作ってもらっています。 そして、その過程の中で子どもたちが土を感じ、育てる中で、命の大切さも感じ、収穫し、それを料理しみんなで食べ、喜びを感じてもらうというものなんです。 農業から食事をするという段階で、人間に必要なことが全て教えられるというふうに思っておりまして、10年間で市内の小学校を全て網羅さしてもらいました。 これが地道な活動となって、将来、食育に理解のある子どもたちに育つのかなと思っていますし、この動きは全国に広がっていっています。 こういう「農育」「食育」が大事だと思います。
末原
龍大の農学部にね、今度、食品栄養学科というのを作るんですよ。 栄養士さんて重要なんですよ。 学校給食、職場の給食を支えている人なんですね。 でも、これが、ロット単位でものを買うというところに頭がいってしまっているんで、これを、作るところまで引っ張っていこうということです。 農学部の中に、栄養士養成課程があるというのはとても大事で、農作物を作るところまで行ってもらい、そっから見てもらうと、同級生の中で、農家の人も出てくるし、卸売の人も出てくるだろうけれども、その学生時代に培ったネットワークが必ず役に立って、栄養士さんになって、給食で何を出すかということを、もっと考えると思うんですね。 そういう時に、生産者ともつなげるし、というふうな仕組みができてきたら、子どもの食育で感性を鍛えるっていうところもあるし、同時に、学校の仕組み、これ、どうにも硬い制度があって、なかなか突破できないところがあるんですけども、そういうものも、10年、20年で変わって来るんじゃないかと思ってますので、管理栄養士さんも組み込んで、作るところから食べるところまで結びつけるっていうね教育をしたいと、それも食育の一つだと思います。
高田
栄養士や管理栄養士の果たす役割も大事ですね。 ただ、今日、その教育プログラムというかカリキュラムを、すべて医者が作っているようです。 そうすると食べものの味に関しては、ろくでもないことになってしまう。
たとえばスープのレシピが書いてあって、そのどこに欠点があるのか、どうすればいいのかという問題に対する正解をみて、びっくりしたことがあります。 正解は「カルシウムが足りない」。 で、「どうするか」に、ある学生が「ベーキングパウダーを加える」と答えたところ、これが正解だというんですね。 そんなスープ、飲んでみるとどんな味がするのか。 ひどい話です。
そこで思い出すのは、アメリカの料理がまずくなった原因の一つは、20世紀なかばにファイザーという栄養学者が出て、一種の栄養学至上主義を広めた。 結果、栄養バランスさえ良ければ、味なんてどうでもいいという文化が成立したようです。 だから、すべてを栄養士や管理栄養士にまかせてよしとすることには問題がありそうな気がします。
末原
ま、栄養学自体がそういうところがあるんです。 そこは、変えていかなきゃならん。
高田
さきほど、私は「食いもんの味がわかるようになるには、料理を作らんとあかん」と言いましたが、「それだけでは、まだまだあかん。 野菜の栽培から始めんと、あかん」――なるほどと思わされますね。 という意味で、内田さんがおっしゃった、小学校でのそういう試みは大変結構なことだと思います。 ぼくも夏には、ちょっとだけですが、キュウリやナスビを作ります。 それを朝一番に収穫して食べると、ほんとにおいしい。 今、食育といわれていることに関して、どの程度のことがなされているのか。 これは、本格的に考え直してみる必要があるかもしれませんね。 つまり、食べものを作るところまで、食育の範疇に入れないとあかん。 こういうことのようですが、山口さん、どう考えられますか。
山口
全く同感です。 私は、フランスに3年間、イギリスに1年間住んでいましたけれども、やっぱり、日本人の味覚は鋭いし、日本食のすばらしさを、もちろん痛感するわけですね。 しかし一方で、ヨーロッパにおける日本食の劣化といいましょうか退化は凄まじく、とんでもない。 「ナンチャッテ日本食」がはびこっていて、ほんとに恐ろしいことだなと思うわけです。 しかも一時、農林水産省が認定制度をやろうとしたんですが、レストラン業界の反対で頓挫した。 とんでもないことだと思うんです。 認定制度は必要です。 せっかく和食が世界遺産に登録されたわけですから、これはきちんと継承しないといけない。 「これが文化なんだよ」「この和食の出汁の味が文化なんだよ」と認定制度を作って、「あなた方がやってるのはナンチャッテなんだよ」ということをきちんと教えるべきで、日本の大学の農学部の一つの重要な使命だと思うんですが、どうでしょう。
末原
フランスの日本料理は、出汁がまずいっていうのは、確かにそうで、鰹節がなかなか向こうで作れないですよね。 鰹節を、向こうでちゃんと作っていかないといけないので、農学部をそういうことも研究できるようなところにしたい。 やっぱり、食べ手と作り手―作物と料理のですが、それに流通業者も含めて一緒にやっていくと変われるんじゃないか。 すると、農業というのは、これまではモッチャリしてて、話題にならなかったけども、社会を変えていく一つの切り口としては有効なんじゃないかと思うんですね。 農業だけ考えてるんじゃなくて、食と農という連鎖関係の中で変えていくと回転ができるんじゃないかと思っています。
高田
会場からいかがでしょう。
日田 早織 (京都大学大学院農学研究科)
2点うかがいたいと思います。 若者が農業に新規参入するっていうことについてですが、土地を買うとか借りるとかが難しいとかいう以外に、何か新規参入の障壁になっている事はありますか。 それと、土地を先祖代々の土地だからかということで手放さない方が多いと思うんですけど、そういう価値観はどんどん変わっていくのではないでしょうか。 「おばあちゃんが持ってるけど、税金払わなきゃいけないし、その土地どうしよう」とか言ってる友だちもいるので、何か、そういう価値観も変わって、土地を手放す人も出てくるのでは、と勝手に思っているのですが、どうでしょう。
末原
若者が農業に入っていく時、一番重要なのは、向こう側の村っていうか集落の側で、だれかサポートしてくれる人がいればいい。 われわれが入って行ってもねえ、どうにも突破できないことがある。 村の中にいる味方というかサポーターが、こういう問題を斡旋してくれる、とこけないっていう感じなんですよ。
土地については、確かにそうで、うちの家内の実家でも「農地を引き継いだけど、どうするか。 杉でも植えるか」とか言ってるけど、そういうことになると困るし、そういう農地そのものは出てくると思うんですが、それを引き受ける材料が必要なのと、やっぱりね、社会の中に入っていくわけなんですよね。 今までとは違う人間関係のところに入って行く場合には、やはり、その地域社会の中で味方が必要なんです。 それで、これからは、どんどん味方は出てきますよ。 なぜかというと、だんだん年寄りばかりになってしまうからです。 例えば、ぼくが新規参入で行ってもね、誰も受け入れてくれないけども、20代、30代の人が行くと、それだけで、その社会が変わる可能性があるんだから、サポーターが出てくるっていうふになっていくと思いますね。 どんどんそういうふうに動いていくと思います。
村瀬 雅俊 (京都大学基礎物理学研究所准教授)
自然災害とか病害虫、それに強い農業っていうことについてです。 私は、想定外のことが起こることを想定するような、要するに何が起こっても対応でき、あるいはその失敗を受け入れる、新しい学問体系を考えたいと思っています。 何か、自然災害が起こるたびに、政府の援助を受けているようでは情けないので、農業の分野で、何か、そういうお考えというのはありますかね。
末原
それ大変大事なことで、私が、アフリカから学んだことは、やっぱりバランスよく食物を作っているということです。 一つのものだけじゃなくて、乾季に強いやつ、収量は少なくても、厳しい状況でも残るやつとか。 そういうのは、ちょっと効率性とは別でね、もっとも、長期スパンで見たら効率性ということになると思うんですけども、そういうものがあるんじゃないか。 多分、新しい災害なんかに強い品種と、それから、単独でやるんじゃなくていくつかのものと混ぜるような発想っていうのがあるのかと思います。
高田
その点では、日本の米というのは非常に危うい。 ほとんどがコシヒカリにつながる単一の系統で来ていますから……。
五十嵐敏郎 (金沢大学大学院生)
私、常にエネルギーを基軸として物事を考えておりまして、そういう意味からすれば、農業はまさにエネルギーの問題なんですね。 一時、聞きましたが、例の「フードマイレージ」。 これ、実は、ダントツで日本が大きいんですね。 で、まもなく流通に使えるエネルギーが、恐らく制限を受けるようになる。 すると、まあ、世界中から今のように調達することは不可能になって来るんじゃないか。 そうことになった時、どうするかということで、大規模化も一つの手かも知れませんけれども、私は、立体農業みたいに、多種類のものを比較的そう大きくない規模で作って、それをうまく回していくというシステムを作り上げていく以外にないのかな、と。
世界の農業は、大規模化は、新大陸を中心に普及していますけども、ほとんどが小規模なんです。 そういう意味では、小規模できちっと、山口先生のお話ではありませんが、楽しく農業できるようなシステムをつくり上げるのが日本の役割じゃないかなと思うんですが、いかがでしょう。
末原
私もそういうふうに思います。 まだねえ、いろいろ工夫がされきってないのが、農業の分野なんです。 そういうものを消費者の要望に対応できる農業っていうものを含めてやっていったら、ブレークスルーのところがいくつか出てきて、規模の拡大だけでなく、もう一つのチャンスとなって出していけるんじゃないかというふうに思いますね。 だから、農業、農学は面白いっていうことで、ガチガチの世界から、これからか変わっていくだろうと思います。 こうしていろんな若い人が出てきて、農家の側も、これから、10年ぐらい、学生を育ててやろうという気になってきた時、日本の社会も、少し変わって来るんじゃないかと思うんですがね。
高田
先程も言ったように、現代社会では、さまざまなものが商品化、つまりは市場経済化します。 しかし他方、それが極限まで進行すると、あらためて遊びに姿を変えて、日常生活に戻ってくる。 そういう法則性があるように思います
たとえば家は、たいていの人が大工さんに建ててもらいます。 でも、その真似事としての日曜大工は楽しみのひとつでしょう。 服だって、工業生産の既成品を買うことが多いのですが、服作りの真似事としての手芸などはレジャーの範疇に入ります。 このように、あらゆるものが商品化の趨勢を辿る一方、それを遊びや楽しみとして取り戻す回路も、ちゃんと機能するんですね。 料理や野菜づくりも、それを遊びや楽しみとして取り戻そうと考える人が、今後とも増えるでしょうし、げんに増えつつあるのではないですか。
そこで、本日のワールドカフェのテーマです。 一つ目は「農民が食える農業ってどういうことなんやろう」ということを考えてみてください。 それから二つ目は「若者が新規参入できる農業ってどういうことなんやろう」――こうした点に焦点を絞って議論を展開してもらえばどうかなと思います。
まあ、農業を始めるには土地が要ります。 でも、農地法という、誰もが農地を手に入れられないことを定めた法律があって、それ自体が職業選択の自由に反する憲法違反みたいなことになっているのですが、こんな問題も現代日本の農業を袋小路に追い詰めているのでしょう。 そうした制度の問題などにも議論を広げてもらえればありがたいなと思います。
先程も言ったように、現代社会では、さまざまなものが商品化、つまりは市場経済化します。 しかし他方、それが極限まで進行すると、あらためて遊びに姿を変えて、日常生活に戻ってくる。 そういう法則性があるように思います。
たとえば家は、たいていの人が大工さんに建ててもらいます。 でも、その真似事としての日曜大工は楽しみのひとつでしょう。 服だって、工業生産の既成品を買うことが多いのですが、服作りの真似事としての手芸などはレジャーの範疇に入ります。 このように、あらゆるものが商品化の趨勢を辿る一方、それを遊びや楽しみとして取り戻す回路も、ちゃんと機能するんですね。 料理や野菜づくりも、それを遊びや楽しみとして取り戻そうと考える人が、今後とも増えるでしょうし、げんに増えつつあるのではないですか。
そこで、本日のワールドカフェのテーマです。 一つ目は「農民が食える農業ってどういうことなんやろう」ということを考えてみてください。 それから二つ目は「若者が新規参入できる農業ってどういうことなんやろう」――こうした点に焦点を絞って議論を展開してもらえばどうかなと思います。
まあ、農業を始めるには土地が要ります。 でも、農地法という、誰もが農地を手に入れられないことを定めた法律があって、それ自体が職業選択の自由に反する憲法違反みたいなことになっているのですが、こんな問題も現代日本の農業を袋小路に追い詰めているのでしょう。 そうした制度の問題などにも議論を広げてもらえればありがたいなと思います。