philosophy & message: 2009年3月アーカイブ
「おもしろおかしいこと」に熱中したり、「遊び」というと、日本人は悪徳みたいに考えます。我が社も「おもしろおかしく」を正式の社是にしたとき、からかわれたり馬鹿にされたり、また注目もされました。そして「そのような会社で働いてみたい」と言ってくれる人もいて、人を集める力は滅茶苦茶ありました。
キャッチフレーズとしてはいいのですが、でも私は非常に危険に感じるのは、「この会社に入れば、おもしろおかしく仕事をさせてくれるようなプログラムがあるのだろう」と、受動的に考える人がいることです。「おもしろおかしい」というのは、自らが持ってくるもので、自動的に「おもしろおかしい」道が拓けているわけではありません。
ただし、できる限り社員の希望ややりたい仕事ができるような仕組みなどは積極的に取り入れています。しかし会社に入った途端、そう簡単に「毎日おもしろおかしい」というわけにはいきません。
日本人の一つの固定観念で、「おもしろい」や「おかしい」というと、「いや、仕事というのはもっと神聖なもので、歯を食いしばってしかめっ面をしてするものだ」とおもしろおかしくするのは、「不遜だ」「チャラチャラしている」というようにとられがちです。だから、「歯を食いしばってやるような大変な仕事の時間は、短ければ短いほどよろしい」と、労働者のためだとして時短を進めます。
しかし、現実はそうではなくて、労働している人がいかに楽しく愉快に職場で働いているかどうかということの方が、私は遙かに大事だと思うのです。
私のその考え方は、自分自身の体験から生まれました。私は、嫌なことをするのが嫌いなのです。好きなことをするのが大好きなのです。だから、周りの人も仕事を面白くやって欲しいですし、面白くやらなかったら誰も進歩しないですし、嫌々やってはダメだ、と思っているからです。現在では、段々と日本も「仕事を面白くしなければ」という空気になってきていると思います。