活動報告/クオリア京都

 


 

 

第10回クオリアAGORA 2014/問題提起



 


 

スピーチ

問題提起

ディスカッション

≪アンケート結果報告≫

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京都クリア研究所 長谷川和子


それでは、これから、ポスト福島を念頭に、次代のエネルギー問題、エネルギー政策や制度設計について、グローバルな世界の中で日本はどうこれらの課題を解決していかなければいけないのか、をテーマに議論をしていきたいと思います。 


はじめに齊藤さんのスピーチを受けて、京都大学大学院法学研究科教授の中西寛さんと京都大学エネルギー理工学研究所教授の小西哲之さんのお二人からから問題提起をしていただきます。 



問題提起 1

≪中西氏 資料ダウンロード≫


京都大学大学院法学研究科教授 中西寛氏

京都大学大学院法学研究科教授 中西 寛 氏


では、私は政治学の視点からということでお話ししたいと思います。 政治学というのは、いろんなレベルの話がありまして、きょう、私がお話しする意味での政治学というのは、今日、社会科学という一種のサイエンスとして社会を分析する、まあ、政治学もその一分野になっているのですが、その前の段階で、社会科学という言葉が、まだなかった、18世紀のころには、社会の問題を考えるのが政治学っていうのが、一つの大きな包括的なカテゴリーだったんですね。 そこから、政治経済学というのを、アダム・スミスなどが言いはじめて、今の経済学になっていく流れなので、きょう、私は、そういう古い政治学の観点から、今日のこういう問題を考えるということで、お話をしたいんです。 


具体的にどういうことかというと、ちょうど最近、朝日新聞におられた船橋洋一さんが「原発敗戦 危機のリーダーシップとは」という本を新書で出されています。 ご存知のように船橋さんは、福島事故については、ご自分が主催するシンクタンクで早くから民間事故調として検証をした後何冊か本を書かれており、本書はその中でも一番新しい本です。 内容的には、そんなに新しいことは書かれていないんですけれども、いくつか面白い記述もあって、齊藤さんが言及されていた福島第2原発は「ベントまで、あと2時間」というところまで追い詰められていて「第1と紙一重だった」ことも、事故当時の増田(尚宏)所長のインタビューで出て来るなど、興味深い話がたくさんあります。 


それで、改めて読んでみましたら、事故当時の官邸の状況についてのインタビューで、枝野(幸男)官房長官の秘書官の一人が、安全委員長だった斑目(春樹)さんについてこんなことをいっている記述が目にとまりました。 「斑目さんは、《それはそうなんですが、一方でこういう面もあります》とよく言う」というくだりです。 そして、「斑目は《ないとは言い切れません。 絶対にないとはいえません》と言った二重否定の文体を用いた」ということも書いてあります。 で、私が、きょうお話ししている政治学と言うのはこうした点に関係するのです。 斑目さんという方は、原子力の専門家として評価されて、この分野では、トップレベルの水準の方なんだろうと思います。 私は専門家ではないので正確には分かりませんが、そういう扱いで安全委員長になられたのだと思う。 ただ、政策の場、特に事故当時のような極度に緊張した政治の場では、斑目氏が、二重否定の言葉で語るかどうかということはものすごく大事なわけですね。 つまり、学者として、研究者として話す時には、二重否定とか、ある種の可能性を含んだ言い方をするというのは正確な表現だと思うんですが、政策の場で、非専門家に対して、専門家として語れる時に、あの場でそういう言い方をすると、聞いている側は信用出来ないというふうになっちゃうんですね。 専門でない政治家は専門家に決定の根拠を求めていて、Aだと思うがBかもしれないという言い方をされても困る訳です。 


私が今日お話ししている政治学というのは、たとえばこういう問題、意思決定をする政治家と研究者である専門家の間でのコミュニケーションをどうするかといった問題をテーマの一つとしています。 残念ながら、政治学が、それについてこうすべきだというような明快な解答を出せるわけではありません。 ただ、そういう問題には現代の社会科学や自然科学で扱うことができない。 斑目さんが優れた研究者かどうか、彼の判断が的確だったかどうかは、その分野の専門家なら判断できるわけですけども、斑目さんが、ああいう事態の時に、政策アドバイザーとしてどういう言葉で語るべきなのか、ということをやっている専門家というのはいないわけじゃないんですけども、かなりマイナーですね。 そういう問題をメジャーに扱うっていうのも政治学と思っていただいたらいいと思います。 


中西氏 問題提起スピーチの模様1

では、本題に移ります。 最近のエネルギー政策の流れをみます。 ずいぶん動揺しているのですが、まず、2010年に「エネルギー基本計画(原発、環境)」ができて、そして「福島」の後、民主党政権はドタバタしながら12年に、「革新的エネルギー・環境戦略」という「脱原発」の方向性を示した報告書を出すのですが、閣議決定には至らなかった。 その後、自民党安倍政権では、今やっている総合資源エネルギー調査会基本政策分科会で「エネルギー基本計画に対する意見」という形で新しい文書をまとめていて、原子力は、その中では「基盤となる重要なベース電源」とされたのですが、東京都知事選を受けて、何故か「基盤」がとれて「重要なベース電源」という案になります。 そして、間もなく新しい「エネルギー基本計画」が決定するというところなんですが、新聞報道だと、その中で原子力は「重要なベースロード電源」となって、これは、一体何のことかわからない。 この表現の推移からも、すごくエネルギー政策は動揺しているということがわかります。 


では、この動揺が示すように、エネルギーにしても、原子力にしても、なぜ、こんなに難しいかということですね。 おそらく、社会科学や自然科学的な観点だと、最適なエネルギー政策なり原子力政策を考える時に、一番単純には、各エネルギーの供給費用を比較して、供給リスク等を勘案し、適当に割引率を持ってあるいはリスクの発生確率など合わせ、最適な「組み合わせ解」を得るというモデルで考えると思うんです。 が、技術的な不確実性、政府が再生エネルギーにどう関与するのか、あるいは石油の価格とかの国際的要因、また、電力改革など制度的要因といったさまざまに複雑な要因あるので、そう単純に、きれいな解というのはうまくでてこない。 そうかといって、市場に完全に任せられるかというと、やっぱり、先の見通し、安定性ということが必要なので、ある程度の計画性は必要なわけで、そういうところにエネルギー政策の難しさがあると思います。 


中でも、私がやっている国際政治学から見て、原子力の問題っていうのは、何が難しく、そして、日本の原子力政策で一体何が欠けているかということなんですが、それは、安全保障問題としての多面性ということなんです。 先に述べましたエネルギー政策の単純なモデルは、いろんな複雑なフォームは作っても、基本的には、1平面の中に集約して最適解を見つけようとするものだと思います。 でも、私は、原子力やある意味でエネルギー政策っていうのは、ルービックキューブのようなものだと思うんですね。 何平面、何次元かの異なる平面があって、それらを組み合わせて最適の方法を作るという必要があります。 原子力というのは、われわれは、エネルギーのことを中心に考えがちなんですけれども、(資料)画面にも映っておりますように、軍事的側面、安全リスクの側面、エネルギーの側面という三つのかなり異なる次元の側面があって、しかも、それぞれが分かちがたく結びついているんです。 ここに大きな特徴があって、だから、解が見つけにくいというわけです。 


原子力を巡る安全保障問題の多面性


原子力の特殊性っていうのは、国際政治学者にとっては、必ず、武器として原子力を考えなければいけないのですが、その時に、基本的な区分っていうのは、核兵器と通常兵器というものの区分なんですね。 で、原子力って、基本的に、そういうもんじゃないかと思うんです。 つまり、原子力エネルギーとそれ以外の通常エネルギー―これみな一緒くたにしていいかどうかわからないですけれども、この二つはかなり根本的に違う、ということを前提にする。 まあ、これ、原子力エネルギーがいいとか悪いとか、そういうものじゃないですよ。 私は、正直、核兵器と通常兵器についても、核兵器が絶対悪で、通常兵器はまだいいとは必ずしも思っていなくて、それぞれの役割、性質が違うということであって、兵器は兵器なんですね。 それはいいとして、今いったような原子力の軍事的側面についての観点が必要だと思うんですが、正直、日本では、あんまり、そういう観点から議論されることがない。 これが問題だと思います。 


これ、なぜかというと、日本では、言うまでもなく、原子力は、平和利用だということが理念として掲げられていて、「原子力基本法」にも、書かれているんですが、それが採用される時の経緯は、一方では、広島、長崎という原子力、核兵器に対して非常に不幸な体験があり、それから、戦争の犠牲、日本の敗戦という現実があったわけです。 他方で、敗戦から立ち上がろうとした日本人にとって、科学技術というものへの強い憧れがあった。 そして、平和的な科学技術というものの象徴として、原子力が選び出されたということだと思います。 現に、広島や長崎の被曝体験者の方から、多く、初期の原子力導入を積極的に進めた人たちが出ています。 そういう戦後体験、戦争体験があったと思うんですね。 


で、それから、原子力を導入する過程で、国家と民の役割、今よく言われる「国策民営」というやつですけれども、誰がその原子力の導入を主宰するのか、そこのところが、かなり曖昧な社会的コンセンサスに委ねられてきたということであります。 原子力の利用目的についても、電力供給というのが大きかったと思いますが、エネルギー安全保障、つまり、日本はエネルギーのない国だからという話や、それからこれは、時々、メディアで大きく取り上げられたりすることがあるんですけれども、潜在的核核兵器能力を持つんだということも言われたりする。 そういうような、いろんな目的があるんですが、それぞれ明示されることなく、平和利用ということで、戦後体験の中で進められてきたということです。 そして今、日本は、まあ、非常に特殊な国際的な立場を持つ国になった。 つまり、世界の中で、核兵器を持っていいとなってる国家は1970年に発効したNPT(核兵器不拡散条約)では5カ国なんですが、日本は、核兵器につながる核燃料サイクルを正当性を持って行っている唯一の国(N…t=潜在的核兵器国家)なんです。 


中西氏 問題提起スピーチの模様2

ここで申し上げたいんですが、他の国、もちろん、五つの国が中心ですけれども、それらの国にとっては、原子力平和利用というのは、常に、軍事問題と裏腹にあるということですね。 いい悪いは別にして、そういうものと切り離すということは、そもそもありえない。 日本は、戦後の特殊な環境の中で、軍事の問題はやりません。 平和に原子力をやります。 これが、戦後日本という平和国家のシンボルですよ、とやってきたんですが、それはそれで、立派な理念としても、そもそも原子力というものが、軍事的な側面を抜きにして成り立つものかどうか、その問題については、日本ではあまり厳密には問われなかったということであります。 


ところで、福島の影響はもちろん大きいんですけれども、私は、日本の原子力は、大体、三つぐらいの時期があって、福島の事故は、現在の問題を明らかにするだけだったというふうに言えるんではないかと思っております。 日本は、今申し上げましたように、1955年に原子力基本法ができて、76年にNPTに入るんですが、それまでが、アメリカが、圧倒的に原子力技術でも優越をしていて、それで、平和的に技術を導入していく。 齊藤先生がお話になった、福島でGEからMark1を買うというようなことですね。 それから、76年から94年、もちろん、これは違った見方があるかもしれませんが、日本がアメリカに比肩するような経済大国、かつ技術大国になるというそういう理念が、ある程度の現実性を持っていて、技術的な研究、エネルギーの安全保障もあり、世界の先進的な技術を持つ国家としての原子力という夢が膨らみます。 ところが、99年にJCOの事故が起こります。 これで、90年代に構築したものが必ずしも実現しないということがわかってきたということだと思います。 私に言わせたら、その、日本の原子力史を考える時には、99年のJCOの事故が、やっぱり大きな画期点で、それ以降は、成熟化と現実との邂逅。 まあ、やはり、夢の技術ではないんだと、いうことですね。 そこに、いろいろなトラブルとか低い稼働率という2000年代はじめから出てきた問題、そして、核燃料サイクル、最終処分問題が今出てきているわけです。 


それで、今、日本の原子力は、論点として避けられない三つの側面について、大きな課題を抱えているというふう思うんです。 一つは「N…t国論」です。 N…t国というのは、核兵器を現実には持っていないけれど、持とうと思えば比較的容易に持ちうる国のことです。 「…t」というのは、はっきりわからないけれども、いつかの段階で、核保有国「N」になれるという意味合いなんですね。 1970年、日本がNPTに入る前には、比較的、日本の指導者の間では議論されたことは確かです。 ただ、その後、NPTを批准して、今はもう非核国家として、法的にも、制度的にも、IAEAの査察受け入れとかでがんじがらめになってますので、「N国」になるのはかなり難しいというのが実態です。 また、それ以上に、世界の軍事情勢は、通常兵力がすごく高度化していて、核抑止の役割が縮小しています。 例えば、万一中国と戦争になったとして時、やおら、日本が核兵器を作って、それが中国に対して抑止力になるか、あるいは報復力とするかということになると、かなり合理性が薄い。 このように、今日「N…t国論」に意味があるかというと、それはかなり議論の余地がある。 


もう一つの問題としては、2018年に、日米原子力協定の改定問題というのがあって、その2年前に、米韓の改定があります。 ここには、核燃料サイクルと、先ほどお話のあったプルトニウム余剰問題がある。 これは、もう、経済の問題ではなくて、軍事の問題なんですね。 プルトニウム余剰を持っているのは、核保有につながるので、核保有国でもないのに持っている国があると、他の国もやりたがるって話なのでやめてくれということになるわけです。 1988年には、日本は、核燃料サイクルをやるのでというので、プルトニウム余剰を認めてもらったわけですけれども、今後続けるにしても、いろいろな事が起こるのが余剰問題です。 もう一つは、韓国が、日本に認めて、なんで韓国には認めないのか、と言っているわけなので、これは、アメリカにとって頭の痛い問題です。 おそらく、2018年までに、この二つの問題は連動してくるということであります。 


次は、安全リスク問題です。 齊藤さんのお話にもあったように、新型炉とか新基準などでいろいろ安全性は高まっているようです。 それは確かだと思うんですが、私が、ちょっと違和感を持つのは、原発というのは、想定される事故には必ず備えているはずですから、過酷事故というのは、想定外で起こるということなんですね。 だから、想定外で起きた時に対応できるかということを、どうやって検証するかということが重要ですけれども、これが難しく、日本人は、このことが苦手なんですね。 これ、船橋さんの本にも縷々書いてあるんですが、第二次大戦の時も原発事故の時も、現場のがんばりとリーダーの能力不足というものが明確に出ています。 ことに原発事故の場合には、1945年の終戦のように、降伏という手段がないのです。 福島事故は、あの程度でとどまらなかったら、どこまで行くかわからなかったですし、現状でも、対応をいつまでも続けなければいけないかわからない。 原発事故は、そういうものであるというのが、大変です。 


他方で、近隣諸国での事故の可能性というものを、これからの日本は考えていかなければならない。 中国、韓国、台湾とあるので、先ほどの齊藤さんのお話で印象深いのは、新しいものは、非常によく整っているということでした。 それは確かですが、逆に、整った設備しか扱っていないと現場の経験が薄くなるので、最新型でやっている中国の技術者たちは、事故の時にどういうふうにやったらいいかということは、日本人以上に経験する機会がないだろうということですね。 そういう場合に、日本として、これらの国で、福島級の災害が起きた時何ができるかと考えた時、私もやっぱり、原子力技術というのは、日本は何らかの形で残しておかないと、日本だけから原発がなくなっても安全じゃないと思うんです。 


論点(3)エネルギー


最後は、エネルギー問題です。 これは、大問題なので簡単には申し上げられませんけれども、かいつまんで話します。 世界の今後20年ほどの需給については、IEAの予測では、新興国需要が大きいだろう、と。 他方で、新技術エネルギーとして、シェールガスのようなもの、原発もあるし、太陽エネルギーもある。 まあ、そのバランスがどうなるかもあり不確実性が高いけれども、まあ、基本的には需要が増えていく流れだろうと思います。 そして、天然ガスについて、先程言ったようにシェールガスがアメリカで出ているわけですが、電力格差は、アメリカとヨーロッパ、日本で、今、3倍から5倍。 今後の見通しでも、2倍ぐらいはヨーロッパ、日本は高くなるので、構造的な要因としてエネルギー集約産業に影響が出てくるだろう。 それから、シェールガスでOPEC、中東の意味がなくなるという説もあるが、IEAは安価な石油供給源として依然、重要であるという見通しをしています。 


縷々話して参りましたが、問題はですね、再稼働・処分場問題と日本の政治体制との関係です。 先ほど、齊藤さんからも、停めたのも再稼働にも、手続きも法律もないという話でしたが、その通りだと思うんですね。 日本は慣習法的に、地方政府が強い発言権がある。 多分、これ江戸時代にそういうバランスができて、それがあまり変わっていないのだと思います。 法的には、そんなに強い権限を持っていないのですが、強行してもうまくいかないので、コンセンサスしましょうねということになるんです。 再稼働の問題もありますが、そういうやり方で、処分場を決めるかどうかが、日本にとっては大きな問題で、原発を動かそうが動かすまいが、処分場は決めないといけないので、これはシリアスな問題です。 


それから、日本の社会の特徴というのは、人口分布が分散化しているというか、空き地がないっていうことが大きいんじゃないかと思います。 ですから、何らかの強制手段を使うか合意形成をしないと、まあ、大きなオープンエリアを作ることは難しい。 これは、基地問題も一緒です。 日本人が土地への愛着が強いというのは文化的な問題で、そういったような問題をどうクリアしていくかっていうようなところが、政治的な論点であるなと思います。 ちょっと、政治学者として考える原子力政策についての論点、ということでお話をさせていただきました。 


[中西氏プロフィール] 1962年生まれ。 京都大学法学部、同研究科博士後期課程、シカゴ大学歴史学部大学院を経て、91年京都大学法学部助教授。 2002年より現職。 専門は国際政治学、特に国際政治史、安全保障論、日本外交論を研究。著書「国際政治とは何か-地球社会における人間と秩序」「新・国際政治経済の基礎知識」「歴史の桎梏を越えて」「国際政治学」など。


問題提起 2

≪小西氏 資料ダウンロード≫


京都大学エネルギー理工学研究所教授 小西哲之氏

京都大学エネルギー理工学研究所教授 小西 哲之 氏


専門は、エネルギーのテクノロジーの方なんで、どうも聞いていると、齊藤先生の方がぼくより原子力については、詳しそうなのでまずいなと思っているんですが…。 エネルギーというのは、なくなると困るから作るんです。 作らされる科学者の方はバカだから、言われて作るんです。 馬鹿正直に、ほしいって言われると作ってしまうのがわれわれ科学者なんです。 


誤解を恐れずにいえば、全てのエネルギーは人を殺します。 人類は火を使ったんで、ゴリラみたいなものから、人類になったんですけど、そのおかげで焼け死ぬ者が出てきた。 電気作って、便利になりましたけど、感電死する人が出てきた。 およそ、科学技術で何か作るたびに、人を殺してきた。 もちろん、それより、助かる人のほうが多いから、われわれは喜んで、そういうことを目的に一生懸命やるんです。 iPS細胞で、たくさんの人が助かると思います。 でも、中には運の悪い人がいてがんになったり、死ぬこともある。 そういうことがありまして、いかに上手に、被害を少なくできるようにということなんですが、作った方の科学者は、いいとこと悪いところは知っているが、ちょうどいいところを選んでいただくということはできません。 よく言うんですけど、エネルギーでいろんなことやっている人がいるんですけど、みんな、聞くと自分の技術は素晴らしいと言います。 競馬場にいて、馬に聞いてください。 速いかって。 全員が速いといいます。 サラブレッドですから。 でも、勝つのは1頭だけです。 選ぶのは馬券を買う人です。 科学者もそういうところがあります。 


エネルギーのサプライチェーン


エネルギーサプライについてですが、エネルギーというのは、面倒くさくって、よく原子力ってのは、そこからエネルギーが出ていると思う人がいっぱいいるんですけど、図で示していますように、(資料サプライチェーン)実は、元があって、発生技術があって、後始末があって、これ全部がつながって動かないと、どこかが止まると全部止まります。 全部がシステムとして成立しないと、エネルギーとして使えません。 いろんなところで止まります。 燃料が止まるっていうのは非常に話は簡単で、例えば、石油ショックで石油止まったら石油は来ない、だから値段が高くなる。 このメカニズムだったらわかりやすいと思いますが、原子力もやがて、これが起こる。 すでに起きてることですけれども、出口が止まっていたら、やがて息が止まってしまう。 実は、意外なほど原子力の廃棄物って少ないんですね。 総体的に言うと負荷が少ないので、結構、いっぱい廃棄物をため込めちゃうんで、放っといてしまったんですね。 それが、よりいっぱいになってきて、今困っているんです。 それから太陽光発電、これいくらでもパネルを置けるだろうと思っているかもしれませんが、一番足りないのは、日当たりの良い屋根です。 もちろん空き地はいっぱいあるんですけれど、地主の問題とかあってなかなかそれを確保できない事になるだろうと思います。 


というわけで、エネルギーは作んなきゃいけないということが出てくるんですけれども、そのために投資をします。 開発投資というのは、成熟した産業の売り上げの3~20%といわれています。 また、特に基礎研究で、儲からないけど、社会が投資してくれるものもあります。 こういう技術が延々と積み重なって、今の技術ができています。 後で、経済の方に伺いたいですけど、GDPが増えているということは、世の中にいいものがいっぱい溜まっているということだと思うんですが、技術についてもそういうことで、だんだんいいものが溜まってきています。 で、それはもっぱら、社会インフラとか、機械とか、よくなってくると、当然、安全性もだんだん良くなっていきます。 ただし、投資しないと、技術は死んでしまう。 直ちに進歩は止まります。 


ということで、投資については、先ほど、デフレーターというコンセプトが出ていましたが、同じことです。 要するに、過去の世代が、例えば、私の父親の初任給が実は1万7千円とか言ってましたけど、われわれは、過去の世代が、その1万何千円から爪に火をともすようにして作ってきた技術の延々とした積み重ねの恩恵を受けて豊かになってきた。 原子力も石油もその一つ、先人が、いろんな施設を作ってくれたおかげでただみたいな電力を享受できている。 水力の場合もそうです。 過去世代の恩は、感じる以上に大きいのです。 


投資と「割引率」


中西さんがおっしゃったように、エネルギー、特に原子力は、政治の塊みたいなところがあるが、それにかぎらず、水力なんかもそうなんですが、エネルギーである一方で、それ以上に土地問題、水問題、命の問題すべてが絡んでいます。 その中で、投資と割引率の話なんですが、今の金は、昔の金に比べると、ずっと安くなっているので、何というか、公害をクリアするのに払っていける。 要するに、昔の円は、今の円より貴重です。 未来の円は、今の円よりずっと安いです。 われわれ、お金払って、どんどん、何かを一生懸命作りますけど、すぐに陳腐化します。 50年、100年先の価値ってのは、われわれから比べると、もっととんでもなく下がっているので、われわれが払っているものっていうのは、どんどん安くなり、未来世代は、成長と投資、開発の効果で必ず豊かになっている側面もあるはずです。 


この割引率は、損害に対しても適用され、将来世代の感じるダメージも、もう少し小さいのではないか。 少なくとも、損害に対していうと、未来世代の損害コストは、割引率の効果で、ゼロに収れんします。 ただ、これよく温暖化問題でよくいわれるパターンなんですけど、損害を命の値段にしてしまうと、ちょっとわかりません。 


それは、エネルギーの「外部性」という問題です。 エネルギーは、お金で売り買いする商品の額は大きいですが、それだけでなくその市場の外で、人、社会、環境に影響を及ぼします。 利益も損害も与え、意外なところで得をしている人も損をしている人もいます。 あるところでは、死んでたりする人もいます。 ところが、それの一部は「内部化」といって、それをコストに入れていってしまいます。 発電コストというのは、燃料の値段だけではありません。 例えば、石炭を掘ると、掘るために死んでしまった人の値段が入ってきます。 日本では高いですが、中国は安いです。 人の命の値段が安いからです。 要するに、安い人手を使えば安くなってしまうと問題があります。  ただ、外部性というのは、こうしたいろんな損害、得なところをひっくるめて評価することができる。 温暖化問題というのは、この最大のもので、発電コストは、ある程度計算すりゃあ出るんですけど、それのおかげとして出てくる得とか損とは別のところで、地球温暖化というとんでもない額の損害が出てくるといわれています。 だから、とんでもない額の対策費用をかけることが許されている。 そういうことで、それは一部内部化されていて、すでに人類はコストを払っています。 100年後の天気が悪くなることに、ぼくらは今お金を払っています。 リスクっていうのはそういうもので、実際にはまだ起きていないことに対してお金を払います。 


原子力は、怖いというだけで余分な金を取られます。 原子力というのは、特にそういう意味で言うと、 実際にかかっている金とはぜんぜん違うところで、立地でも払うし、再処理でも払うし、最終処分でも払うんですけど、技術の金ではありませんから。 他のところで払う。 


発電による死亡リスク


で、発電による死亡リスクという画面を出しています。 原子力やめて結構ですけど、では、発電で、一体どのぐらい人が死んでいるかを見てみましょう。 石炭でも、炭鉱事故で死にます。 太陽光は、まだ日本では死んだ人はいませんが、アメリカではすでに出ていて、日本でも屋根から落ちたなどで、やがて人が死ぬということが起こる。 発電で、人が死なないことはないんです。 今の日本の水力のダムはすごく安全です。 でも、50年前には、何百人かが死んで、その上で作られている。 黒部ダムとか行ってみてください。 殉職者の慰霊碑が建てられています。 一番、人を殺した発電は何と言っても、中国のダムで17万人。 さて、チェルノブイリで何人死んだか。 直後で28人。 そのあとの放射能でどれぐらい死んだかは、4000人とか20万人とかいわれていますが、いろいろシミュレーションがあって、正確にはわかりません。 でも、それを加えても、できた電気で死んだ人の数を数えると、実は、原子力のほうがほかより幾分少ないようです。 だからといって、それ、自分にあたったら、いやですよね。 輸入した石炭で電気を作っている分には、日本人は一人も死にません。 まあ、火力発電所のそういうところで事故があるかも知れないが。 将来世代が死ぬのも、今の世代とはちょっと意味が違ってくる。 


脱原発


そういうことで、脱原発の話をちょっとさせてください。 (資料 脱原発)私は、正直言って、どっちでもいいと思うんです。 やめたかったら、やめ方を作るのが技術者の商売ですから、やめたいといったら、よしやりましょう。 こういう風にやればできますと、今いえます。 簡単なんです、実は。 技術的にはそんなに難しくない。 電気が足りなくなるっていうのは嘘なんです。 火力なんですけど、日本は十分な余力を持っていますから燃料費はかかるが、外国から燃料を買ってくれば、原子炉は要りません。 だけど、ここが不思議なところですけれど、原発を停めたって脱原発にはならないです。 できちゃった廃棄物、放射性物質は、1グラムだって減らない。 さっきも言ったように、エネルギーはシステム全体の問題なので、ここのところを、あえて黙っているのか、無視しているのか、知らないのか、大嘘ついているのかわかリませんけど、幾らかの人はおかしいと思っている。 再処理については残るんですね。 実は、廃炉なんてのは、すごく簡単なんです。 日本でももうやってますし、世界中では20個、廃炉処理は終わっています。 でも、持ちだしちゃった燃料が大変なんです。 10万年オーダーで残ってしまう。 今、原発を停めたら何が起こるかというと、実は、原子力発電所で、使用済み核燃料20年分安全に保管してくれているんです。 例えば、福島第一の4号炉は使用済み燃料だけが置いてあって、それが、冷やしてあったのが停まって心配になったんですね。 もし、原発を停めたら、それを管理するお金が出ません。 これまでは、原発で作った電気代で管理費を稼いでくれていたんです。 停めれば、火力発電所で発電しながら、それを管理するコストは別途払わなきゃいけなくなる。 さらに、脱原発したら、再処理のお金、使用済み核燃料の管理、最終処分まで、今まで少なくとも国からお金が出ていたんですが、これ、脱原発してもなくならないので、ずっと、この余分のお金を払い続けなければいけないんです。 いずれにしても、われわれは受益者ですけど、被害は、後ろの世代に行く。 少なくても道義的責任は残るので、われわれがなんとかしなくちゃいけない


原子力エネルギーシステム


これは、原子力エネルギーシステムの図です。 (資料)複雑なようですが、入口があって出口がある。 原発をやめても、なくなるのはこのウラン濃縮、燃料加工と発電所だけです。 これがなくなるんだけど、他の施設はほとんど仕事が残っちゃうんです。 脱原発で真っ先に必要なものは何かというと、これ、高レベル廃棄物処分です。 これは、ぼくらが真っ先にやらなくちゃならない。 何しろ、原発が動いている間は、こいつが稼いで、50年後にやってくれると思っていたんです。 だから、こんなに貯まっちゃったんですけど、やめるんなら、直ちに捨て場所を考えなくっちゃいけないですね。 すぐに原発全部停めちゃうんなら。 技術者の問題もあるので、いるうちに、とにかく早くやらなきゃいけない。 高レベル廃棄物処分が嫌だから原発をやめようというのは、ちょっと…。 


エネルギー源は、今までも変わってきたし、これからも変わります。 何故かと言うと、技術は進歩するからです。 エネルギーが要るというと、すぐに一番新しい技術を使う。 それが人間です。 では、エネルギーシステムで今何が起きているかというと、発電技術そのものでいうと、実は、原子力というような大きな発電技術ではなく、端の方で、自分で小っちゃく作る電気、そっちのほうが結構大事で、大震災がかなり影響してますが、変化が起こっていて、上から下にひたすら枝分かれして流れるというエネルギーシステムから、それへと変わってきています。 この変化は、先進国特有、日本に特に起こっているものですけど、途上国では、電話で、携帯電話が広がったと同じように、これまで発電で大きなシステムがなかったので、最初っからこのシステムになっている。 となると、われわれが、火力だ原子力だと言っている、エネルギーシステムの考え方そのものが、実は、もう選んでる場合じゃない。 これからのマーケットの主流はそうなっていく。 


それと、途上国は、お金持ちになりたいから、原子力でもなんでも使って安い電気を作ってしまうことは止められません。 もし、日本が安全な原子力技術や再処理技術を持っているならば、日本はやめてもいいけど、そういう国に、後始末の方法とか教えてあげたほうがいいと思います。 


というわけで、エネルギーはいろんなところに被害を及ぼすんだけど、とにかく、それに対しては、すでにある程度お金を払って、これからも払い続けることになります。 で、人類の繁栄とか幸福も、そういうことで、エネルギーでもたらされて、ここまできたんだけど、これがいつまで続くかというと、人間が増えちゃったおかげで、地球を壊しそうになっているのが、持続可能性の危機なんですね。 だとすると、人類がこれから生き延びるか生き延びないか。 人類って、なんか、おサルさんの一種として、種として名前が付いているんですかね。 ぼくは疑っているんですけど、大体、種として名前が付いている生物って、個体数が一定して何千万年も続いているものをいうんじゃないかと思うんです。 数が大体一定ならいいんですけど、パッと増えてパッといなくなる種もいっぱいいて、人類もそうなんじゃないかと。 とにかくエネルギーの使い方でそう思います。 


そのエネルギーの使い方が問題なんですが、大体において、使えば使うほど金持ちになる、というのがこのグラフです。 しかし、この傾向には大きな幅があって、たくさん使って豊かになっている国と、すごーく少ないけど豊かになっている国がある。 ここからどっちにいくのか。 それで、エネルギーをどう使っていくか。 制度設計とか偉そうなことはいえませんが、世界人類が生き延びるために、地球を壊さないように、どういうエネルギーの使い方をしたらいいかを考えるべきではないか、ということです。 CO2について、エネルギーを使わないで減らすのか、いっぱい使いながら減らしていくのか、やり方はいろいろがあるようですが、日本は割と省エネの国で、原子力を使うも使わないも、この国の選択です。 途上国は、間違いなく原子力を使います。 先程も言いましたが、その後始末の仕方を教えられるのは、多分われわれではないか。 大概、他の国は、後始末をすると称して核兵器を開発してしまう。 そんな真似はしてほしくないですね。 


エネルギーは、動くものであるんですが、総体的には価値(利益?)もあればリスクもあるので、一番いいものを選びたい。 ただ、どうせ、ろくでもないことも起こるので、その中で、少しはましなものを選ぼうよ、そういうところに、結構いい未来があるのではないか、と思います。 ということで、以上、問題提起に代えたいと思います。 


[小西氏プロフィール] 1981年東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。 日本原子力研究所を経て2003年より現職。08~12年生存基盤科学研究ユニット長併任。 専門は核融合工学、エネルギーシステム評価、サステイナビリティ学。 核融合、先進原子力、等のエネルギーシステムの工学と、安全性や環境、社会や経済への影響評価研究、さらには地球環境問題や人類の持続可能な発展を考える学際領域「サステイナビリティ学」の研究に従事。


 


同志社大学大学院経済学研究科教授 篠原総一氏

同志社大学大学院経済学研究科教授 篠原 総一 氏


今のスピーチで、福島の問題でおおよそ考えられるほとんど全部出たのではないでしょうか。 特に、通常、経済学者が考えるための資料、技術的なことがすべて出されたんじゃないかと思いました。 この原発問題というのは、日本の歴史の中でずいぶん重みのある問題で、これは、どこが原点なのかわかりませんけれども、言わずもがななんですが、日本は、戦争中に、原子爆弾の開発をめざして、陸軍、海軍が研究に着手する訳です。 それは、理化学研究所の仁科芳雄博士とか京都帝国大学理学部の荒勝文策教授らが中心になって進むんですけれども、実際に、ドイツから燃料の移送までやったんですね。 しかし、ヒットラーが自殺し、船は途中で拿捕されてしまって、核燃料が届かなかったんですね。 まあ、それでも研究は進められたのですが、最終的には、広島、長崎にアメリカの原爆が投下されます。 仁科先生たちは、その直後に現場にはいって検証され、いろんな記録を残されています。 そして、戦後になりまして、これ、私も同時代で体験しておりますが、第五福竜丸という漁船が、アメリカの水素爆弾の実験で「死の灰」をかぶるという大変大きな重みのある事件を経験します。 


それで、中西さんのお話の中でも重要なポイントだと思うんですけれども、戦後、米ソの対立の中で、アメリカが、原子力平和利用ということで、同盟国、特に日本に技術を流してくるわけです。 これが、端緒になって、日本の戦後の原子力政策がスタートしていったんではないかと思うんです。 こうやって考えてみると、先ほど齊藤さんが、1970年代のアメリカの原子力技術の進歩は画期的だったというお話をされていましたが、ちょうどその時期に、日本にその技術が大いに入ってきて、それを活用しながら、あれよ、あれよという間に、日本は原発大国になっていったような印象を私は持っているのです。 その当時、何のために原子力発電を進めていくのか、現在のような、どうも将来の世界に対してどうしていかなければならないかという視点は殆どなくてですね、米ソの対立の中で、安全保障の具体的な条件のところからスタートしている。 それが、後で、日本経済にとってこんなに有益だというような理屈がついてきたといえるんじゃないか、そういう印象を持っています。 


個人的な話で恐縮ですけれども、その後、私は、ちょっと世代が違いますが、齊藤さんと同じ大学で過ごすんですけど、私どもが学んだ大学院には、原発の記念のモニュメントみたいのがあり、個人的には、素粒子の大研究家でいらっしゃる南部陽一郎先生に、ずいぶん色々とお世話になっているんです。 そういう出会いや経験もあり、また、きょうは、湯川記念館での開催ということもあって、ものすごく重みのある討論になると考えます。 それで、将来、日本の原子力政策がどうなるか、多岐にわたっておりますが、論点をきれいにまとめていただきました。 では、早速、会場からの意見もいただき討論していきたいと思います。 




坂本 淳一(堀場製作所経営戦略本部)

坂本 淳一 (堀場製作所経営戦略本部)

 

齊藤先生の講演で、最初に公益条件の悪化ということが、特殊要因としてあがっていましたが、それは、病気に相当するようなひどいものなのか、まだなんとかなるものなのか。 ちょっと、教えていただけますか。 



齊藤 誠 (一橋大学大学院経済学研究科教授)


21世紀にはいってからの日本経済問題で、特に、デフレ脱却とか言った時に、デフレというのは、日本経済のいろんな深刻な問題の象徴的な言葉として捉えられていると思うんですけれど、実は、デフレという深刻な問題の背景に、かなりの部分、交易条件の悪化があるんだと私は思っているんです。 経済学でいうデフレーションっていうのは、諸物価の価格の下落をもって言うんですけれども、実は、2003年以降には、あんまり下がってないんです。 それにもかかわらず、みんなが、デフレ、デフレって言っているのでして、それは、多分、物価下落ということ事態をみんなが嫌がっているのではなくて、もう少し違う状態で、実は、下がっている物価指標の中で、継続的に唯一下がっているのは、GDPデフレーターなんです。 これは、分母に実質GDPを置いて分子に名目GDPを置いた時に出てくる価格指標なんですけども、それがすごく下がっているんです。 GDPデフレーターが、どういう状態で下がっているかっていうと、実質GDPっていうのは、どれだけものをつくりましたか、どれだけサービスを生み出したかという数量の部分で、これはすごく上がっているんです。 実は、2002年から2007年はですね、みなさん、あまり好景気だったという意識はないかもしれませんが、戦後最長の景気回復だったんです。 実質GDPはすごく上がったんですけども、その間、名目GDPはどうかというと、横ばいか若干下がっているんですね。 そうすると、GDPデフレーターは下がる。 何で、そうなってしまったかというと、その間、物価指数は下がってなくて、実は、若干、円安で石油とかが上がり、物価は上がったんです。 でも、デフレーターが下がったのは、講演でいいましたように、非常に高いものを外から買ってきて、外には高く売れないということから来る所得漏出で、名目で見た時の所得漏出がすごく大きくなって名目GDPが増えなかったためです。 


齊藤 誠(一橋大学大学院経済学研究科教授)

物価下落の貢献はないとはいいませんけれども、2003年以降は、交易条件の悪化からくる海外の所得漏出が名目GTPの引き下げ要因になってきた。 これは、どういうことが起きているかというと、一生懸命みんな働いているんです。 駄目だ、駄目だといっても、自動車をたくさん作って輸出もいっぱい増えていたんですけども、日本経済全体としてみると、所得が外に流れちゃっているので、さて、付加価値の配分になった時に、手取りが少ない。 このなんというか、空回り感というのが、私はデフレ感覚という問題の背後にあるんじゃないかと思っているんです。 それは、かつてのように安い原材料を享受できなくなった。 また、食料品も含めて非常に高く輸入せざるをえなくなった。 全部ではないですけれども、輸出の花型だった電気・電子機器―半導体がその象徴ですけど、それが、輸出競争力を失い、海外で売れる値段がどんどん下がっちゃって、これが交易条件の悪化につながっているんです。 半導体も作っているけど、儲からないという状態になっていて、そこのすれ違いがあって、庶民的な感覚で言うと、これだけ働いてなんで所得が上がんないのか、あるいは中小企業では、何でこんなにライン回しているのに、利益が上がらないのかという部分があって、交易条件は目に見えないもんですから、ジワーっとわれわれの間に感じている部分であって、そういうデフレなんですね。 


じゃあ、財政政策や金融政策でやればいいのかというと、しのぐことはできても、根本の解決にはならない。 逆に、円安誘導なんかしようと思っても、交易条件は一層悪化しちゃいますから。 あるいは、いろんなマクロ政策をやっても、個別企業の輸出競争力向上には、全然役に立たないですし、そういうことを考えると、病気に例えるなら、ガンのように急激に進むものではなく、じわじわと体力が奪われる慢性疾患といえるのではないか。 石油ショックの時は、所得ロスも起きたんですけど、物価も上がっちゃったんで、何となく危機感が癒えやすかったんですけど、今回の場合は、何となく物価が落ち着いていて、所得ロスの方でジワーっと来ちゃいますから、そういう意味では、すごく深刻な成人病を抱えた状態じゃないかな。 だから放射線治療が使えないと…。 


坂本


確認なんですけども、デフレなど日本の経済状況とエネルギー問題との関連を教えていただきたい。 


齊藤


エネルギーの海外依存度が高いというのは、今の経済状況を非常に苦しくしている理由の一つではあります。 もちろん全てではありません。 



村瀬 雅俊(京都大学基礎物理学研究所准教授)

村瀬 雅俊 (京都大学基礎物理学研究所准教授)

 

発想を全然変えて、今の状況こそ、実はチャンスであるという発想が、もし、できれば、考え方もガラッと変わるような気がするんです。 どういう意味かというと、人間、必ず、健康と病気、あるいは死も含めてずーっと対立を持ち続けていて、病気になった時に初めて、健康の有り難さを実感することが多いと思うんです。 あるいは、病気を通して、ガンとか心の病を通して、生命の尊さというものに関わることが多いと思うんです。 今回の原発事故っていうのを、何か、人間社会、人間の本源に関わることができるチャンスなんじゃないかと考えたらどうかと思うんですが、どうでしょう。 



中西  寛(京都大学大学院法学研究科教授)

中西  寛 (京都大学大学院法学研究科教授)

 

おっしゃる通りです。 福島事故は、もちろん非常に深刻なことですけれども、潜在していた諸問題を表面化させる大きなきっかけになった、という風に捉えたほうがいいんではないかと思います。 そういう意味で、3・11にしても福島事故にしても、もちろん大変大きな犠牲であり、マイナスなんですけども、ある種のチャンスと言う捉え方はできると思います。 ただ、そのチャンスをうまくいかせているかどうかということですね、われわれが。 まあ、プレゼンの最初にも申しましたけれども、右に行ったり左に行ったり、フラフラ、フラフラしているわけです。 もちろん、原子力というのは非常に難しいので、アメリカ、フランスやドイツでもかなり激しい対立がありますし、事故がまだ収束していない中で感情的な議論が出てくるのはまあ、仕方ないと思うんですが、それにしても、あまりにも議論の質が低いというのが、正直なところではないかと思います。 ですから、カッコ付きですけども、チャンスとしてどう生かせるかというのが、これからの日本にとってとても重要ではないかと思います。 



齊藤


頭では、今、中西先生がおっしゃった、その通りでございますが、現実の社会の中で、なかなか、そう動いていかないので、そういう中でどうするかというのは、正直、大学の研究者としては…。 いや、できれば、こういうことを契機として前向きに考えたいのですが、現実の社会がそういうふうには進まないことに関して、難しい思いはあります。 まあ、突き放して、頭でも剃ってお寺に入ればとも思いますが、そんなことすると奥さんが大変ですから、そうならない中で、社会の中にいて、ものを考えて、と…。 


さっき、中西さんがおっしゃたんですけども、経済学の学問体系って、単純なモデルで、いろんな制約を定式化して、そん中で目的関数を最大化する手続きはどうするかってことを考えていくのは得意ですけど、そうでない状況で、ほとんどが政治的な制約と、あと、決定のメカニズムはないので、妥協をいっぱい強いられた時、どうするかが難しい。 それで、原発のことで、私が本を書く時に、経済学者の頭はどっかに置いといて、セカンドベストも望めない状態、サードベスト、フォースベストの状態でものを考えていかないといけないような状況、そんなこと初めての経験だったのですが、そうした時どうしたら良いかと思ったんですね。 最後はプラクティカルな問題として考えなくちゃいけないのですけど、こういうと、どちらかというと政治学の方に近くなると思うんです。 合意形成のプロセスの方が、今回は重要じゃないかなと思ったわけです。 


もしかすると、明確で最適な「解」がない時に、社会がどう納得するかということを、福島のことから突きつけられているんだと思います。 それで、私はもう、自分のできることで、現場をきっちり見て、自分の頭の中で処理できる範囲でやろうと考えた。 ですので、原発の施設に行っても、私が素人質問を続けるものですから、技術者の方は、大分嫌気がさしていたみたいですが、自分の頭の中で、自分の言葉で説明できるようになるまでしつこく聞いたんです。 そういうことをやりながら、確かに抽象的に原発の施設が安全だということは、なかなか判断できないのですけども、ある程度、自分で納得していったわけです。 ですから、社会では、何らかの形で結果を出さないといけないんですけど、そのプロセスを大切にする、一人ひとりが納得をしていくプロセス、納得して、その結果というのがすごく重要だと思うんです。 もちろん、そうやった結果でも、悪いことは絶対出ると思うんです。 でも、ああやって、あそこまで時間をかけて納得して決めたことで、それで悪かったんだったらと思った瞬間に、新しい対応ができると思うわけです。 自分たちで、失敗したことを納得してるんだから。 だから、そういう部分を大切にしていくには、ちょっと時間がかかりますけども、無理矢理にやるというんじゃなくということが大事です。 ただ、行政的にいえば、例えば、2018年の日米の原子力協議みたいに、もう時計の針が回り始めているものもあります。 そういう意味では、そうたくさん時間があるわけじゃないし、経済情勢も、それほど安穏としている状況ではないので、政治、経済状況から考えると、できるだけ速く、答えを出していかないといけない状況に日本社会は立たされているんです。 けれども、そう言って、あまり拙速にやるのも問題がある。 さっきプレゼンで言った「ゆっくり急げ」というのは、そういう意味なんです。 


篠原


今の齊藤さんのお話で、さっきの「ゆっくり急げ」の意味が氷解しました。 齊藤さんは、実は、大変な抽象的な、そのモデルの作り手というか研究家でいらっしゃいまして、日本を代表するマクロ経済学の理論家なんですけれども、その論文がまた難解で、わかりにくくて、時間をかけて必死になって読んで、読んで、読む込むと、ようやくああ、なるほどとわかる、そういうモデルを作られる先生なんです。 私の学生なんかも、齊藤さんの論文を読むのは楽しみであると同時に、大苦痛だと言っています。 そんな仕事をされる方が、今のお話のように、実に、原発の問題では、ほんとうに、悩みに悩んでおられる。 われわれ、どうしても、やっぱり結論を急いでしまうんですね。 問題は、多岐にわたっている。 使用済みの核燃料をどするかなど、なかなか、結論は出ないでしょうけど、ゆっくり急いで考えなければいけないことなんだと思います。 



加藤 聡子(市民)

加藤 聡子 (市民)

 

原発が始まって40年か50年ぐらいしか経っていないのに、こんな大事故を起こしてしまったわけですが、私は、それ以後の原子炉、MARK1とかMARK2が安全になっているのか、それから、今後、事故を起こさずに行けるのかということについて、かなり疑問を持っています。


それは、事故原因の解明ができていないということと、事故を起こした人たちが誰一人、取り調べられず、責任もとっていない。 そして、その人たちは、今なお、原発関連の場所で働いている。


そうした人たちを法的に追求することなく、ただ、新規制委員会で新しい安全基準を決めたとしても、絶対、電力会社の人たちが事故を起こさないために働くかというと、それはわからない。 こんな状態で、再稼働させて、より安全に動くのかどうか。 



齊藤


責任の所在の追及の問題についてはいろいろ意見がありますが、私がいいとか悪いとかいう話だとは思いません。 また、責任追及が曖昧だから、では、再稼働して大丈夫なのかはというつなぎ方をして考えないほうがいいと思います。 私は、原発関連の現場に行き、いろいろ、わからないままに、根掘り葉掘り聞いて調べてきましたが、専門知識については内容的に理解できたのは数%だろうと思います。 ただ、わかったことは、思った以上だったのですが、それは真剣なプロセスで、手続きは進められていました。 中には、ここまでやるかなというぐらいのものもありました。 もちろん、それでも、事故はないとはいえません。 絶対ゼロはありえませんから。 福島事故の決定的な契機になったのは、やっぱり、どう考えても技術が原始的な状態のままで放置されていたことと、危機対応に関して、非常時の手続きを具体的に明記していなかったというようなことがあるんですけども、現場と経営、規制の方とかが、新基準に対応するために、真剣に考えて進めていったということです。 それと、いくつかの原子炉について、新基準を通ったとしても、それを地元に投げますから、また、地元で、知事さん、県や市町村の議会、住民の人たちで同意の手続きをしていかなければならないので、すぐに原発が動くわけではありません。 とにかく、そういうプロセスをつくり、その中でそれをクリアし、合意ができたということに関しては、それが完璧かどうかはわからないけど、われわれ社会は、尊重してしかるべきではないかと思っています。 


篠原


ある種、もう少し、クリアカットな解答がでるかと若干期待したんですが、ことは、やはり、そう簡単ではない。 引き続き、ずっと考えていかなければならない大きな問題であることが、ますます明らかになってきました。 ここで、少し、休憩して、討論を続けたいと思います。 




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