活動報告/クオリア京都
第10回クオリアAGORA 2014/新しい日本の針路とエネルギー
他方、化石燃料には温暖化や大気汚染などのリスクもあり、太陽光などの活用も道半ばで、直面しているエネルギー問題の解決はそう単純なものではありません。 成熟時代を迎え、新たな価値の創造や産業の構築が求められる中、持続可能な文明をどう構築するのか、そのためのエネルギー政策と制度設計をどう考えるか、スペシャル版クオリアAGORAでは、経済学者の齊藤誠一橋大学教授とともにこの問題を考えます。
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京都クリア研究所 長谷川和子
この会場は湯川さんのノーベル賞受賞を記念して設けられた記念館で、きょう掲げましたテーマを語り合うのにふさわしい場所ではないかと思っております。
間もなく福島の原発事故から3年を迎えようとしておりますが、だんだん、私たちの気持ちの中で、この原発問題の記憶が遠のいていこうとしていることも事実かと思います。 一方で、「反対」か「賛成」かというステレオタイプの議論は引き続き行われているというのも事実です。
そんな中で、原発問題に対しまして、あらためて経営の立場も盛り込みながら、ある意味では原発を戦後復興の牽引役として、その存在を認めてきた私どもは、これからどんな立場で原発に向かい合わなければならないか、そのためには何をしなければならないか、あるいは、どういう制度設計をしなければならないか、などについて、みなさまとともに考えていく場を持ちたいと思っております。
「原発危機の経済学~社会科学者として考えたこと」
一橋大学大学院経済学研究科教授 齊藤 誠 氏
『原発危機の経済学』で語った論点
私は地震リスクの研究をしてきまして、特に、耐震基準をずっと調べていたんです。 原発施設の構造物も含めて、ほとんどすべての構造物が、実は1981年の建築基準法の改正以前と以後では、耐震性も含めてで強度に関する公的な要請が大きく変わったんですね。 81年より前というのは、基本的には、作る人たちの側の自主的な判断に任されていたという側面が強かったのが、それ以後は、強い公的な規制の対象になってきたわけです。
そうした頭で見ていって、太平洋側の原発は、北から、女川、福島第一、福島第二、南の方に東海があります。 原発の構造物も、80年より前に作られたものは、もちろん保安院からの要請はあるんですけれども、基本的には、電力会社の自主的な判断で作っていて、特に、福島第一は1970年代に作っていたので、3月11日に津波が来た時、大丈夫なのかなと思って、調べ始めました。 翌日には、1号機が水素爆発を起こすんですが、それから3カ月の間、大学の授業もなかったので地下の書斎にこもって、原発のことばかり調べて、6月の初めに日本評論社に原稿を渡して、10月の初めに、きょうのスピーチのタイトルになっている本になりました。
その中で、いくつか論点を提出しました。
第1に、軽水炉に関しては、技術の新陳代謝を前提とすれば、産業技術として今後も使っていけるだろう。 ただ、70年代の原発に関してはいろいろとスクラップも含めて、考えていくべきではないか。 軽水炉発電に関して、産業技術としての可能性を追求しつつ、安全性を担保するには、技術の新陳代謝が必要。
第2に、再処理・増殖炉に関しては、いろんな理由、特に経済効率性の理由から、撤退していくしかない。 最終処分については、再処理した後の高レベル放射性廃棄物にしても、使用済み核燃料をそのまま処分するにしても、今のままで地層処分を強引に進めるよりは、暫定的に長期の地上保管のようなことを考えるべきじゃないか。
第3に、東電の財務問題に関しては、会社更生法の枠組みの中で整理をして、賠償債務に関しては、できるだけ東電債権者、株主の負担の範囲で行い、それでも賄えない部分は公的な負担にする。 一方で、私が執筆していた2011年の5月の時点で、「水棺」が不可能であるということ、つまり、格納容器の中を水で浸す状態にできないということが報じられていましたが、ということは、もう、溶融燃料が格納容器の外側に出て、あるいは、さらに建物の外側に地下を通じて出てるってことが、11年の4月、5月に、私のような外側にいる人間にも、そういう状態が進行しているとわかっていたんですね。 こうした事態は、スリーマイルで圧力容器内に収まっていた溶融燃料を冷やすというのをはるかに超えた状態で、5兆円、10兆円かそんな数字ではとても無理な処理費になるだろうというのは、素人にも想像できました。 そうしたことから、廃炉費用の将来負担というのは、東電のバランスシートから切り離し、廃炉については国がつくった事業体で責任をもって処理する体制を作る。
個々の論点を見ていくと、『原発危機の経済学』で主張したことはほとんど違う方向に行くんですけども、政治的なプロセスの中で手続きをした時、ある具体的な姿が、事前に思った姿と違ってくるというのはほとんどの場合当たり前のことで、そのことについてはジレンマはおぼえなかったんです。 そう考えてくると、東電の財務問題に関しては、完全に政治的なプロセスに入ってしまったので、「ベキ論」を議論しても、「なかなか難しいな」という気はしていたんです。 ただ、2011年の時点でも、早晩、国の関与ってことが議論されるという見方だったんですが、昨年末ぐらいから、そうした議論が出てきたので、まあ、廃炉処理に関しては、国家プロジェクトとして、緩やかに進めていく話ではないかなと思うんです。
ただ、賠償の方に関しては、今日は、あまりお話できないんですが、資本主義社会の市場会計原則からすると、非常にイレギュラーな処理を展開しています。 しかし、これは、別に非合法的にやったのではなくて、国会の中の手続きを踏んでやっていることなんですね。 これ自体決めちゃったことなので、これからガラガラポンというわけにはいきません。 ただ、常識的に考えて、賠償の問題は、あと数年でケリが着くと思いますけども、その後、本当に今の枠組みで、廃炉も賠償機構を通じての資金でやっていけるかどうかは、改めて考えていかないといけないと思っています。
東電財務の問題っていうのは、「ベキ論」を戦わすことはなかなかできないものなので、今回は、軽水炉をどう考えていくのか、あるいは、再処理、最終処分をどう考えていくのかということに絞っていきたいと思っています。
厳しい国際環境と原発問題
まず、「日本経済を取り巻く国際環境」をちょっと考えていきたいと思います。
福島の原発事故は、日本経済が厳しい国際環境に直面している状況の中で起きた事故だということなんです。 最近は、新規制基準や再稼働について、福島第一原発事故の原因をあまり深く考えないで語られているんですけども、実は、メディアであまり報じられてないところでは、かなり掘り下げて事故原因も考えられています。 そうして明らかにされた事故原因に対応する形で新規制基準もできてきている。 ただし、新規制基準っていうのは、非常にインフォーマルな仕組みの中で動いているので、「運用次第」というところがあります。 「運用次第」という点については、後で詳しく述べます。
最終処分については、私が本にも書いたように、暫定的な地上保管ということ、もう少し言葉をかえて言うと、再処理を前提としない形での暫定保管をということを、今後、考えていくべきじゃないかなということをお話ししたいと思います。
新規制基準、再稼働、最終処分などの重要なイシューを考える時、もう事故から3年経っているわけですけども、さらに十分な時間をかけられるだけかけるというほど余裕はないので、軽水炉の再稼働に関しては「ゆっくり急げ」というようなモードが必要なんではないかと思います。
日本経済を取り巻く国際環境が厳しいという点ですが、ここで示しているは、1955年から2012年までのデータを使ってつくった「交易条件の推移」の表です。 (資料) 交易条件は、いずれも円建てなんですが、分母に輸入財の価格、分子を輸出財の価格として算出します。 交易条件比率が高い時は、「安く輸入して高く売っている」ので、日本は貿易活動で、国内の資源を少なく犠牲にして、国外から有用なものを買っていけるような状態を示しています。 逆に交易条件比率が低い時は、国外の非常に高いものを買って、海外に売っていく時の値段は安いので、国内の資源の犠牲を強いられながら、海外の資源を確保していかなきゃいけないということになります。 ですから、交易条件比率が高い時は「交易条件が良好である」、それが低い時は「交易条件が悪化している」ということなんです。
この表からは、60年代の交易条件がとても良かったことがわかります。 1ドル360円の円安でも、石油がタダみたいな価格で、他の一次産品も安かったので、日本にとって非常に恵まれた国際環境でした。 ところが、73年と78年の石油ショックが起きて、石油価格をはじめとして一次産品価格が急騰して、その間、円高は進んだんですけども、それをはるかに上回るスピードで一次産品価格が上がったので、このように交易条件が悪くなり、この状態が80年代前半まで続きました。
80年代の後半から90年代にかけては、60年代ほどではないにしても、日本経済は、比較的良好な交易条件を享受したんですけども、2000年代にはいって急激に悪くなります。 リーマンショック以降に石油価格が暴落したので、交易条件がいったん改善したんですけど今はまた下って、実は、2013年には、2回の石油ショックで経験した水準よりさらに悪化しました。 こうしたことが起きたのは、03年からの石油価格の急騰と一次産品価格が上がった影響で、最近、これを加速させたのは、円安が加わったためなんです。
次の表は、交易条件の悪化でどのぐらい所得が漏出したかということを示しています。 (資料) ここでは、漏出規模をGDPに対する比率で見ていて、この変化の幅が、実質GDPに対する漏出規模なんですけど、石油ショックの時は、10年ぐらいをかけてですね5%下がりました。 05年に基準が変わったことで、実線から点線に変わっておりますが、この接続した部分をみると、2000年代の最初から5年ぐらいの間に5%以上、所得が海外に出ていって、1回改善したんですけど、またさらに下がって、数年の間にGDPの2%ぐらい漏出しています。 ただ、そのころは、まだ、貿易収支が黒字だったんですけども、この時代から、高いものを買って安く売らざるを得ないという悪循環の中で、貿易収支が黒字にもかかわらず、実質の取り分は所得が海外へ逃げていったという事態がやってきます。
「高く買わざるをえない」というのは、一次産品が上がったのと、円安になったことなんですけど、「安く売らざるをえない」というのは、日本の主力の輸出産業の電気電子機器が、海外市場での価格競争に負けて、輸出価格自体がどんどん下がっていく事態が起こってしまって、こんなことに…。
こういう事態の中で、われわれは地震に見舞われた。 すなわち、非常に厳しい国際環境、2度の石油ショックを経験した70年代後半からの厳しい国際環境に比べても非常に悪い事態の時に、日本経済は、原発危機で深刻なエネルギー問題を抱えてしまったということは、頭に入れておいたほうがいいと思います。 実は、経済政策も、こうした厳しい国際環境に日本経済が環境に置かれているということを、見ないようにしているのか、そもそも、わかっていないのかよくわかりませんけども、そうした状況を、うまく折り込めてないような状態が続いています。
去年の10月は、73年の第一次石油ショックの40周年だったんです。 実は、日本こそが原発を始めとしたエネルギー問題も抱えていますし、石油価格がバーレル100ドルを超えるような世界に入っちゃったんで、もう一度石油ショックの教訓を振り返るいい機会だったんですが、日本のメディアはほとんど取り上げなかった。 私は、英語しかできないのでアメリカとイギリスのメディアしか知りませんが、かなりインテンシブに石油ショックの回顧をやっていたんですね。 こうした事実自体が、日本では、反原発も原発推進も、それはそれで一生懸命やっているとしても、グローバルなコンテキストにおいて、エネルギー問題の重要性を考えていないのかっていうふうに思わせてしまいます。
軽水炉施設の新陳代謝
先ほど軽水炉に関して古い原発の問題って言ったんですけど、私自身、本を書いた時は、そんなに深い知識を持って書いていたわけではなかった。 そこで、2013年の初めぐらいから、いろいろな原発サイトを訪問して、その中で古い原子炉と新しい原子炉はどんな違いがあるのかを、現場の技術者の方からうかがって、自分なりにわかってきました。
一つには、原発も産業技術なので、技術進歩がすごくあるんですね。 特に、70年代の原発の関連技術の進歩は急速だった。 原発を商業発電機として導入しようとする決定は60年代に行われていて、70年代に稼働し始めたものは、60年代にある程度できあがっていた技術なんです。 そこで、70年代になって、原発自体技術がさらに進歩した。
もう一つ、これは、技術進歩のあるなしにかかわらず、原発というのは、産業施設としては40年という非常に長い耐用年数を持っています。 通常の産業プラントで、40年も動かすという想定で作っているものはないですが、耐用年数が非常に長いプラントの中で、どうやって運転技術を保っていくかということに関して、現場でうまく動いていなかった面もあるんじゃないか。
たとえば、原発のような施設の場合、運転開始してから、最初の5年、10年は予期しないこともたくさん出てくるので、なぜこんな事が起こるのか、いろいろと微調整をしながら運転のノウハウを蓄積していって、運転マニュアルを作っていきます。 しかし、5年、10年経つと、立派なマニュアルもできて、運転の理論にある程度習熟してくると、今度は、できたマニュアルだけに基づいて運転する人たちが出てきます。 すると、それがルーティーンになってしまって、「なぜこういう運転マニュアルがあるのか」ということがわからないままに、その先にある機械のことがブラックボックスになって運転する人たちがどんどん増えてしまう。 ルーティーンの動き、平時の場合はいいですが、非常時の時、対応能力が、そもそものことがわかっている人たちと、マニュアルだけで動かしてきた人とでは、だいぶ違いが出てくる。 また、運転する時、平常時の発想と危機時の発想ではまったく違うということは、残念ながら運転マニュアルの中には反映していなかったように思います。
ところで、原発技術の発展ですが、沸騰水型といわれているBWRは、1970年代の基本設計から大きく変化をしています。 特にGEのMark1と呼ばれている原子炉は、初期モデルと改良モデルの間に大きな変化があるんですね。 まず、原子炉自体が大きくなった。 特に、圧力抑制室という、冷却に非常に重要な仕組みの部分が大型化しています。 また、原子炉以外の周辺設備の配置がより安全性を高めるように変更されています。 また、これは、スリーマイル島原発事故以降の話なんですけども、ベント施設を追設しています。 実は、ウエットベントといわれている圧力抑制室のプールの水を通した蒸気を外に出す装置も、細いものは昔からあったんですけど、きっちり排出できる太さのものは、最初はついていなかったのを、後から設置しています。
私は、事故報告書などに書かかれたものを読んでみても今ひとつわからなかったので、MARK1の初期モデルについては、福島第一の1号機を除くと、関西電力の敦賀の1号機、中国電力の島根の1号機、もう廃炉の処理に入っていますけども中部電力の浜岡の1、2号機なんですが、それを全部見せてもらいました。 特に、島根原発は本当に無理を言って、1号機は旧式で、2号機の方はMARK1の改良型なので、同じ場所を全部比較できるように1日かけて、格納容器の中にもはいって全部見せてもらったんです。
政府事故調が、非常に詳しく事故収束経緯を書いているんですが、福島第一の1号機で、ベントや冷却に何でこんなに手間取ったのかよくわからなかったんですけども、実際に行ってみて見ることで、その理由がよくわかりました。 やはり、小さいんですね。 格納容器を覆う建屋部分が、作業員にとって、MARK1の初期タイプはすごく狭くて、たとえば、圧力抑制室などの手前のところの処理スペースがすごく狭い。 これが、改良型やMARK2になると、建屋も非常に大きくなり、作業員が入るスペースも余裕があって、万が一の場合でも作業もしやすいんです。
MARK1の初期の型の格納容器の中に入ると、3階建てぐらいなんですけど、上下するのはハシゴなんです。 背が立てる場所がなくて、全員中腰でいないといけない。 福島第二のMARK2の格納容器も見させてもらいましたが、格納容器の中も、それを覆う建屋のスペースも非常にゆとりがあり、同じ原子炉なのかと思うほど違いがあります。
また、加圧水型(PWR)でも起きてることなんですけども、安全系統の複線化、多重化は、70年代に、安全設計思想が高度になって、それ以降に作られたものと、それ以前に設計されたものではだいぶ違っております。 以前のものは、複線化や多重化は、冷却系を含めてなされていない箇所が多いのです。 「じゃあ、それを複線化、多重化すれば:ということなんですが、作った時に小さくて、そこにいろんなものを詰め込んであるので、系統を分離したり、新たな系統を何か付け加えたり作ったりすることは難しいんです。 さらに設備素材の品質向上があって、これはあたりまえのことなんですけど、ケーブルの耐火性の向上、蒸気発生器の素材の革新とかなんですが、特に今動いていている加圧水型の蒸気発生器は、装置ごと新しく入れ替えているところも少なくありません。
バックフィッティングの重要性
1970年代を境に、非常に大きな技術革新が起こって、その前とその後の設計に断絶があったのですね、2000年代の半ばに運転延長措置の方針を経産省が打ち出すんです。 当所の耐用年数40年を60年に延ばすというものです。 その時には、ちょうど運転開始から30年経ったものが審査の対象になったんですけども、それは技術革新以前の施設だったんです。 その時、新しい技術の部分へ適合するようなバックフィットを要請したかというと、電力事業者のあくまで努力目標にとどまっていて、通常の場合、既存の設備の設計を前提としたもので、経年劣化の進んだ部品を取り替えるという範囲にとどまって、設計そのものを見直すというようなことは、その時点では行われなかった。
私は、運転延長を機会にバックフィットとしていろんな対応ができたと思うんです。 圧力容器以外の施設、部品の入れ替えとかはかなりできていて、圧力容器でも蓋の部分とかは対応できた。 しかし、技術的には十分対応は可能だが費用面で見送ったというのは、耐火ケーブルへの入れ替え、重要施設の水密化、非常用電源、冷却水源の確保…。
さらには、非常に難しかったのは、先も言った安全系の複線化、多重化や非常用ディーゼル発電機など大型施設の配置変更だったんですね。 非常用でディーゼル発電機は、海側のタービン建屋、しかも、その地下に置かれていたのが致命的だったと言われているんです。 なぜ、上部に持って行かなかったかとか、丈夫な原子炉建屋においていなかったというのは、いまでいうなら、もっともなことですが、特別な施設を作るというのは、場所を後で変更しようとしても、簡単にはいかないんですね。
このように、個々の部品では入れ替えはできたが、70年代以降の技術革新の成果を織り込んだバックフィットはなされないままに、福島第一原発の1号機は、2011年の2月に、10年の運転延長が認められたわけです。 その結果、技術革新を織り込んだバックフィットがなされないままに運転が続き、3・11を迎えるわけですが、福島第一原発の事故は、施設の古さに起因する面が大きい。 非常用のディーゼル発電機の冠水は、先ほどいいましたようにそもそもそんな低い場所においていたためですし、非常用の取水ポンプも津波に対してきわめて脆弱で冠水し、モーターなどのバックアップ用部品も準備されていませんでした。 また、こうした事故を想定して、いろんな水源の確保ということもあんまりしていなかったので、水がすぐに枯渇してしまいました。
ところで、福島第一の事故が注目されていますけど、福島第二も、結構厳しい状況にあって、非常用取水ポンプのモーターが四つのうち三つまで冠水しちゃったんです。 ポンプ会社にあった同じ型のものなどで、据え直してどうにかこうにか動かしたんですね。 その時には、圧力抑制室のプールの水が沸騰し始めていましたから、仮に、あと数時間遅れていたら、もしかすると炉心溶融もありえたかもしれません。 実際は、現場の適切で懸命の対応があって実際に復旧させて冷温停止に持っていったんですけども、じゃあ、非常に余裕をもって対応できたかというと、福島第二のようにMARK2という次の世代のものであっても、現場のきわめて迅速な対応があって初めて可能だったってことです。
一方、福島第一はというと、1号機がMARK1の非常に古い型、最初期のもの。 2号機から5号機がMARK1の古いもの、6号機がMARK2、これは非常に新しい型なんですが、三つの異なるビンテージの原子炉が併設されていた。 1号機、2号機から5号機、6号機は、全然違うようなモデルなんですけども、特に1号機のMARK1に関しては、運転に関するいろんなメモリーが欠如していたんではないかなあ、という可能性があります。
一例ですけど、政府事故調の報告でも問題になりましたけど、アイソレーション・コンデンサー(IC 非常用復水器)がうまく動かせなかったことが冷却を遅れさせてしまって、非常に早い段階で炉心溶融が起きた理由ではないかといわれたんですね。 それはそうだと思うんですが、私は、「あんな古い冷却装置が動いたって、あんまり意味ないんじゃないか」と思ったんですけど、現場の技術者に聞くと、IC自体は蒸気で動いて、僅かなバッテリーさえあれば、冷却機能は6時間ぐらいもって、水を追加があれば、さらに長い時間冷却ができるので、シンプルだけども、異常時にはかえって効果を発揮するような装置なそうです。 ある原発の技術者などは、「1号機にはICがあるから大丈夫じゃないか」と思ったというぐらいで、技術者の間では、信頼性の高いと考えられていたものだったんです。
しかし、そのポテンシャルを活かすようには運転しなかった。 最初は、動き始めて冷やしたんですけど、いったん止めてるんですね。 「なぜ停めたか?」というと、通常の運転の時は、急激に冷やすと、炉心に負荷がかかってしまうので、それを避けるために停めるらしいんです。 でも、これは、継続運転を前提とした場合の運転のマニュアルであって、「何が何でも冷やすんだ」という時には、そんなことしている場合じゃないはずですね。
さらに、動いているのか動いていないのかの確認の時も、なかなかうまくいかなかった。 実は、敦賀1号機では、ICが何年に一度かは動いていて、その時には、蒸気機関車がそばを通っているような煙と音が出るそうなんですね。 福島第一では、運転者も監督者もICが動いたらどんな状態になるか知らなかった。 福島第一は、実際、40年間ICを一度も動かしたことがないらしいんです。 これは一つの例ですけども、非常に古い施設であると、本来だったら、その機械や設備のポテンシャルを引き出したら、過酷事故対応ができたであろうことでも、現場は、古い技術への知識やメモリーが欠けていて対応ができなかった。 さらに、先程も言った施設そのものが小さかったので、なかなか機動的な対応を妨げたといことがあります。
被害の最小化を目的とするのではなくて、どうも、着地点を継続使用状態に置いていた節がある。 事故が収束した後は、「使える状態」になっているということを念頭にしていた面があります。 先も言ったように、冷やすだけだったら、ICを動かし続けたらいいが、炉心に負荷がかかって将来使えなくなるということで停めたというのもその例です。
また、2号機、3号機の海水注入について、これは現場というより東京サイドが、「海水を入れたら、継続使用ができなくなるんじゃないか」と考えたということは、ビデオとか二つの事故調のヒヤリングでも明らかにされましたが、これも、「とにかく溶融燃料を原子炉内にとどめるんだ」という発想ではなく、「事故が収束したらまた使い続けるんだよね」というところに事故収束を着地点に置いた、危機時の発想ではなく、平常時の発想をそのまま延長したところがあると思うんです。
こんなことを見てくると、バックフィッティングを強いることなく、経年劣化の有無だけを基準に運転延長を認めたことが、電力事業者や規制当局に、古い施設の残存価値を過大に評価させて、一方で、古い施設の限界を十分に認識させる契機を失わせたんじゃないかというふうに思っています。
再稼働手続きのあいまいな性格について
実は、新規制基準に関していうと、私が今論じてきた事故の本質のところに対応しているところがあります。 まず、電力事業者に非常に厳格なバックフィッティングを要請します。 ですから、「再び動かすんだったら、今の技術状態の中で安全だと言われているようになっていないといけないよね」ということです。 それから、津波のところだけが、注目されますけども、さまざまなタイプの災害、テロ災害も含めて過酷事故対応を要請します。
再稼働手続きについては、以下の点が誤解を受けているところなんです。 この新規制基準はきわめてインフォーマルなものです。 規制当局がコミットメントしているのは安全審査だけなんです。 つまり、「基準を示しました」⇒「安全審査の申請が事業者から出ました」⇒「その基準に沿って安全審査をクリアしてるかどうかの審査結果を示します」―それだけなんです。 安全審査合格イコール再稼働とかということは、何も決めてなくて、とにかく、規制当局が基準を示して、事業者が、自分たちが動かしたいと思う原子炉に対して安全審査を申請して、それで、非常に長いネゴシエーションの中で検査をするということなんです。 それぞれの原発について、どのように対応するかは、基本的に電力事業者の自主的な判断に委ねられています。
再稼働への意思決定については、安全審査は、法的には前提としていないんですが、今のところはインフォーマルには前提とされています。 ただし、最終的には、電力事業者と政府と地元の自主的な合意形成に委ねられている。 ここに、法的に縛られているものは何もないんです。 ですから、ある知事さんが、「オレが止めると言ったら止まるんだ」っていうようなところは、全然ないんです。 また、電力事業者の方としては、再稼働プロセスは法律に基づいてないから、司法的な訴えをするということも可能なんですけども、そんなことをやってみても動くはずがない。
まとめてしまうと、法のすごくインフォーマルな、非常にゆるやかな縛りだけを置いて、そこで合意形成を当事者間の間で促すということで、公的な部分は、安全基準をしっかりクリアしたかどうかだけを見ていく。
言い方を換えてみると、どう原子炉を対応させるかということは、基本的には電力事業者の判断になるわけです。 もちろん、技術的に対応できるということと、その技術で対応した費用対効果が保てるかどうかは、これまた別問題として、おそらくは、古い施設なんかは、対応はできるが、お金がかかりすぎ、残った運転期間を見るとペイしない可能性が出てくるかもしれない。
それから、今回の新規制基準への対応としてよかったと思う点は、過酷事故対応のマニュアルを作っていくんですが、実際に過酷事故が起こった時どうなるかということで、いままでは、ややもするとブラックボックスだったところに立ち返って、これを見直す機会になったということ。 また、実際の訓練を徹底したこともよかった。 それから、非常時の時に着地点をどうするかということにたいして徹底ができた。 「原子炉を諦めてどう対応するか」ということに関しても、十分なマニュアルができたということです。
それでは、この新規制基準に対応して、どのぐらいのことを電力会社がやっているかということですが、先日の朝日新聞にでましたけども、1サイトあたりの対応費用は、1000億から3000億円ぐらい。 上限は1基の原子炉を新設するのと同じぐらいの費用で、結構な値段をかけて対応をしています。 今、一番設備投資を行っている産業が電力事業者で、お金を一番借りているのもどこかというと電力会社です。 それだけ大規模なことを展開しています。
バックフィットという面ではかなり徹底しているのですが、だからといって、たぶん、この手続をしたら全ての原発が再稼働するかというとそうじゃないと思います。 ハードルがすごく高いので、すべてが再稼働するわけではない。 いずれにしても、どこか特定の主体に「動かす・動かさない」の意思決定権限が集中しているわけでもなく、当面は、法的な取り決めの外でやられているということで、そういう目で見てもらったらと思っています。
最終処分について
最終処分、再稼働問題は、東京都知事選でゴッチャになってしまいましたけれども、それぞれはまったく独立した政策課題です。 今、問題になっているのは、最終処分に持って行くまでにどういうプロセスをするかということで、今は、単線の核燃料サイクルであって、一旦、中間貯蔵をして再処理をして、そこから出てきたプルトニウムについては再利用し、高レベルの放射性廃棄物については最終処分しようという流れです。 私は、ここでですね、もう少しこの枠組を広げてみればいいんじゃないかなと思っていまして、私が、本を書いた時のようにドラスティックなことはなかなか難しいなと思ったのは、今のですね、特に青森で展開している核燃サイクルの関連施設、中間貯蔵施設、再処理工場っていうのは非常に長い時間をかけて、再処理を前提とした枠組みで合意をしちゃっているので、これをガラガラポンするっていうのは、ちょっと、政治手続きとして難しいのかなと思います。
一方で、プルトニウムの再利用機会っていうのが、もちろんMOXで燃やすとか、できたらいいんですけど、まあ、すごく限定されていて、じゃあ、置いとけばいいかっていうと、国際的にはですね、平和利用しないプルトニウムの保留っていうのは、極めて厳しい批判を受けますから、取り出したんなら使わなくっちゃいけないし、残していると非常に問題になる。 そこでですね、今、合意している再処理を前提とした核燃料サイクルの外側で、再処理でなく直接処分を前提とした関連施設、特に、長期の地上保存の中間貯蔵施設の併設みたいなことを、これから考えていくことが必要なのかなと思います。
この方法は、もし、最終処分という選択肢があってもですね、再処理経由で出てきた高レベルの放射性廃棄物の処分と、直接処分するケースでも、施設自体は同じもので両方を受け入れることはできます。 もちろん、置き方とかはちょっとずつ違ってくるんですが、アメリカやドイツでは、この併用方式が予定されている。 スウェーデンは基本的には直接処分だけなんですが…。 ですんで、技術的には、選択して、最後は、最終処分に持って行くとしても、そこは同じ施設で可能であるということです。
結論めいたことを言っていくとですね、冒頭、申し上げたようにまあ、やっぱり厳しい国際的エネルギー情勢にあるということは、何らかの迅速な対応が必要だということでして、貿易収支赤字の話をしてもですね、まあ、赤字が増えていく、14、15兆円のうちの3兆円ぐらいが、まあ、核を停めた、追加のエネルギー費用です。 だから、原発を再稼働したからといって、貿易収支赤字が消えるということは全然ないです。 世間で誤解があって、よく言われている再稼働すれば黒字になるというのは嘘ですけど、ただ、何割かは解消して、エネルギー費用の負荷を相対的に和らげる事はあると思いますね。
原発事故の評価を踏まえた対応をしていて、徹底したバックフィッティングをやっているということは、ちゃんと押さえておいたほうがいいと思います。 多分、このプロセスの中で、電力事業者のほうがこれは再稼働させるぞ、そのためには、安全投資を2千億円のオーダーでやってそれで動かす」といって、基準もちゃんとクリアしたものは非常に高い技術状態で軽水炉が動くという状態になるってことは、われわれ、国民の側も理解していいんのかと思うんです。
ここは誤解があるんですけど、再稼働をめぐる問題に関しては、原発が停まった理由も法的ではないもんですから、動かす理由も法的ではまったくない。 誰かが裁判所にいったら、訴えを受け取らざるをえないことを、みんなが合意してやっているわけです。 しかし、司法に解決を委ねたら問題解決になるかというと、そういう問題ではない。 任意の枠組みの中での相互理解による合意形成プロセスというものを考えていかなければならない。 あくまで、自主的な合意形成プロセスにあるっていうことです。 だから、何か特定のプレーヤーが出てきて、「オレの意見を聞かないと」というようなわけにはいかない枠組みだと思います。
また、原発立地地域経済への影響ということですが、かなり厳しい問題が出てきています。 私が思っているだけですけれども、1970年代に稼働した原発を停めるとなると、だいたい発電能力の4分の1ぐらいを失うことになるんです。 そのぐらいの規模の縮小はあるんではないかと思います。 そういうことを考えると、これも、私がいうことではないんですが、電力事業者の方も、もっと攻めのスクラップ戦略みたいなことをして、「ここは動かす」が「ここは廃炉にしていく」という、中部電力が浜岡1号機や2号機にとったようなことも必要なのかと思います。
また、40年で停めるか、動かすかという話なんですけども、今回のことを考えると、運転開始から40年経ったものと、その間の技術進歩の速度を考えますと、やはり、バックフィットを前提としなければ40年を越えての運転というのは認めるべきではないですし、仮に、軽水炉技術がすでに成熟したものであるということが、みんなの理解になれば、40年を超えてということになってもいいと思います。 しかし、それでも、40年か、その手前ぐらいのところで、検証の場を設けて考えていくということで、「機械的に40年」というわけじゃないけれども、じゃあ、「自動的に60年」ということでもなく、技術進歩との折り合いを考えていくべきでしょう。
今政府の会議で問題になっているんですけど、「ゼロがエンド」なのかどうかということです。 脱原発で、原発をゼロにしていくプロセスは、国民的に受けはいいんですけど、これをやれるかどうかは、私は、経済学者としてかなり心配です。 それは、「向こう30年でゼロにします」というと、それに向けて、みんながコミットメントしますから、「終わりの始まり」が今から即座に起こる。 それが起きたらどうなるかというと、かなり早い段階に、「原発にはカネもヒトもかけない」という状況が起こる。 だから、政府が「ゼロ」にもっていくことにコミットメントすることは、よくよく考えないといけない。 たとえば、海外輸出プロジェクトも国内で実績がなかったらどうなるか。 むしろ、徹底したバックフィットとスクラップという体制でいくと、無理矢理に古いものを40年、50年、60年動かしていくより、思い切ってスクラップも進めていくけど、ある規模での新設っていうのがあっても、そっちの方が安全だろうかなと思います。
最終処分の複線化は、少なくとも、一歩でも踏み出していかないといけないと思っています。 今の再処理オンリーの中の政策は、長い時間の合意形成で気づいてきたもので、それをすぐに壊すこともできないのですが、「じわっとほぐしていく」ようなことを考えないといけないかもしれません。
結局、こうしたことも何もかも含めて、仮に徹底した廃炉を進めるとすると、未償却で未引当の施設を途中でやめるってことにはとんでもないカネがかかりますので、そのカネを電気料金でまかなうってことですから、基本的には国民が負担をしていかないといけない。 使用済み核燃料はもうあるものですから、どこかでだれかが負担していかなければいけない。 「ある程度お金をかけて安全性を保てるのであれば、収益施設としてやっていく」というのは、将来のキャッシュ・フローを生み出しますから、この辺のバランスをですね、非常に現実的に取っていく必要があるんじゃないかなと思っています。