活動報告/クオリア京都
第5回クオリアAGORA_2014/ワールドカフェ
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ワールドカフェ
世界の流れからグッと遅れてしまった日本のバイオ産業。 IPS細胞やES細胞といった万能細胞などで、日本の再生医療をリードするベンチャー企業をどう育てるかをテーマに活発な意見交換が繰り広げられました。
[ 各テーブルのまとめ ]
●第1テーブル 報告者
片岡 凌佑 (京都大学医学部人間健康科学科)
ぼくたちのグループでは、バイオサイエンスを現実化するということを、まず歴史的なことから検討しました。 つまり、明治以前には、文系、理系が分かれていない文理融合した形で学問は発展していた。 それが、明治維新を経て、文理が分離細分化され、専門分野ごとに深い追究が行われたことで、近代の科学は、ものすごく発展していったわけです。 しかし、現代になって、この文理が分かれ、学問が細分化された状態では太刀打ち出来ない問題が、さまざまに顕在化してきているわけです。
今回テーマになったバイオサイエンスの問題というのも、現代の細分化された学問ではなかなか太刀打ちが難しい、解が難しい問題の一つだと考えられます。 なぜ難しいのかというと、生命技術、バイオサイエンスっていう問題は、非常に多様性が高くて、各専門分野で深く追究したところで、一つの視点がいくら深くても、広い視点がないと対応できないわけです。 これからの多様な問題を解決するには、多様な視点を持った人が多く集まる場を作って、そこで議論をし解決していくということが必要になっていくだろうと思われます。
そういう意味で、このクオリアには、いろんなバックグラウンドを持った人が集まっていて、そのいい例になると思います。 クオリアAGORAの場では、ぼくたちのグループの場合もそうだったんですが、元々の課題からある種、どんどん脱線した話に入っていって、つまり、目的に縛られない中での自由な議論が進められていきます。 実際、クオリアの出席されている方の中から、ベンチャー企業をやる方が増えているそうで、そういう目的から自由になった場での議論から、目的化された実践的な結果が生まれていて、それは、一つのものではなくて、多数のものがどんどん生まれていくのではないかと思います。
バイオサイエンスのビジネス化っていう問題に対しても、やはり、生命技術の専門家だけが集まってやっても解は出ない。 そして、経営についての専門家も、同様です。 どちらも、真っ直ぐ自分の道を見て進むことはできても、全体を俯瞰して見ることはできないわけです。 まず、そういう両者を集めるための場が必要になります。 そして、その場に集めるための発信者の存在も必要になります。 また、集めた人を新たに目的化された実践的なところに進展させていくためのコーディネーターも重要です。 こういった存在が、バイオサイエンスに限らず、これからの多様な問題を解決していくのに必要になってくると思います。
●第2テーブル 報告者 佐々木 勇輔 (京都大学大学院思修館)
私たちのグループは、生命科学をどう産業に活かしていくかを話し合いました。 まず、その背景にある、なぜ、日本では、生命科学が産業として起こってこないのか、について問題点を整理してみました。
その第一は、ヒエラルキー型で、三角形のてっぺんからトップダウンで上から下にしか意見が通らないっていう社会システムが考えられます。 まあ、理研とかですと、国の意思に反した場合はお金がもらえないとか、そういう形では、どうしても自由度が下がってしまいます。 トップダウン型の弊害。 次は、単一的ということもあります。 評価が単一的で、世の中の方向性が決まっている時に、こういうものでないとお金はあげない。 他の研究はダメとか、ということが出てくる。 また、ちょっと違うことをやっている人に対する世の中の偏見ということもあります。 みんなが、そういう人を受け入れず「それはよくない」という雰囲気が作りだされてしまい、挑戦したいという人のモチベーションが下がり、画期的なことを考える人がいなくなってしまうという弊害もあります。 さらに、メディアの問題。 大きな声の人が強くなり、個人が問題意識を持ったとしても、声の強い者に従ってしまうという空気が生まれる。
理研についてですが、理研のような型通りの組織が、結構、日本の中では大きな役割を占めているというのも考えられます。 で、理研の基礎研究というところを見れば、発生生物学の世界的なリーダーとして非常に高い成績を上げられているわけですが、国内では、お金ということがありまして、そういう現実的な面に縛られてしまうということも問題として出されました。
それで、この状況をどうするかを考えました。 システムと人材をどうしていくかということです。
システムの問題については、まず「産官学のコンソーシアム」の推進を提案します。 従来の▽産業の資金▽国のリーダーシップ▽学が持つアカデミズムの力―の三つを、新しい関係の基に活かしていく。 国に、民間からでは言えないことを、学が強くいうとかそういう新しい役割の上に築かれるコンソーシアムによって、事業化の道も拓かれるのではないかと考えます。
また、日本ならではの複数企業による合同研究、開発をやればどうかという意見も出ました。 現在進められているものとしては、NEDOがありますが、企業を掌握しそれぞれの強みを活かしタイアップさせて引っ張っていくような事業を育成していくことも大事というわけです。 これがシステムの面から考えたことです。
次は、人材面。 日本人は挑戦に対してリスクを恐れ、それに対する補助も少ない。 面白いことに対して投資しようと考える人も少なく、こんなことでは、ベンチャー事業は、どんどん縮こまってしまう。 で、新しいこと、違うことをする人を受け入れるっていう寛容性、多様性を受け入れる心に、みんなが少しずつ変わっていくことが大事。 そして、「利他」の精神を持ち、他人の足を引っ張るのではなく、みんなで高め合う-そういう精神に変わっていくことが大事だろう。 これからの若者にぜひやってもらいたいこと。 それと、現役世代の人は、社会貢献を行っていくことも大事だと。 アメリカですと、ベンチャー企業にも寄付をするということもあるようで、こういう環境が、アメリカの強みだと思います。 こうした考えを実践されているのが、利他の精神を持って社会貢献をしているES細胞の父中辻先生というわけです。
●第3テーブル 報告者 鈴木 祥太 (京都大学)
このグループでは、ES細胞で会社をつくろうということなんですが、その前に、会社を作るっていう人がたくさん出るような土壌をどうやって作ればいいかを、主に話し合いました。
最初に、医療を産業に結びつけることに対する反対意見が出ました。 新薬の効力の信頼性を、医者がよくわかっていなくて投与するなど、患者が実験動物化し、臨床実験が非倫理的になっているという問題があるということが、その根拠でした。 続いて、山口先生も再三おっしゃっていますが、1位は石油で2位がバイオという日本の貿易赤字について、その理由を話し合いました。 それは、基礎研究をやめたことにあるんですね。 このまま、基礎研究を軽んじたやり方を続けると、日本の売りとなる産業、今は電子工業ですが、それがなくなってしまう。 今、最先端を行っているiPSも、このままではアメリカの利益になるだろう、と。 そして、科学の世界に2番はなく、トップを走る続けることが大事だ、ということで、前半が終わりました。
後半は、起業したい人がなぜ少ないかということを、主に話し合いました。 それで、出てきたのは、京大をはじめとする日本の大学は、非産業志向っていうか、学問を使って金儲けをすることに、拒否反応が未だに強い。 その例として、話が出たのが、100年前の、高峰譲吉さんという化学者がアドレナリンを発見したんですけれども、学問で金儲けをしたと社会的非難を浴びた。 アメリカでも、同じ100年前、デュポンでナイロンを発明したカロザースという人が同様の非難を受け自殺した事件がありました。 アメリカでは、今、そんな風潮はない。 しかし、日本は、100年前のまま、意識が変わっていないのではないか、という指摘がありました。
それで、産官学について考えると、学は、今言いましたように非産業志向であり、官と産は、即戦力、短期的利益を求め、長い視点で人材を育成することができていない。 その解決のためには、科学と生活、市民とのズレを解消することが必要であると話し合いました。 最終的には、産官学がどのようなことをすればいいかを議論しました。 日本の売りとなるバイオ産業を育成するために、世界を見て長期的に、人材を育成することが大事だという結論になりました。
●第4テーブル 報告者 伊藤 早苗 (京都大学文学部2回生)
万能細胞を技術として活かすにはっていうのと、それに、生命倫理がどう関わってくるのかということを話し合いました。
最初に問題にしたのは、技術者と経営者がもっと協力しないといけないということでした。 技術者が、万能細胞とかどんどん研究していくのはいいんですけれども、それを活かす時に、ベンチャー企業とかいう話も出たんですが、経営の仕方とかを、人任せにしてやれって急に言われてもできないよねっていう話になり、経営者とうまく協力してやることが不可欠だろう、と。 科学者と経営者両方の違った視点から見て、万能細胞を活かすためにはどういう段階を踏まなければならないか、を考えなきゃいけないという話が出ました。
で、産業化の資金ですが、アメリカと比べて日本はベンチャー企業を起こしにくい。 そういうのをやろうとすると個人保証になって、もし失敗すると、子孫に借金がつながってしまう。 そこまでして事業をやる、そんな勇気を出して踏み出せる人は余りいない。 その理由は、受験勉強とかやって、大学に入学して安定性のある方向へ進むというのが、親のプレッシャーもあるかも知れないけれど、そういう日本の社会になっているからじゃないかという話が出ました。
で、最後に、その受験勉強は、イエスかノーで分けられることが多いという話が出て、工業もそういうところがありますが、生命科学とか、万能細胞というのは、イエスとノーの間の曖昧な部分がいっぱいある。 この部分を理解し、もっと考えていくと、バイオサイエンスの技術を産業として活かしていくのに役立つ答えが出るんじゃないか、と。
長谷川 和子 (京都クオリア研究所)
じゃあ、中辻さん、最後に一言おねがいします。
中辻 憲夫 (京都大学物質―細胞統合システム拠点設立拠点長・再生医科学研究所教授)
発表意見の要点は、多様性とか、曖昧さの部分があるとか、リスクをとるとか、大体、内容的に共通していたと思います。 事実関係として、個人保証っていうのは、多分、銀行からの借金だろうと思うんですが、それに変わるのがベンチャーキャピタルなんでけども、日本のベンチャーキャピタルって、実は、結構リスクを取らなかったりするみたいな…。
で、一つだけいうと、京大は、学術の府で、日本の全体の中で、主な役割はやっぱり学術研究だと思うんですね。 でも、京大は学術研究100%やって、どっかの工業大学は産業応用ばかりなんてことは、良くないと思います。 だから、京大の先生の例えば80%は学術を進めてくれたらいいんです。 でも、20%ぐらいの人は、やっぱり産業応用っていうところにつながることをやってもらって、実は、そういう人がいることが学術研究の基礎をサポートすることになるんですね。 これまでは、両方が引き合い、潰し合っているというような感じがあるんですが、両方あって、ちょうどいいんですね。 相補的というのはまさにそうで、いろんな「得意」を持った人が集まって、一つのことを作り上げるものなんだと思うのです。