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ディスカッサント
武庫川女子大学名誉教授
高田 公理さん
京都大学大学院理学研究科教授
山口 栄一さん
モデレーター
写真家
荻野 NAO之さん
荻野 NAO之 (写真家)
普段ですと、私はモデレートに徹するところなんですが、きょうは、ディスカッサントが高田さんと山口さんのお二人ということなので、私も、若干質問を出しつつ、ディスカッションに加わるということで始めたいと思います。 私も、前にもこの席で話ししましたけれども、過去メキシコという国に10年ほど住んでおりまして、マヤ文明とかアステカ文明というものを身近に見て暮らしておりました。 その中で、私の写真家としてのテーマは、三つあって、ひとつは、「モンゴロイド文化圏の暮らし」。 まさにさっきの地図の波線の部分のところですね。 それが一つのテーマ。 二つ目は「妹の力」といって、柳田国男という人も取り上げている女性の勘が鋭いとか母性とか、つまりシャーマニズム的な力っていうものもテーマにしております。 そして三つめは、「間(はざま)」っていうことなんですけど、1でも2でもないところをどうやって見ようかなと思って「はざま」ということをテーマにしているんです。 まあ、ここのところ、この三つを活動のテーマにしております。
それで、私からの質問なんですけど、西洋文明から東洋文明への転換の時だというお話がありました。 それで、過去の東洋と西洋の文明の変遷を見てきた時に、その周期的なものがみえるとおっしゃっている方もいて、その周期は、800年とか1600年だとか、まあ、そんな周期があるにせよないにせよ、おそらく過去、西洋の文明と東洋の文明といえるようなものが反転した、転換した時というのは、これ、今ばかりではなく、以前にもあったんだろうと思うんです。 それで、過去そういうことがあったとすると、それは何がきっかけでどういうふうに起こったのか、ということです。 これご存知の方があれば、それをヒントにして現代のわれわれの時代の転換ということを見据えられたらいいなと思います。 山口さんからいかがでしょう。
山口 栄一 (京都大学大学院思修館教授)
安田さんのスピーチは、日本人のルーツを含めて私にさまざまなインスピレーションを与えてくれました。 ありがとうございました。 どうやらアフリカで生まれた人類は、数万年前にアフリカを出て、中央アジアぐらいに滞留し、それからヨーロッパに行った人々とアジアに行った人々に分かれた。 このアジアに渡った人々がついに長江にたどり着いて文明を育んでいったということなのですね。 そこでぜひとも5つ質問させてください。
素人の私が勝手に夢想することは、その人々がさらにそこからどのようにして拡散して行ったかということです。 この環太平洋文明圏がどういう風にして広がっていったのか。 ちょうど1万年前ぐらいだと思うんですけど、環太平洋文明圏を創った源は、長江文明の人々なのでしょうか。 それが1つ目の質問です。
2つ目の質問は、マダガスカルの人々のルーツです。 私は、若いころからずっと不思議でした。 彼らは、明らかにインドネシア人の顔をしています。 きっとルーツは、東南アジアの人たちだと思います。 だから、私の夢想は、1万年前ぐらいに東南アジアの辺りに強大な文明があって、彼らは海に乗り出すぐらいの冒険野郎。 そして冒険のはてに、頑張ってインド洋をはるか渡ってマダガスカルにたどり着いて、そこに、自分たちの終の棲家を見つけたのではないかと思っているのです。 もしかしたらその源は長江文明なのでしょうか。
それから、3つ目の質問です。 これも、私の勝手な夢想なんですけど、長江とかクメールの冒険野郎たちは、ポリネシアの島を渡りながら東へ東へと行くわけですよね。 たぶん最終的には南米にたどり着いたと思うんです。 南米には、もともと、ベーリング海峡を歩いて渡って北米を通り抜けてきたアメリカ先住民たちも行きついていて、そこで両者の混交が行われたのではないか。 南米の先住民が北米先住民とは顔が違うのは、そのせいではないか。 このことを専門家の見地から教えていただけないでしょうか。
それから4つ目の質問です。 長江文明の人々は「山の民」だと伺いました。 もしも彼らが、海に乗り出すような冒険野郎だとすると、なぜ山の民が、「海の民」になったのか。 それから、オーストラリアにいる先住民だけが異質ですよね。 彼らはネグロイドです。 何であそこにネグロイドがいるんだろう。
最後の質問です。 間違いなく日本人のルーツって、この長江とかクメールとかの海の民の冒険野郎たちだと思うんですね。 そこで、縄文文明が花開いた。 明らかに、あの模様はそういうことを物語っていると思います。 まとめると、マダガスカル、日本、南米のルーツは、この長江文明、そしてクメールの民なのではないか。 専門的な観点からこの夢想を正していただけるとありがたいです。
安田 喜徳 (立命館大学環太平洋文明研究センター長/ふじのくに地球環境史ミュージアム館長)
まず、荻野さんの質問。 文明に周期というものがあるかどうかはわからないが、文明が転換するきっかけは何か、どう起こるかっていうことだったと思いますが、文明の転換は周期で起こるわけではないんです。 東洋が西洋、その反対にシフトするというのは、これまでにも何回も起こったんだけど、それは、その時に必ず、大きな危機があるわけです。 危機がなかったら、人間というのは、新しいライフスタイルを採ろうとしないんです。 だから、今、われわれが採っているようなライフスタイルは、欧米人が作った。 これ、どうして受け入れたかというと、明治維新とそれから特に第二次世界大戦の敗戦という危機があった。 だから、一途に受け入れたのです。
これから、西洋の人たちが、東洋の英知に学ぶっていって、京都は、観光客が、バーッと増えているのでもわかると思いますが、その価値はわかってきた。 しかし、それを、彼らのライフスタイルに採り入れるれるかというと、そう簡単じゃない。 だって、スペイン人やポルトガル人が南米に行って、メキシコを支配した。 その時だって、やっぱり何百万人っていう人間がヨーロッパでは死んだんでしょう、疫病や結核で。 危機なんですよ。 そいう危機の時代を経て、次は、東洋の時代が来る。 これは間違いないと思うんだけど、その前に危機を経ないといけない。 だから、今のようなライフスタイルを持続しようと思う意思が強くある限りは、なかなか新しい時代は来ない。 それを変えるものは何かというと、それは地球環境の問題。 環境の変動。 これが大きい。
今までの文明の歴史を見ているとね、Aという文明からBという文明に、流れとして変わる時は、危機の時代。 それは、人間ってのは、やっぱりね、自分の 今の安寧したライフスタイルに固執するんです。 COP21でもですね、地球の平均気温の上昇を2℃以下に抑えなければと言いながら、やはり、今のライフスタイルを維持したいんです。 こりゃ、人間の性なんですよ。 だから、それがガラッと変わって、東洋的な世界観、生きとし生けるものと共に、この地球で千年も万年も暮らしていけるような、そういうライフスタイルをね、それを採るには、危機感がなければ絶対できない。 今のように、安寧が続いている限り、人は絶対動かない。 口では言ってるよ、ぼくもいろいろ言ってるが、あんたどうだと言われても、危機の時代が来ないと絶対できない。 辛いですよ。
荻野
その時に何かこう、ヒントみたいなものはありますか。 東洋文明の人たちができること。
安田
ジャック・アタリって人がいるじゃない、フランスで。 ぼくはいっぱい本を書いてるけど、ジャック・アタリほど売れないんですよ。 、彼が何を言うてるかというと、人類が最終的に平和な時代に目覚めるためには、今まででは想像もつかないような戦争を体験しなければならない、と書いているわけです。 それは、核戦争です。 それで多くの人が死ぬでしょう。 多くの人が死んで、やっと、東洋的な生きとし生けるものと共に暮らすその価値観-平和になり、他者の幸せを考えながら、利他の心、慈悲の心をもって生きる、そういうライフスタイルに目覚めると、いうふうにジャック・アタリは書いている。 その本が何百万部も出ている。 ぼくも、東洋的なものが大事だと書いてるけど、ちっともぼくのは、売れないなあ。
荻野
危機が来れば売れますよ。
安田
確かに…。 100年後、200年後、少なくとも50年後には、そういう危機が来るだろうと思っています。 2030年ぐらいからおかしくなるんじゃないか。 もうぼくらは死んでますけどね。 でもね、最澄さんっているでしょう、天台宗の。 やっと大乗戒壇院設立も認められ、最澄さんが正しいと奈良の仏教徒が認めたのは、死んでからですよ。 生きてる間は、全くもって評価されなかった。 梅原さんさえもね、最初は空海だった。 ぼくがいくら「最澄は、偉いですよ」といっても、「あれはちょっと変わっとるからなあ」といっていた。 まあ、最近は、ずいぶん価値を認められていて、その「山川草木悉皆成仏」とよく言っておられますからね。 その国土悉皆成仏の「天台本覚論」の生きとし生けるものと共に生きるという、その価値をちゃんととわかるのは日本人ですよ。 その日本の精神に、多くの人が跪くんじゃないかとぼくは思うんだけど…。
だって、あの大英帝国、イギリスは、中国マネーの前に跪いた。 そのヨーロッパの代表的な英国を跪かせた中国人は、何の前に跪くか。 それは日本の精神に跪くと、ぼくは思っている。 でも、ぼくもそうだけど、みなさんは、物質エネルギー文明の中にいるから、物質エネルギー文明なしには一時たりとも暮らせないと思うんだ。 だから危機が来ないと、なかなか、今の安寧を得ている物質エネルギーに依存する暮らしを捨てられないと、ぼくは思う。
荻野
山口先生の質問に対してはどうですか。
安田
そうですね、長江文明からあらゆるものが派生したというのは当たりです。 日本の縄文も評価せないかんよ。 縄文はね、1万6500年前に土器を作った。 それで、ぼくも間違えていたけど、文化のルーツは南からきたといわれていた。 ところがですね、最古の土器はどこから見つかったかというと津軽半島の先端です。 さらに最近、最古の土器が北海道の十勝平野で見つかっている。 だから、縄文文化は北からと南から、両方から波が来ている。 しかも大事なことは、1万6500年前の土器の厚さは、わずか5ミリ以下です。 こんな薄い土器を作っている。 これ、エジプトでは、7000年前の土器の厚さが1センチもある。 このことは、こないだネイチャーの論文で紹介されたんですけど、土器のルーツは日本で、アンデスの方にも余りにも似た土器がいっぱいあるんですが、日本から、土器の分布は世界中に広がって行った。 これ、日本はすごいですよ。 これは欧米人も認めていることです。
それから、長江の人たちが海に乗り出して行った話ですが、これ、わかっていまして、まず、台湾に行った。 それから、メラネシア、ポリネシア。 それで、ぼくは、「南の道」があると思うんですよ。 モンゴロイドって、北の道ばかりでしょう。 イースター島に行ったのが5世紀ごろと言われているんだけども、もっと前、旧石器時代に、彼らが南太平洋を通って、南米に至ったと思うんです。 これ、偶然なんですけど、アンデス文明の始まるのが4000年前なんです。 そして長江文明の崩壊が4000年前なんです。 だから、これは深い関係があると思うんです。 でも、そんなことは、日本の考古学者は誰も認めていない。
山口
マダガスカルはどうでしょう。
安田
それは、難しい。 どうかなあ、インド人ではないかなあ。
山口
それはきっと違うと思うのです。 彼らは、インドネシアとかカンボジアの顔をしています。 東南アジア人です。
高田 公理 (武庫川女子大学名誉教授)
山口
それはわかりませんね。 でも、アフリカとは全く文明が違う。
安田
東から行ったってことは、多分間違いないでしょうね。 ちょっと、そこまで調べられていない。 新大陸までは行ったけど、アフリカまで視野がない。
山口
オーストラリア、アボリジニはどうですか。
安田
これも、古いが、ちょっとそのルーツまではわかりません。 日本の旧石器時代人も多分、おそらく同じだと思うけど…。
高田
彼らは今なお、狩猟採集民としての相貌を持っているようですね。
山口
いずれにせよ、この巨大文明を作ったルーツは長江文明ということですね。
安田
そう、それはそう。 だから、長江文明、日本の縄文、これは評価しないといけない。 こないだ,NHKで縄文の特集がありましたけど、縄文って、1万3000年続いているわけでしょう。 この持続性の中に価値を見出さなきゃなんないって言ってるんだけど、日本の考古学者は、絶対そういうことは言ってはならない。 テレビにぼくは出なかったけど、でも、ぼくのこの説が言われていた。 だんだん、理解されてきているということだと思っていますけど。
高田
めちゃくちゃ面白く聞かせてもらいました。 その話の最後に危機の話が出ました。 具体的には、まず戦争の危機なんでしょう。 が、今ひとつ、病気とそれをめぐる医療の危機というのもありそうです。 つまり、19世紀の半ばにおける病原菌の発見を契機に、新しい化学薬品の開発が本格化します。 病原菌をたたくサルファ剤からペニシリンに始まる抗生物質の発見を経て、実に多種類の化学薬品の開発が進んできました。 ところが、いよいよそれが限界に来たのか、化学薬品の副作用に悩む人が増えています。 そんな時代に、とくにアメリカで「医療大麻」が大きなトレンドになってきました。 いうまでもなく、主役は大麻、つまりマリファナです。 それが「万病の薬」だという評価が着実に拡大、定着しつつあります。 こうした動きにどんな意味があるのでしょうか。
まずは大麻が「万病の薬」だと見なされる理由です。 それは、大麻が「ストレス解消」に役立つからです。 たしかに、病原菌が原因の病気には、抗生物質が著効を示します。 が、現代の病気の多くは、不適切な生活習慣に起因しています。 そのなかで主たるものは多様なストレスにほかならない。 ならば、それを解消してくれる大麻が「万病の薬」のような役割を果たしても不思議はありません。 で、それを吸煙したり、ジュースにして飲んだり、ということが始まっているわけです。
つまり、戦争と共に医療の危機といった問題を考える必要がある。 そのことを、大麻に対する評価の変化が意味しているように思います。 西洋近代が作り出し、普及させた多種多様かつ大量の化学薬品が、その効用を超えて害毒を流し始めている結果だと考えてもいいかもしれません。
安田
どういうふうに危機があるんでしょうか。 ぼくはちょっとイメージできない。 西欧文明が行き詰ったとか、西洋文明の没落とか言ってるけど、本当にそうかな。 例えば医療の場合、何を契機として西洋の危機なのか。 今はアメリカの医療が最先端ですよね。
高田
医療からは少し離れますが、例えばアメリカに、モンサントなどという化け物みたいな多国籍バイオ化学メーカーがあります。 遺伝子組み換え作物の種子や農薬などを世界に売りまくっている会社です。 こういう会社が撒き散らす化学薬品の弊害が、人間の生活を根底から破壊する可能性は小さなものではなさそうです。 あとで少し、議論の対象にできれば、と思います。
さて、この話題からは少しずれるのですが、今夜の安田さんのお話、というか、最後に示された図は、梅棹忠夫がユーラシア大陸を対象に論じた「文明の生態史観」を、ユーラシア大陸と南北アメリカ、さらには太平洋諸島にまで敷衍した議論であるように思われるのですが、いかがでしょうか。 そうした思い込みの上に、安田さんが列挙された長江はじめ縄文やマヤなどの文明の性質を考えてみると、それらが育まれた場所の緯度は異なりますが、みな森林地帯に発生したものですね。
他方、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の、いわゆる四大文明は、すべて北緯35度の線上に芽吹きました。 で、この緯度上で地球を一周すると、どこもかしこも乾燥地帯、つまりは砂漠です。 ただ2か所、例外があります。 日本列島とはアメリカのミシシッピー川流域です。 ここには豊かな緑が残されています。 当然、縄文文明は森林に育まれた文明だったわけです。
ところで中国大陸に目を移して、麦の文明を生み出した黄河流域と米の文明を生み出した長江流域の医学を比較してみる。 すると、寒くて乾燥地帯に属する前者では服を着たまま治療ができる鍼灸、温暖で湿潤な森林地帯に属する後者では医薬の原料となる多種多様な植物素材が入手できるために湯液(漢方薬)の医学が発達しました。
こんな風に考えながら、安田さんの示された地図を眺めますと、そこには上記のようなエコロジカル・コンディション、つまり生態的な条件が巧みに投影されているように思われます。
ところで、三本足の八咫烏、ですか。 これもまた、ここでいう長江文明の系譜のなかで生み出されたのだと思います。 それは、こういうことです。 何か、よく分からないことに出会って、しかし選択に迫られたとき、欧米の文明はコインの裏表、つまりは「二者択一」の方法で決めがちです。 それに対して日本の場合、選択肢は「三すくみ」だと考えます。 「じゃんけん(石拳)」なら「グー」「チョキ」「パー」です。 「むしけん(虫拳)」なら「カエル(親指)」「ヘビ(人差指)」「ナメクジ(小指)」で勝敗、正否を決めます。 つまり、ヘビはカエルを食べてしまうけど、そのカエルはナメクジを食べてしまう。 そしてナメクジはヘビを脅かす。
これを江戸時代の社会にあてはめてみると、やっぱり「三すくみ」なんですね。 武士は政治権力を握っているけど、権威は天皇家や公家や学者世界にありました。 で、金力は商人が握っていたわけでしょ? このように「三種類の力」が「階層ごとに分有」されていた結果、危険な独裁が起こらなかった。 その線上で現代日本に目を転じると、非常に困った、というか危険な状態が現出しているように思われます。
そこで再び「二者択一」の欧米に目を転じる。 すると、こうした「力の分有」が行なわれにくい。 それに比べて森林で生まれた日本の文明は三すくみの構造を内にはらんでいるわけです。 こうしてみると安田さんの話に出てきた「三本足の烏=八咫烏」の挿話には豊かな含蓄があるなあ、と思わされます。
ところで稲作漁撈民は、豊かな水がないと生活できません。 田んぼをはじめ、その水は川や湖につながっている。 だから身近なところで魚が捕れる。 ですから長江はじめ大陸の稲作地帯では淡水魚を重用しました。 で、それを塩漬けにしたのが魚醤です。
ただ、日本の場合は周りが海なんで、海の魚介を重用しました。 で、魚醤のかわりには大豆や小麦などを素材とする穀醤が発達した。 が、いずれにしろ身近な水を活用して、じつに見事な循環システムを構築したわけです。
こうした森林地帯では、身の周りに「ありがたいもの」が一杯あるわけで、それらを神とあがめる多神教の信仰が生まれました。 それに対して乾燥地帯では、ユダヤ、キリスト、イスラムといった一神教が発達します。
そこで不思議なのがキリスト教に帰依してしまったヨーロッパです。 ヨーロッパは森林地帯ですが本来、多神教だったはずなんです。 それが、なぜか一神教に蹂躙されてしまった。 もっとも、ヨーロッパのキリスト教は、一種の多神教だとも言えそうです。 いろんな「聖人」を創って、神やイエスに準じるものとして扱う。 こうしたことはイスラム教には絶対ありえません。 こうしてみるとヨーロッパは、砂漠地帯に適合する一神教に蹂躙されて、不幸なことになったんやな、という感じがします。 安田さんのお話を聞きながら、こんなことを考えた次第です。
安田
ヨーロッパは、かつては森の国で、多神教だったんです。 彼らは大木を崇拝するんです。 落葉のナラの木、オークを崇拝するという世界観を持っているんですが、ヤドリギってありますでしょう。 常緑で、年中青々しているもんだから、冬、落葉樹の多くが葉を落とした時でも、ヤドリギだけが青々しているもんですから、巨木の生命力が結集していると信じている。 それで、5月、春先でこれ一番食料の少ない時なんですけど、その時に、ドルイド僧というのが、真っ白な衣を着てオークの巨木によじ登ってヤドリギを取ってきて、みんなに配ったんです。 それを家に持って帰ると、病気にならなかったり、暮らしが豊かになるとみんな信じていた。 実は、それと同じようなことが日本の京都でも行われている。 「しるしの杉」というのがあって、2月の伏見大社の初午祭でもらえるんですよ。 これ杉の木ですが、もらって帰って家に置いておくといいことがある。
そのヨーロッパの古い風習も、ところが実は、キリスト教がワーッと入ってきた。 そして、迷信的な古い宗教を弾圧する。 ドルイド僧は殺されて、そして、キリスト教徒は、その聖地に教会を建てた。 だから、ヨーロッパの教会へ行ってみてくださいよ。 地下に行ったら、大木の根とか泉とかいっぱいありますよ。
荻野
話は、どんどん広がって、万年、千年前とか、すごい文明の話になっている。 でも、ここで、この先数十年とか、狭い話に持っていくのは恐縮なんですけど、ちょっと残り時間も迫ってきたので、きょうのテーマに若干戻ってみます。 「転換」ということですね。 それと、クオリアの今年のテーマが2030年の新たな価値や未来図を模索したいということでもありますので、それにつなげたご質問をしようと思います。
先ほど、安田さんが、文明の転換っていうのは環境の危機ということだろうというご指摘をされたのですが、それを前提にさせていただくと、では、そういう環境の中で、われわれの世代はどうやって生きていくのか。 例えば、先ほどから出ているモンゴロイドは、ネオテニー(幼態成熟)というのが特徴的で、あまり早く体が固まらないので、環境の変化に対応でき、生き延びてきたんじゃないか、という説もあります。 ネオテニーが正しいかどうかは別に、そういうようなことも材料になればと思うんですけど、現代のわれわれは、一体環境の変化に順応していけるのか、どうか。 会場からも、それについてのご意見をいただきながら、未来をどう目指すのかということを考えてみたいと思います。 会場から、何かございますか。
三木 俊和 (大阪経済大学大学院)
11月23日が何の日やという話がありましたが、そういえば、24日は安田先生の誕生日だったですね。 それは、それで、実は、極東裁判が1946年1月に始まり、その年の4月29日に起訴されまして、48年の12月23日が絞首刑の執行日になります。 これ、実は、起訴と死刑執行日は、昭和天皇と今の天皇の誕生日なんです。 これ、(連合国)が、日本人に「覚えとけよ、わかってるな」と念押しをイメージして日を選んだと思います。 今、天皇は、アジアとかで、慰霊の旅にも出ておられます。 これらのことについて、安田先生は、どのような感想を持たれ、また、アジア文明圏との関係で、どう思われていますか。
安田
12月23日が、絞首刑の日とは知らなかったなあ。 うーん、それを意図的にやったのか…。 うーん。
堂免 恵 (応用物理学会 産学協働研究会運営委員長)
私も、日本が世界を救うと思っているので、きょうのお話はとても面白かったんですけど、縄文文明のころにも、日本語ってあったんでしょうか。 7500年ぐらい前に、九州全体が絶滅したって話を聞いたことがあるんですけど、日本って、すごく災害の多い国じゃないですか。 その中で、文明の断絶とか起きなかったのか。 それと、縄文文明のころには日本語が既にできていて、いつごろから話されていたのか興味を持っているんですけど、いかがでしょう。
安田
縄文人っていうのは、野蛮でね、原始的な生活を送って、日本語のような言葉も発してなかっただろうというのが長い間の考古学会の考えだったんですよ。 でもね、これがねえ、北海道の函館の近くに垣ノ島というところがある。 そこで、8000年から6000年前、縄文時代の前期から早期の遺跡から出てきた遺物がある。 それは、子どもの足型なんです。 何と、ちゃんと両足がそろっている。 パッと見た瞬間、生まれたばかりの子どもの足型だなと思った。 実は、ぼくも孫が生まれたばっかりなので、その足型をとろうと思った。 でも、生きてる子どもは、動き回って、とても両足を揃えてはとれないわけですよ。
その足型には穴が開いていて、壁掛けにしたりペンダントにしたりできるようになっている。 で、それがどこから出てきたか。 何と、すべて大人の墓から出てきた。 昔は、死産が多かった。 大きく成長することがないような子ども、死なせた子どもの形見として足型をとったんですね。 足型は、指が一番強く残っているわけですよ。 指が硬直しているわけですね。 足もちゃんと二つそろっている。 これ、死んだ子どもの足型でしかありえない。 多分母親は、自分が生きてる間は、大事に大事に持っていて、死んだ時、お墓に一緒に葬られるんです。
そんなすごいメンタリティーを、縄文人は既に6000~8000年前に確立していたんです。 そんな縄文人が「うおー」って、原始的な生活をしていたなんてことは、有り得ないんです。 日本の考古学者は、そんなふうにして縄文遺跡を見ていた。 だから、とんでもない間違いですよ。 それを、戦後70年間、その間違った論理をわっとわれわれに押し付けて、偉そうにも、「お前ら!」って言ってやってたのが、日本の考古学会だったんですよ。 それではあかんぞ、と。 縄文人のそれだけ高度な精神的な世界というのは、言葉がなければ絶対できませんから。 必ず話していますよ。
ところが、「文字がないじゃないか」と反論されます。 われわれは、文字にみんな影響されている。 文字があれば文明だと。 でも、われわれが大事にしたのは「言霊(ことだま)」なんです。 言霊の文明なんです。 人類の歴史には、文字を大事にするというのと言霊を大事にするという文明があるんです。 われわれアジアの人間は、みんな言霊を大事にしたのです。 ところが、西洋の文明の影響で、文字がなければ文明じゃないというわけで、ぼくも、長江文明の調査した時には、文字がないか文字がないか、と一生懸命探したよ。
ところが、文字というのは、エジプトでは、書記官がいて文字を大事にしていたでしょう。 それは、税金を搾取するために文字で記録したんです。 人が人を搾取する手段としての文字だったんです。
とにかく、文字がなかったら文明じゃないというのは、根本的におかしいですね。
山口
つくづく新しく謎として立ち現れてきたのは、「縄文人とは何か」ということです。 先の長江文明は明らかに稲作を発明しているわけですね。 稲作を発明したから、定住できて文明が生まれている。 ところが縄文人は、農耕を発明できてないですから、どんぐりなどの採集をして、それで、1万年も生き抜いた。
長江文明を起こした人たちは、どんな顔をしていたか興味深いです。 多分、インドネシア人みたいな顔をしていたでしょうね、中国人ではなく。 しかしその人たちが、元来の縄文人ではなさそうだ。 稲作を持ち込んでいないから。
多分、縄文人たちというのは、まったく別のルートから入ってきて、別の文明を作ったんだなあと思っているんですけど、どうでしょうか。 縄文人のルーツとは何か、もう少し詳しく聞きたいです。
安田
これは、難しいね。 ぼくは、さっきも言ったように、これまでは南からのルートばかりだったけど、北からの影響というのも考えなければいけない、ということですね。
山口
もう一つ、長江文明のルーツって知りたいんですね。
安田
長江文明で、ひとつはっきり言えるのは、「森の民」です。
山口
アフリカから旅をしてきた人類は、どっちを通ったんだろう。 ヒマラヤの南側を通って長江に行きついたんですか。 北側を通ったんですか。 北側は砂漠ですよね。
安田
砂漠は通らないと思う。 南を通ってやって来たと思う。
山口
そうすると、黄河文明を作った人間とは全然違う。
安田
そう。 長頭と短頭というのがありますね。 長頭の人間というのは、北の草原地帯、短頭の人間は南の森の中です。 この短頭の人たちが稲作を始めた。 土器を作って。 だから、短頭の人間は、体は小さいけども頭がいいわけです。 長頭の人間は、でかい体をして草原を駆け抜ける。 彼らは、やってることが、やっぱり野蛮で粗野だと思いますよ。
だから、マヤやアンデスがやられたわけです。 スペイン人とかポルトガル人が侵略したんですが、「ブタ飼い」が行ったわけでしょう。 ブタを飼っていた人で社会からはじき出されたような人間が新大陸に行って…。 ところが、新大陸というのはアメリカインディアンとか徳を大事にして人間的にも素晴らしい人間、そういう争わない人間がいたんです。 それを鉄砲で銃撃していったわけですよね。
高田
日本でも争いごとは発生します。 で、ときに相手を殲滅してしまうといったことも起こりる。 でも、そういう場合には、殲滅した側が、殲滅された側の人を神として崇める神社を建てて、祟りを封じ込めようと考えました。 その典型が菅原道真です。 彼は京都の当時の権力から疎外されて九州に追いやられ、それで死んでしまう。 そんな人物の死霊に恨まれたらたまらない、というので立ち上げたのが天満宮です。 ただし、近世になると、こうした考え方が変化したのか。 たとえば徳川家康は自ら神になって日光東照宮に祀られました。
でも、本来は殲滅された側が神としてあがめられるというのが本来の姿なんです。 こんなふうな対応は、世界広しといえども、日本だけなんじゃないですかねえ。 あ、ついで言っておきますと、靖国神社はこのルールを無視しています。 その元の形は東京招魂社ですが、ここには、たとえば明治初期、官軍に殲滅された西郷隆盛は祀られていません。 という意味で、日本の神道にもとるというほかありません。
安田
いいですよ。 それを、どんどん広めてくださいよ。 子どもの足の親は、これを墓までもっていったんです。 子どもの命に対するものすごい愛情が感じられますね。 6000年前、今よりはるかにすばらしい英知を持っていたんです。 よく、縄文人を野蛮で原始的だなんて言うと思いますよ。
山口
縄文の縄目というのは何を意味してるんですか。
安田
いろいろな考えがありますが、ぼくはしめ縄の始まりと考えております。
荻野
安田さん、環境考古学というお立場で研究をされているわけですけど、過去の人たちはどのようにして。 環境の変化に対応してきたんでしょう。
安田
実は、天というのはね、不思議でね、一生懸命考えたら報いてくれるんですよ。 応えてくれないというのは、一生懸命さが足りないんです。
それで、過去の年代順を決めるのは、一般的に放射性炭素同位体=Ⅽ14年代測定法というのがあるんです。 が、これ、計算で出すから、いくら頑張っても±20年。 これは、合わせると40年の誤差がつくということです。 この誤差がついたら人間の一生の時代の一区切りです。
ところが、それをアウフヘーベンするものを見つけるチャンスを、ぼくに、テーマとして天が与えてくれた。 それが「年縞」。
ぼくが年縞と名付けたこの写真の縞々。 秋田県の一ノ目潟なんですけど、ここでボーリングしています。 この湖の底に縞々がずっと続いています。 これは何かというと、木の年輪と同じなんです。 一年一年の変動がこの縞々一つでわかる。 これが今、年代測定の世界標準になった。
ぼくは、1993年にこの年縞というものを見つけたんです。 それで、見つけてから、世界の会議でも一生懸命話し、「サイエンス」に論文書いたりしたけど、ヨーロッパ文明は、決して年縞の存在というのを認めようとしない。 今、われわれは太陽暦の中で生きてるじゃないですか。 でも、江戸時代は太陰暦ですね。 で、西洋文明に支配された時に、ガラッと太陽暦に変えたわけですよ。 つまり、どういうことかというと、欧米文明は、「文明を支配するものは、時間を支配する」と考えた。 時を支配するものが文明の支配者と考えた。 だから、歴史年代の標準をアジア人が決めるなんて、とんでもないというわけでしょう。
この年縞は、上から数えていって縞の100本目は100年前に限りなく近い、1000本目は1000年前に限りなく近いわけです。 1万本目だったら1万年前に限りなく近い。 だから、1万年前のところを採ってですね、そのころの1年1年の気候変動や環境の変動を理解できるようになってきた。
それで、われわれが何をしているかというと、これは、三つのボーリングのコアを比較してるんだけども、これはね、湖底のサンプルを1メートルずつ取っていくわけです。 するとその時、次の1メートルとの間に0・5センチ位の欠落ができるんです。 それで、ボーリングのとき近接したところで3カ所でやるわけです。 すると、対比が可能で、欠落のない連続した年縞がダーッと採れるわけです。 日本は、それが10万年以上連続しているんです。 で、それを回収して、過去の気候変動や植生変遷、環境変遷が年単位で復元できる。
これをぼくはずっと言ってきたんだ。 だけど、欧米人は、なかなかこれを認めなかった。 それを認めたのは、ぼくの弟子がイギリスのニューカッスル大学に行って教授になったからです。 そして、2012年にもう一度サイエンスに論文を出して、それで認められ記者発表したんです。 さっきも言ったように、ぼくは、1993年に年縞を見つけ、「気候変動を年単位で見ることができる」と言ったけど全然相手にしてくれなかった。 ところが、彼が英国の大学の教授になって初めて国際学会で発表したら、「すごい」ということになった。 そうして、水月湖の年縞を過去の時間軸の世界標準にしようということになったわけです。
1993年に、ぼくが年縞を見つけ、2013年に水月湖の年縞が過去の時間軸の世界標準と認められるまで、なんと20年ですよ。 日本人が分析したことをヨーロッパ人が認めるまで20年かかった。 彼らは、「現代の時」を渡すことは決してしない。 グリニッジが象徴です。 ことほど左様に、ぼくは、ヨーロッパ文明に代わる新しい文明を作ろうなんて言ってるけど、欧米文明をやっつけるのは並大抵のことじゃないんです。
で、ぼくは、こういう年縞というのを研究して、年縞は、地震の層でもあるわけです。 何やってるかというと、これは、秋田県の目潟の年縞なんだけども、これは1983年の地震層、これは91年の地震とか8枚の年縞があるわけですね。 これで、周期性があるのかとか一生懸命研究してるんです。 今のところ、周期性はないですね。 今まで、過去2万年の間に、196回のマグニチュード6以上の巨大地震があったということはわかるけれども、本当に周期性があるかと言ったら、必ずしも周期性はないですね。
高田
湖にしかないんですか。
安田
湖底にだけあるんです。 これ、全部、ぼくらが見つけたものですが、世界の中では、グアテマラのペテシュバトゥン湖、エジプトのカルーン湖、それに死海ですね。 日本の福井県にある水月湖、秋田の目潟。 これらの年縞を分析しています。 同じようなものは、グリーンランドとか南極で見つかっている、氷で。 冬できて夏溶けるでしょう氷は。 密度が違うので、同じような縞々模様があるんですよ。 これは、ヨーロッパ人がやります。 でも、グリーンランドや南極には人類は住んでいなかったんです。 そんな寒いところに文明は発展しない。 文明が発展したのは、熱帯とか亜熱帯、温帯の地域でしょう。 こういったところになると、年縞しかない。
高田
やはり四季がはっきりしているから、なんですか。 /p>
安田
いや、そうじゃない。 そう言ってしまったら、もう、ダメなの。 年縞を守るためには、森里海の命の水の循環を守ること、それがなかったら歴史を正確に記録した年縞は維持できない。 だから、森里海の命の水の循環を守ることが年縞を守ることです。 それは、われわれのご先祖が、ちゃんと森里海の命の水の循環というのを守ってくれた。 それが、この年縞を保存して、そこに、過去の人間の歴史、気候変動の歴史…を見ることができるんです。
高田
年縞は、文化遺産だと考えるべきですね。
安田
まさにおっしゃる通りです。 これから、この研究を通じて、いろいろ過去にあったことを明らかにしていきたいと思っているんです。
荻野
どうもありがとうございました。 時間が来たようです。
では、次のワールドカフェのテーマですが、西欧文明の限界というお話を引き続きテーマにしたらどうかと思います。 それと、きょうは企業の方もたくさんお見えになっておりますね。 企業は、やはり欧米文明に負う部分が大きいかと思います。 それで、「西洋文明からの転換」それに対して「日本の企業人はどう対応していくのか」というようなこともお話し願えればどうかと思います。
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