第6回クオリアAGORA_2013/原発リスクとどう向き合う?
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長谷川 和子 (京都クオリア研究所)
きょうは、台風の接近が気になる雨の中をお集まりいただきましてありがとうございます。 原発の問題、東電の問題については、これまでこの会でも原子力工学の立場で考えていたのですが、これからの日本の将来をにらんで原発のことを考えるためには、経済学、社会科学の観点が必要というこことで、一橋大学の齊藤誠先生をお迎えして、市民の方にもお集まりいただき、きょうの会を開く手はずをしておりました。 ところが、齊藤先生が体調を崩され、きょうどうしても京都においでいただけないということになり、急遽、内容を変更して開くことにいたしました。 関係者で打ち合わせをした結果、齊藤誠さんの考え方をベースにしながら、福島原発、あるいは原発そのもののリスクとどう向き合っていったらいいか、ご来場の方とともに話し合っていくという形で展開をせざるを得なくなりました。 このような事になりましたことを深くお詫び申し上げます。 東京など、遠方からおいでいただいた方もおられますが、事情をご理解いただき、お許し願いたいと思います。
それでは、会に先立ちまして、会場の同志社大学の村田晃嗣学長からごあいさつを賜りたいと思います。
村田 晃嗣 (同志社大学学長)
皆さん今晩は、ただ今ご紹介いただきました同志社大学学長の村田でございます。 本日はお足元の悪い中、京都クオリア研究所の研究会で同志社大学にお運びいただきましてありがとうございます。 ご案内のように、京都市だけで人口は145万人ほどでございますが、その1割が学生でございます。 そして、145万人の京都に37からの大学がございます。 政令指定都市の中では最も大学の数が多い都市でございます。 そうしたさまざまな大学があって、そして、きょうここにいらっしゃっている堀場最高顧問の堀場製作所はじめ多くのベンチャー企業が京都にはございます。 そういう大学や企業、あるいは市民が交流し、協力し、あるいは刺激し時には挑発しあって産学連携などという言葉がないはるか以前から、京都は、産学連携をしてきた街だったろうと思います。
そうした一環として、きょう「原発リスクとどう向き合う」という非常に重要なテーマについて、同志社大学という場で、みなさんにご議論いただくことを大変嬉しく思うところでございます。 ほんの数年前まで、私どもは、一部の専門家を別にすれば、原発のリスクというものに対して極めて無自覚であったのではないかというふうに思います。 しかし、今日、日本だけではなく、原発のリスクというのは、世界的な大きな課題になっております。 私は、学長になってまだ半年ほどにしか経っておりませんけれども、学長になってみて、この大学という組織が、いかに大小あるいは様々なリスクに直面しているかということを痛感した次第です。 このことを通じ、われわれの社会が、われわれが自覚しているかどうかにかかわらず、実に多様でさまざまなリスクに直面しているということを改めて感じているところでございます。
きょうは、自然科学だけじゃなくて、社会科学、人文科学の知見を用いて原発リスクのご議論をなされるということでございます。 リスクと例えば、デインジャーはどう違うのか、あるいはデインジャーとスレッドはどう違うのか。 さまざま、私自身も興味のつきないところでございます。 これから、限られた時間ではありましょうけれども、原発リスクをめぐって有益な議論が展開されることを心より期待をしております。 本日はまことにありがとうございました。
スピーチ1 「原発危機の経済学」 技術編
同志社大学大学院総合政策科学研究科教授 山口 栄一
きょうは齊藤誠さんがいらっしゃるのをすごく楽しみにしていたのですが、ご出席していただけないということで非常に残念です。 それで、このあとに話していただく篠原さんと急遽打ち合わせをして、会はとにかくやり遂げよう、技術編、経済編に分けて二人でやろうということになりました。
それで、きょうは徹夜で齊藤さんの著作「原発危機の経済学」を読み直し、齊藤さんの考えをきちんと咀嚼したという認識のもとで私の考えをお話ししたいと思います。
クオリアAGORAで福島の原発問題を扱うのは、これが3回目です。
1回目は、クオリアAGORAの第1回で、私がお話をしました。 きょうお話しする内容はその一部で、もう一度復習したいと思います。〔1回目はコチラ〕 2回目はですね、今年の3月ですけれども、菅(直人)元首相とJAIST(北陸先端科学技術大学院大学 )副学長の日比野(靖)さんをお呼びしまして、肉声をもって、一体あの日何が起こったのかを語ってもらいました。〔2回目はコチラ〕 これも非常によい機会になったと思います。 きょうは、それも踏まえながら、もう一度全体的に、原発問題は何だったんだろうか、これから東電をどのように考えていけばいいだろうかということを、まさに科学と技術と社会が深くお互いに絡み合った話ですから、それを話していきたいと思います。 今、写真に映っていますけれども、もちろん、「FUKUSHIMAレポート」に基づきます。 この第1章は、私が書きました。 因みに、このメンバーの河合弘之さんは福島原発告訴団の弁護団長をしておられますけれども、このレポートの中身は完全にニュートラルな立場で書きましたので、後ほどお読みいただければと思います。
さて、齊藤さんの「原発危機の経済学」ですが、ちょっとこの本のことを復習したいと思うんです。 といいいますのは、私がちょうど「FUKUSHIMA」を書いていたころ、この第1章を担当して、これ、全体の3分の1ぐらいなんですけども、その内容は、基本的にこの原発事故で何が起こったかっていうのを、いわゆる「草の根事故調査委員会」の立場で書いたものです。 私は、委員長を務めておりましたが、実は、2011年の9月ごろ、メゲそうになりました。 というのは、私は、これは、明らかに経営問題、「経営者が経営判断をきちんとしなかったから起きたんだ」という視点で進めていたんですが、これを誰もいわないです。 だから、私の視点が間違っているんだろうかと、思ったんです。 その時に、齊藤さんの本が出たんです。 そこには、明確にこう書かれている。 まず「東電も民間会社であり、取締役会が会社の意思決定に対して最終的な責任を負っている(P30)」。 民間会社とはこういうものです。 最終的な責任は経営者が追わなければならない。 経営者こそが、その組織の意思決定者である、と書いてあります。 当たり前ですけど、これ忘れがちなことなのですね。 そして次に「東電経営者が断固とした姿勢で問題解決に向けた強い意志を表明しなかったことこそが問題なのであろう。 仮に、原発危機の早い段階で、東電経営者が社会に対してベント実施の理解を求め、廃炉を前提に海水注入を検討していることを表明していれば、事態は大きく変わっていたのではないだろうか(P31)」。 つまり、東電の意思決定に誤りがあったのではないかときちんと言っているわけです。
そして最後に「2号炉と3号炉については、廃炉を覚悟すれば、適切な措置によって炉心溶融を回避する余地があった。 それにもかかわらず、適切な対応がとられなかった。 より正確には、適切な対応を取る意思決定が適切なタイミングでなされなかった(P32)」というふうに言っています。
さらに続けてですね、同じことをもう少し具体的に語っています。 43。 です。 「原子炉の継続使用を断念して、できるだけ早い段階でベントを実施し、海水注入を行っていれば、炉心溶融は回避できた可能性もある」―これは、このあと証明します。 「東電経営者は、遅くとも12日」―12日、これが大事です。 これよくおぼえておいてください「12日午後のタイミングで、3号炉や2号炉についても、ベント実施や海水注入について強い意思表明を行うことができたはずである」と、言い切っています。 さすが経済学者だと思いました。 さらに「なぜ、東電経営者が廃炉を前提に大胆な意思決定を下すことができなかったのか」…「答えは簡単である。 東電経営者は、3基のいずれの原子炉についても、3月11日の時点でさらに20年以上使い続ける心積りだったからである(P45)」と断言されています。 これ、私は非常に勇気のある言葉であると思います。 だけど、これは怖い言葉でもあると思います。 というのは、これを証明しないといけない。 証明しない限り、東電の経営者として自分たちはやっていた。 社内にむけても、自分たちはこういうことを言っていたといわれれば、これは水掛け論になってしまうんです。 それで、私も、ちゃんとした証明をしようともう一度思い直したのです。
それで、今からお話しする内容は、レポートに書き込んだことで、繰り返しになりますけれども、お話したいと思います。
原子炉の配管構造(2,3号機)をまず簡単に復習します。 原子炉は基本的に、外側に格納容器というのがありまして、それからこの中に圧力容器というのがあって、格納容器は3・8気圧ぐらいまで持ちます。 まあ、自転車のチューブくらいの圧力ですね。 それから、圧力容器の方は80数気圧まで持つようになっています。 ちょっとしたボンベですね。 それで中に水がたっぷりはいっていて、そこに燃料棒が入れてあるという構造になっています。 齊藤さんは、著書の中で、ここに「水、水、水」と書いていますが、要するに水なんですよね。
キーワードは水で、いかに、この中を水で満たしておくかということが問題なんです。 通常の場合は、この中、3気圧ぐらいで運転しますので、水の沸騰温度は100度ではなく、300度近くになります。 図のように、沸騰した水蒸気は、ここを流れてタービンを回して戻りますけれども、津波のためにこれが壊れてしまいました。 こうなった場合、どこから水を持ってくるかというと、ECCS系という非常用炉心冷却系のラインを使って水を入れます。 それと、ここにサプレッションチェンバーというのがあって、ここからも水を入れます。 ところが、このあいだの地震の時は、非常用電源が壊れ、この二つとも機能しなくなった。 ECCSが止まってしまったわけです。
齊藤さんはですね、多分、RCIC(原子炉隔離時冷却系)の存在についてお気づきになっていないと思います。 ですから、ECCSが止まったあと、いきなり暴走したように書かれていますが、実際は違います。 3号機は36時間ぐらい、2号機については70時間ずーっと冷やし続けたのです。 何が冷やし続けたかというと、ECCSが壊れてもそれでも回る最後の砦、このRCICというものがあり、さらにECCSの一部HPCI(高圧注水系)が機能したのです。 図を見ていただきたいのですが、RCICは、水蒸気をこの経路を使って取り込み、サプレッションチェンバーで復水された水を、タービンを回して動かすポンプを使い引き上げ、圧力容器を冷やす。 パッシブなシステムで、AC電源さえあればバルブが開きますので、動きます。 この経路の存在によって、ECCSが壊れてからも3号機の炉心は30数時間、2号機は70時間冷やし続けられていたのです。
復習のもう一つ「三つの大事な量」というのを説明します。 齊藤さんの本にも「水、水、水」という章があるくらいで、原子炉の水位がまず大事です。 水位は、原子炉の燃料棒の突端より上になければいけない。 原子炉のマネージメントで一番大事なのは、この水位を常にプラスに保っておくことです。 マイナスになったら途端に暴走し、炉心溶融が始まり、放射性物質が外に出てしまいます。 2番目は、圧力容器の圧力が83気圧を超えないようにすること。 3番目は格納容器の圧力で、これも3・8気圧を超えないようにすることです。 いずれも圧力の限界を超えますと、いずれも爆発します。 これは、地震の直後に、原子力委員会委員長の近藤(俊介)さんが、格納容器が爆発したらどうなるかのシミュレーションをされているのですけれど、それによると、250キロ圏内は人が住めなくなるということをおっしゃっています。 これは、東京も含まれます。
それでは、それぞれの量の変化(3号機はどのように制御不能になったかの図)を見てみます。
横軸は3月11日から同15日までの時間です。 縦軸はまず原子炉水位ですね、メートルで書いていて、ゼロというラインが、炉心が露出するかどうかの瀬戸際でマイナスになったらもう暴走している、溶け始めているということです。 現実には、どうだったかというと、津波がやってきてECCSが喪失した後、RCICが手動で起動され、12日の午前11時36分まで冷やし続け、その後、同午後0時35分からは、HPCIが動き出して、13日の午前2時44分にそれが停止するまで約36時間、3号機は冷やし続けられていた。 このため、その間の水位はずっとプラス4メートル以上(原子炉区域Aの実測値)を維持しています。 そして、HPCIが死んだ後、まもなく水位がマイナスを示し、暴走が始まったことがわかります。
今度は、圧力容器と格納容器の気圧はどうなったかです。 次の図を見てください。 圧力容器は83気圧が限界です。 この図では、ずっと75気圧ぐらいより上にあがっていません。
SRV(セーフティリリーフバルブ)というものが自動的に効きまして、圧力容器の圧力が決して75気圧以上にならないように保っているんですね。 従って、水蒸気が格納容器側に出ますので、そっちはどんどん上がります。 これも3・8気圧に保たなければなりません。 こうしてどんどん上がっていくんですが、ここ(3月12日午後12時35分)で、実は、急激に圧力容器の圧力が減り始め、同日午後には8気圧まで下がります。 これなぜかというと、誰も論じてないんですけれども、HPCIが動き始めたためです。 この冷却能力は実にRCICの10倍ぐらいですから、あっという間に冷やしてしまって、8気圧にまで下げた。 それで、これはおぼえておいていただきたいですが、8気圧というラインは非常に大事で、消防ポンプの水圧が8気圧ですから、消防ポンプから水を入れられるのです。 ですから、3月12日の午後、特に午後後半、消防ポンプで海水注入していれば、あっさり海水は入ったはずです。 実際に、私たちが証明できたのは、日比野さんが官邸にいらしって、菅さんと東電フェロー(当時)の武黒(一郎)さんとの会話を一部始終聞いていた。 で、その結果何がわかったかというと、「菅さんは《次に打つべき手はないのか》と関係者に質しており、傍らにいた日比野さんは《海水注入を今すぐやらないのはなぜか》と東電に尋ねた。 ところが、東電の経営陣は『海水注入』を拒んだ」ということでした。 このことは、3月のクオリアAGORAでは肉声を持って明らかにしていただきました。
で、次は2号機です。 2号機はですね、何と、原子炉水位はずーっとプラス4メートル弱に保たれていて、何と3月14日の午後1時まで、暴走しなかった(2号機はどのように制御不能になったかの図)。 たっぷり時間があり、落ち着いていたので、この頃なら、実はいつでも海水注入できた。 圧力を見ていきたいと思います。 圧力容器も2号機の場合は大体65気圧以上にならないように自動的に制御されています。 SRVが効いているんですね。 その代わり、格納容器側にどんどん圧力が逃げていきますから、こっちの圧力はどんどん上がって、3・8気圧を越えています。 非常に危険なラインで、実際に気圧は急激に上がり始めていくのですが、でも、ストンと5気圧ぐらいに落ちています。 これ、格納容器が爆発、完全ではなく多分、サプレッションチェンバーに向かうパイプに亀裂が入ったんだろうとされていますが、誰も入れないのでよくわかりません。 それで、やはり、3月12日の午後が気になるわけです。 さっきと同様で、この時、2号機でも「東電は海水注入を拒んだ」ことがわかっています。
3月13日のお昼ごろ、日比野さんは、もう自分の役目は終わったというので、うちに帰ったそうです。 その時、東電に「速やかなベント」を拒否された日比野さんは、物理学の本質に戻り、水蒸気の潜熱を調べた。 すると、潜熱は21気圧を越えるとずっと一定だということがわかったんですね。 東電の主張は、「圧力が上がれば上がるほどいい。 なるべく上がった時にベントをすれば、熱がすっと抜けてくれる」というものだったが、日比野さんはそれが物理学的に間違っていると看破して、早速、菅さんに電話し「今すぐベントと海水注入をするように」と進言したそうです。 が、結局、これも東電に無視されたことがわかっています。
以上が事実関係なのですが、これから、その後のことを話します。 国会事故調査委員会のことです。 私、委員長の黒川清さんを好きでしたので、ずいぶん事故調に期待していたんですけれども、国会事故調は、菅さんに対して事情聴取をするんですね。 翌年の2012年5月28日のことです。 これは、「ニコニコ動画」で全国に配信されました。
中央大学法科大学院教授の野村修也さんという、最近よく日本テレビの番組に出られますが、この方が事情聴取に立ちまして「日比野氏の専門は何か」と聞いています。 これで12年の1月に出た「FUKUSIMAレポート」を読んだなとわかります。 日比野さんの存在は、これにしか出ていませんから。 それで、菅さんは「大学では、電気物理が専門で、ある大学の副学長をされている」と答えると、野村さんは、ちょっとイラっとして「いや、コンピューターサイエンティストでしょう。 原子力の専門家ではないですよね」という言い方をされています。 それで、野村さんは「現場は、日比野氏からの電話で初歩的な質問を受けたことに、仕事のじゃまだったと発言している」―これ、誰が発言したかは言っていません。 そして「現場を第一に事故対応する、という基本原則から考えて問題があったと考えないか」といわば詰問しています。 これに対して菅さんは、いわば日比野さんを守るために「内容的にはっきりしないので、答えようがない」と答えています。 最後に、野村さんはとどめを打っていまして、「まさに飛行機が墜落しそうになっていて、コックピットで墜落を防ごうと精いっぱいの対応をしている時に、電話はかけない。 コックピットに電話をかけるのであれば、必要最小限にとどめる。 そのようには考えないか」ということで、そこで菅さんは絶句しています。
という訳でですね、最終的に、結論ありきでこういうことを述べたんだなあとわかったのは、その1ヵ月後に、国会事故調の事故調査報告書が出るんですね。 この中に、きちんと書き込まれていて、報告書には、「当時の菅首相が、東電の原発事故対応を邪魔した罪は大きい」と書いています。 そして、その後、この国会事故調の示した論調が、一つのいわば国民的コンセンサスになるんですね。 例えばですね、石川和男さんの「原発の正しいやめさせ方」とか住田健二さんのBSフジでの発言なども出てきて、菅元首相の現場を混乱させた態度や判断(菅リスク)こそが事故の解決を遅らせ、原発の暴走を早めたという誤った国民的コンセンサスができあがってしまいました。 これ一つのコンセンサスが誘導されていくんですね。 私、野村さんの詰問は明らかに誘導尋問なんですけども、これが実際に、国民をいわば誘導していきます。 私のメッセージなんですけど、野村さんのいう「専門家」でない菅総理と日比野さんは「可及的速やかにベントをし海水注入すべき(これ正しい)と主張し、その一方、野村さんのいう「専門家」である武黒フェローや武藤栄副社長(当時)はこれを故意に拒み(間違った判断)、その結果として放射能汚染が6倍にもなったにもかかわらず、ということです。 菅さんが実際に本「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」を書かれていて、近藤原子力委員会委員長がシミュレーションした結果を載せておられるのですが、万が一、東電が全面撤退してしまったら、「誰ももう2号機、3号機をメンテナンスすることができず、格納容器が爆発する。 その結果、希望者の移転を認める区域(1週間置いて人が住めなくなる区域という意味)は、東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性がある(P22)」ということを書いていて、なぜそうならなかったかということについては、「二つ偶然が重なった(P22)」のであって、それは、「2号機の原因不明の圧力低下(パイプが避けたおかげで爆発しなかった)、もう一つ水が減っていった4号機の燃料プールに、何らかの理由で水が流れ込んだ(P119)」ということが書かれていまして、ほんとうにラッキーだった。 これがなく、万が一東電が撤退していたら、250キロ圏内が人のすめないところになっていただろうということをお書きになっているわけです。 この一連の話を聞いたらですね、何となく東電を、何かの力が守っているなということに気がつくと思います。
従ってですね、これ私のメッセージで、去年の第1回AGORAで主張したことなんですけど、「RCICがもしも稼働したら、経営者の意思決定を待つことなく、現場判断で、すぐに代替注水系そして海水を注入する」とマニュアルに定めておく。 それから「海水注入を実行した何人も免責となることを法的に保証する。 フィルターつきベントは、(なくてもいいが)、あった方がいいので新設する」とすることで、築40年未満でかつ活断層上にない原発の再稼働は問題ない。 にもかかわらず、その議論が今あえて封じ込まれてしまって、東電の経営者責任の議論は逆に封印されているというのが現状だと思います。 ひどいのは、検察当局は、つい最近、東電の勝俟恒久前会長ら42人全員を不起訴にしていて、その理由を「地震、津波の予見困難」と述べています。
故意に海水注入を遅らせたことで、本来なかったはずの2、3号機の暴走が起こったことを、経営責任としてどこにも論じていない。 これが不思議で、穿った見方をすると、東電の経営者たちを何かが守っているという気がして仕方ありません。 それで、これも不思議だなと思うのは、朝日新聞なんですけど、連載もやっていて、この問題にきちんと取り組んでいると思っていたんですが、不起訴の時に、ここに1行ありまして「菅前総理や東電の勝俟全会長が」と書いています。 これ故意の誤報です。 菅元首相も起訴の対象になっていたということをあえて印象付けようとしている。 これも不思議な事です。
それで、私のメッセージで、これからディスカッションしてもらいたいところなんですけれども、東電の経営者の故意の海水注入拒否の罪をきちんと裁くこと。 それと、菅元首相の貢献を正しく評価すること。 私は、菅さんって人が政治家としてすばらしいとは、全く思いません。 けれども、あの日の行動は、私は評価されるべきだと思います。 そうしなければ、日本のリーダーシップはだめになるだろうとさえ思います。
これから、篠原さんの経済編のお話に移る前に、私が全く同意する齊藤さんの「原発危機の経済学」を少し紹介します。 6章までがずっと技術の話で、7章、8章でようやく経済の話になり、それが184ページからです。 で、まずですね、貸借対照表。 資産サイドですけど、こっちはどんどん毀損しています。 軽水炉発電事業は将来危ぶまれている。 東電の場合は福島第1がなくなり、第2は恐らく再稼働は無理ですから、柏崎刈羽だけになる。 彼の主張は、基本的にバランスシートを考えた時に、被害者への損害賠償をきちんとするためにこそ、収益プロジェクトとして軽水炉発電事業を今後も維持すべきだということを述べています。 そして2番目、これかなり大事な点ですけども、再処理高速増殖炉事業ですね、プルトニウムの再生産のことですが、これはかなり行き詰っていて、これは政府、電力会社は撤退すべきで、必要な資金は、積立金を利用しなさいと言っています。 これはまさに正論で、この二つは補完的だと書かれています。
次は、バランスシートの右側、負債サイドです。 返済負担は、どんどん増大していく。 具体的には、まず福島原発事故に起因する損害賠償負担。 これはどんどん増えていくでしょう。 では、どうするか、っていう時にいろんな議論があって、政府が関与するとかありますが、彼はきっぱりとこういいます。 つまり、「投資家(株主、融資銀行、社債保有者など)が会社更生法の枠組みで損失を負担しながら、損害賠償の原資をできるだけ捻出する。 損害賠償に公的資金の投入は適切でない」としています。
そして、これは彼のオリジナルですが、福島第1原発施設の事後処理、これは汚染水処理も含めてあの土地をどうするかということですけれども、彼はきっぱりと「推進主体を東電から政府に移すべき。 原発敷地の再生を国家プロジェクトとして位置づける」と。 以上の4項目は、こりゃもう全く合理的だと私は思います。 しかし、政府は、あるいはマスコミは今、そういう方向に議論はいっていません。 むしろ、投資家たちを守る議論だったり、損害賠償に国税を投入すべきというような議論であったり、様々な議論があるわけなんですけど、彼は、きちんと、日本の会計システムは、そんなことがやれるほどルーズにできていません、とはっきりいうわけです。 ですから、きょうのお話は、やっぱり経済の話。 東電をどういうふうにソフトランディングさせながら、会社更生法の適用に持っていくかということになるのではないかと思います。 どうもご静聴ありがとうございました。
長谷川
どうもありがとうございました。 2年半前のことで、わずか2年半前のことか、もう2年半経ったのか、いろんな位置づけがあると思いますが、事故後この2年半のいろいろな動き等を含めて山口さんにお話しいただきました。 原発リスクにどうむきあうかということで、齊藤さんの本を読んで私もそうだなと思ったんですけれど、原発を誘致する地元は、いかに国から補助金を取るのか、そして地域の方々の応援というか信頼をどう勝ち取るのかというところであり、地域の方々も、そういう補助金を受けることによって地域がまた潤うというスタンスで原発を推進してきてしまったのではないか。 市民も地域も、研究者などいろんな方々が、この原発のリスクに、今、真剣に向き合わねばならない―ということをおっしゃっていることが印象に残っています。 では、次、経済編として同志社大学教授の篠原さんにスピーチをお願いいたします。
スピーチ2 「原発危機の経済学」 経済編
同志社大学大学院経済学研究科教授 篠原 総一
齊藤先生がお見えになることになってまして、私の役割は、コメントをすることではなくて、先生に質問をしていろんな答えを誘導しようという風に思っておりまして…。
私、原子力のことをしっかり勉強した人間でもないんですが、AGORAの研究会で、山口先生が第1回にこれを取り上げられ、そのころからずっと関わって見てきたわけです。 それで、途中から、技術的なお話を教えていただいているうちに、どうも、原発、ないしは原子力を使った発電、送電、いわゆる電力事業の今の体制はまずいんじゃないかという印象を強く持つようになりました。 つまり、具体的にいうと経済産業省と電力会社の関係で成り立っている仕組みですね。 これを根本的に速く変えないといけないという認識で眺めてきました。 それで、齊藤先生のお話をぜひ1回聞きたいと思ったわけです。
かく言う私ですが、実は、こういうことにはいかにも音痴というか、無責任だったわけですが、初めてこういう問題に接し、考えるようになったきっかけになったのは、さっきから山口さんが紹介されている齊藤さんの「原発危機の経済学」を読んだことだったんです。 初めて、原発ってこんな風になってるんだってことから勉強し始めました。 とても含蓄のある本で、早いタイミングで出た本で、みなさんもこれを機会にぜひぜひ読んでいただきたいと思います。
きょうは、発表していただくことになっていた齊藤先生のスライドをコピーしてお配りしておりますが、齊藤さんは、まず「なぜ、今、原発政策か?」というところから始まっています。 私は、実は、それとは違う印象を持っておりまして「まだ、なぜ、原発政策か?」という、とにかくスピードが遅い。 2年半も経つのに、ほとんど何も解決していない。 やや外野の人間からすると、不足感と言うか焦りがあるという印象です。
ほんとは今はもう、今後のエネルギー供給のあり方を考えなきゃいけない時期、というより、もうある程度その姿が見えていなきゃいけないにもかかわらず、まだそこには程遠い段階にある。 未だに汚染水処理とかの段階で議論が止まってしまっている。 それの一番大きな問題は、多分、原発問題の全容についてまだ決着がついていないこと。 いろんな見方があって、責任は誰だとか、ああだ、こうだの議論で、進んでいる。 少し、そこらを客観的に検証して、反省をし、前を向いて議論をしていく方向が必要なんじゃないかと思います。 例えば、再稼働するにしても、福島の問題を基礎にして、新しい安全基準をきちんと作らなきゃいけないわけですけど、これ、未だに、原子力規制委員会で検討中ですよね。 いつ出るかも、私たちにはわからない。 こういう段階で、全てが遅々として進まないという感じがします。 それから、もうひとつは、代替エネルギーをどうするかも考えなきゃいけないわけですけれども、この技術開発の予測が全く立たない印象がある。 例えば、蓄電池の能力がどうなるかとかですね。 こういうことも含めて、わからないことが多すぎます。 そういう意味で、科学者の方にもう少し頑張ってくれといいたいような感じが常にしております。
将来のことを考えるにあたって、齊藤先生は、日頃からも「事故の原因の問題ではなく、むしろ、事故が拡大した原因を突き止めないと、今後どうしていくかの答えはでてこない」とおっしゃっていますね。 山口先生が先ほど技術的な問題をたくさんおっしゃったことは別として、私は、素人ながら思うんですが、単純に見れば、福島第1原発は、「古さ」が問題だったじゃないだろうか。 津波も含め同じような条件でも、三つの原発のうち、福島第1原発だけがおかしくなったのは、その古さのせいではないのか。 それから、齊藤先生の著書に「水、水、水」という章があると、紹介がありましたが、水一点に集中するとですね、海水の取水口ひとつとってみても、これがしっかりしていれば防げたかもわからないということを考えると、どうも古いものを使いすぎていたってことなんじゃないだろうか。 で、これを許してきた体制が、まさの経産省と電力会社の関係だったような気がします。 これを根本的に一回見なおしてみないとですね、小さな技術の話をしていても、また、同じことをやってしまうという感じが致します。
ご承知のように、はっきりいいまして、汚染水の処理を含めて見てもですね、素人目からしても、経産省と東電に、当事者能力があるように思えないですね。 根本的にこの仕組みが問題なんじゃないだろうか。 今、山口先生が、「耐用年数40年を超えて20年間の延長運転を検討していた」というのには、証拠がないとおっしゃったけれども、私は、具体的な証拠のことはよくわからないですが、齊藤先生の言葉を借りると、特に2号炉と3号炉に関しては、運転廃止間近の原発という位置づけからですね、政府も東電も、まだまだ使う、これから働いてもらわねばならない原発というふうに定義を変えてしまった、と。 そのために、廃炉につながる海水注入をためらった―これはほとんど間違いのない事実だと思います。 そういう意味で、海水さえあそこで入れていればですね、少なくとも、2、3号炉に関しては止まったと、当初から山口先生はおっしゃっているし、私も、説得力のある話だと受けとめておりまして、ここんとこは、ものすごく重要だったんじゃないかと思います。 海水注入に踏み込まなかった、あるいは、古いままの機械をそのまま使い、修理も手当もしてこなかったという体制に問題があるんじゃないかと思います。
今後をどうするかという時にですね、恐らく、多分、齊藤先生は経済学者なので同じように考えると思うんですけれども、確かに、今まで作ってしまったものは、しょうがないわけですね。 作ってしまったものはしょうがない、今後だけ見ていればいい、という考えをするわけですけれども、それにしても、もし、廃炉にして、使わないことに決めたとすれば、今度はエネルギーを供給するために、新たに別の投資が必要になります。 それを考えると、もしも安全に使えるんであれば、あるものは使っていく方が社会的コストが安くつくんじゃないかと私どもは思います。 その時、問題になるのは、じゃあ、安全をどういうふうに確保するのか、そのためにどのぐらいのコストがかかるかを、早く算定しなければいけない。 確かに、各種の政府の委員会の中で、シミュレーションをして、いろんなケースで、この場合にいくらと数字が出てるんですね。 出てるんですけれども、私は、個人的に、政府の部内でやってる数字に対して、あまり信頼は置いていません。 なぜそうかというと、彼らは、政策的、意図的にその数字を変えるくせがありましてですね、わかりやすい例で言えば、例えば地方の空港を作る時に、どうやって算定するかといえば、このぐらいの顧客数があって、これぐらいの収益が上がるはずだとか言うようなことを事前に数を算定し、シミュレーションして出すわけですね。 ところが、ご承知のように非常に都合のいい数字を今まで出し続けてきていて、実際にやってみたら、客数は全然予測と違うというのがいくらでもあるわけでありまして、そういう癖のある予測というはあまり信頼しないほうがいい。 そうやって考えてみると、山口さんの「福島レポート」のグループも含めてそうですけれども、民間で早く、いろんなシミュレーションをしたコストを出してほしいと思います。 とにかく、コストについて、今のところ出揃っておりません。 だから、これからどうしていくのかについて判断のしようがないというのが現実で、非常に難しいところです。
もう一つ、山口さんの話でありました「責任の所在」なんですけれども、これもはっきりしてないわけなんです。 奇妙な話でありますけれども、通常、モノの取引をする時には、事故が起こった時には、機械を作った人たちが責任を取ることが原則ですね。 「製造物責任」です。 ところが、こと原子炉に関していえば、製造者の責任はないんです。 事業者、運用者の責任に全部なってしまっている。 福島の場合なら、製造物責任はGEですが、そうはなっていない。 なぜ、原子力関係だけがですね、製造物責任が変わった形になっているのか疑問でありまして…。 ある経済学者で「それは、原発は絶対に安全だという信念に基づいて作られているからだ」おっしゃった方がいますが、それはそれとして、どうも責任というのは、東電の責任は別にいたしまして、政府がそれを認可してきた責任、それから、山口さんも先ほど話され、齊藤さんが指摘しているステークホルダ―の責任と、といろんな議論が錯綜しているわけであります。 そこをもう少しきちっと整理してみる必要がある。 そうでないと、先に進めない。
以上のように申し上げたことを念頭において、齊藤先生から、どうすればいいかをお聞きしたかったわけですが、整理できた問題点を以上お話しました。
とにかく、福島原発事故の経験を基にしたエネルギー政策をできるだけ早く作らなきゃいけないわけですが、もし、原発依存を継続するとしたならば、その時の安全基準をどうするか、それから、大問題である使用済み燃料の処理をどういう体制で、誰が、どの位のコストをかけてやるのか、非常に問題が大きいと思います。 特に、私が個人的に注目するのは、原発と電力産業の関係、経産省と電力会社の関係について、もう1回見なおさなきゃいけないだろうと思います。 それをやっては初めて、エネルギーミックスをどうするのかという論点に到達する。 でね、私どもは、事故が起こった直後、まさか2年半たって、こういうことが、まだ何も終わってないなんて思いもしなかったのですけど、現実的にはほとんど何にも手が付けられていないということなんじゃないでしょうか。
特に具体的に、今問題になっている再稼働のことですが、これも技術的に、例えばストレステストが再稼働の条件かどうか、私は疑問だと思います。 重要な事は、先ほど論点整理したようなことがはっきりしていないと、なかなか、再稼働はできないのではないか。 特に、原発の立地する自治体との合意形成の条件として、事故の発生確率とそれから、事故が発生した後の対応、直後に注水をするというだけでなく、中、長期にどういう手当をするのか具体的な姿を見せないと、再稼働は不可能に近いと思います。 それから、素人目にも非常に不思議に思うのは、活断層が原子力規制委員会で今、問題になっていますけれども、法的な根拠は恐らくない。 それにもかかわらず、事実上の明文になっているわけですけれども、こういうことも、論点整理をしてみないと、軽々に、ああいうことだけ進んでいって大丈夫なのかという気がします。 それから、古い原子炉は、当然廃炉にしたらいいと思います。 なぜ、廃炉にしたほうがいいかというと、1970年代に始めたもので、まず規模が小さい。 もう一つは、減価償却であるとか、廃炉費用の引当が済んでるわけですから、具体的には可能だと思います。 が、この問題は、いってみれば厄介なものを作ってしまって、前へ進むにしても、後ろに引くにしてもどっちに行っても地獄という感じじゃないですかね。 その時に、使用済み核燃料の問題は大変なことであります。 私の同僚で、室田武さんという学者は、こういう言葉で表現したわけではないですけれども、「原発は安くつくと言われているけれども、使用済み燃料や廃炉のコストを考えたら通常のものよりはるかに高くつく」と、1980年代の初めから、ずーっと警鐘を鳴らしておられたのです。 今になってみると、30年も前に彼のいっていたことが、正しかったんだという認識を持つぐらい、大変なコストがかかると思います。 特に、プルトニウムなんですけど、これを民生再利用するのは、ほとんど道がないというか、限界なんだと思います。 そうすると、どうするのか。 すでに1・7万㌧もあり、一部は再処理で、一部は直接処理をしていかなきゃんらないと思いますが、その時誰がやるのか。 今、山口さんは、政府に任せる以外ないとおっしゃったが、それから、どこに立地をするのかも大問題です。 その時のコストはもちろん担い手と関係あるのかもわかりませんけども、実際に処理をする人とコストを負担する人の位置づけをきちんと検討してみなければなりません。 私は、個人的には、一企業ではダメだと思います。 不可能な価格と思いますけれども、一度は、コストを算定してみなければいけないだろうなと。
それで、これは齊藤先生のお調べになったものをそのまま載せた東電の資産と負債、2012年度末のデータですけれども、資産15兆円と書いてあります。 これが、東電が補償できる限度です。 でも、恐らく、(補償は)これではきかないです。 いろいろ、これからも出てくるでしょうが、例えば、前回のAGORAの研究会で重要な指摘がありまして、海洋汚染の問題で、海洋汚染そのものは海で薄められ大丈夫だろうが、大型の回遊魚の中に蓄積され、海外で泳ぎまわって各地で被害が出て、賠償問題が起こってくるのではないか。 現に、ブリティッシュペトロリアムがメキシコ湾を汚染した時、莫大な補償を要求された―という報告がありました。 そういうことで、これから出てくるだろう補償のことを考えると、とてもじゃないが、15兆円なんて額では、にっちもさっちもいかないと思います。 従って、東電が潰れるか潰れないかは別にして、齊藤、山口ラインの議論では、会社更生法ということになっていますけれども、さあどうするのか。 この額を覚えておいてください。 とにかく15兆円が限度なんです。 あとは、他でしなくちゃならない。
私の個人的印象を申し上げると、事故の後、東電はすぐ潰れると思いました。 なぜそんなことを思ったかというと、いろんな費用は別にして、汚染した地域がどんどん広がる。 東京まではいかないとしても、人の住めない、事業ができない土地が広がってしまったら、それを東電は買い上げる以外ないわけです。 あの周辺の土地だけでも、買うことは不可能で、ああ、東電は潰れるなと勝手に思いました。 それが不思議なことに、危険なエリアも小さくなって、何とか東電も潰れずにあるわけですね。
さて、これは資金調達で、齊藤先生のスライドそのままですけれども、特に、13年3月末以降、これあの10月末に借り換えがきて、12月にまた借り換えがくるという、大銀行から小さな銀行に至るまで総動員して横並びで貸していますが、これ、銀行の言葉で言うと明らかに不良債権でありまして、これはもう、破綻懸念先という次元ではなくて、こんなものほんとに実質破綻先ですよね。 完全にそこのレベルにはいっている。 にもかかわらず、政府の後押しで金を貸し続けているわけです。 そういう意味じゃあ、金を貸している方もずいぶん無責任と思いますけれども、これをどうするのか。 とりあえず、10月の分は済んだと。 政府が再稼働を認可することによって、利益手段を確保して、金を返せるからという趣旨で、銀行のシンジケートは認めたという経緯が10月末にあるわけですが、これがまた12月に来る。 また来年も借り換えということになるんですが、アメリカの政府が財政赤字のファイナンスで大揺れに揺れたようなことが、東電にも連続してやってくるんだと思われたらいいと思います。 その融資が止まったら、もうすぐに倒産ですから。 まさにそういう状況に、今、東電はあるのではないかと思います。
最後に、これ私の私見ですけれども、電力産業というのは、民による公益事業という性格を持っていますわね。 かつてですと、国鉄は、政府が公益事業としてやっていた。 ところが、電力に関していえば、公益事業を民間の電力会社がやっていた。 沖縄も入れると10社あって、地域を一社が独占している。 同時に発送電一貫体制、もう少し正確にいうと発電と送電、配電ですね。 戦争中と最近の自由化で一部発送電が変わってきたが、基本的にこれで行われてきた。 どうも、私はこのやり方がまずいんだろうと思います。
で、実は、歴史を見てるとすごく面白いんですが、結構、9電力体制になっていても、高度成長の時期、具体的には、石油ショックの頃までは、結構競争していたんです。 電気の料金を物価と比べてみると、相対的には電気料金が下がってきているのですね。 原発もなかったこともありますが、さしたる事故があるわけでもなく、電気事業はエネルギーの供給としては、今と比べるとわりとうまくいっているんです。 ところが、どうも70年代になってから、今や、東電はお役所みたいだとやゆされていますが、どうも政府との関係が不明朗で、同時に能率がすごく悪くなった。 これが、とどのつまりがああいう事故が起こってしまって、その処置もうまくできなかったということにつながっているような気がいたします。
面白いのは、地域独占なので料金は認可制になるわけなんですが、そのやり方は、70年台のオイルショックごろまでは、各電力会社がばらばらで申請しているんです。 ところが、70年代半ばごろから、9電力が一致、足並みを揃えて対応するようになった。 しかも、政府と一体になってこういうことをやり始めて、それから、どんどんどんどん状況が悪くなっていったと思います。 なぜそうなったか、その理由はいろいろあるでしょうが、一つは原発が大きな原因であったと思います。 原発は、1社では対応できない問題を持ち込むわけです。 立地がそうですし、各地で起こる反対運動にどう対応するか、原料をどうするかなど、1社では対応できないような発電体制というのが原発だったのではないか。 そこに政府が絡んできて、今のような、政府と電力会社の癒着関係、原子力村という独特の論理で動くものが生まれてきたのではないかと思います。 私は、個人的には、今の経産省と電力会社の関係を1回、整理しなおしてみて、新しい方法を考えていかなきゃいけないんじゃないかと思います。
それから、もうひとつはコストのことです。 原発は、賠償も含め運営も含めて、あまりにも負担が大きすぎる。 通常の、資金の貸し借りからいったら、そんな危険なところに資金を貸す人はないと思うので、破綻するのは目に見えている。 そうすると、プライベートの電力会社から、原発だけは、徹底的に切り離す以外ないんじゃないかと思います。 これは、廃炉の問題だけでなくて、使用済み燃料のことを切り離さなければいけないと齊藤先生はおっしゃっていたようですが、私は、そうじゃなくて、原発は全部外す以外に手はないんじゃないか、その上で、発送電を分離して、競争体制にもう一回戻してくるというのが大切なのではないかと思うんです。
結局、論点整理しかできませんでした。 さてこれをどうするかということを、実は、斉藤先生にお伺いしたかったわけです。 またの機会に実現できればと思います。
長谷川
ありがとうございました。 山口さんと篠原さんに、技術編、経済編に分けてスピーチしていただきました。 お話の中で、原発のリスクと私たちはどう向き合っていけばいいのか、そうして、国と東電の関係、あるいは東電そのものをどうしていったらいいのか、ということについていくつか問題提起もありました。 では、今から、5人のディスカッサント、それに会場の方も含め、ご議論をしていただきたいと思います。
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