philosophy & message: 2008年3月アーカイブ
初級の段階では、興味を持たせることと同時に、ベーシックなところは一通りのことは教えておかないといけません。学ぶべき時に学ばないことは、一生コンプレックスになってしまいます。何らかの形で知識が入っていれば、引き出しから取り出しやすくなります。しかし全く未経験のところは、引き出しようがないのです。
これは、登山も一緒。それぞれのピークに0合目からリュックサックを背負って登っていこうとすると、3合目辺りで一息ついて、5合目当たりで高山病になって、共通の台場まですらいけないままエネルギーを使い果たしてしまうことが多いのです。やはり平均的な6?7合目までは登っておかないと、ピークまで登り詰めることは不可能です。
実際、ニュートンの力学もアインシュタインの相対性原理も、それぞれ全く違う発想から出たとはいえ、共通する数学の分野の上に立っているのです。一人の人間がゼロの発見から数学をもういっぺん始めて、相対性原理まで作り上げるということは不可能です。
そこに、今の大学の教育などには思い違いがあると思います。「専門家をつくるのだから、余分なことは要らない」といいますが、本当にそういえるでしょうか。
加えて、その人の人間としての倫理観、道徳観などが必要です。それから歴史の問題も、地理の問題もある程度知っているということも必要でしょう。
そうなると、その人が何をどのように学んできたのかということが重要になります。放課後は塾に直行するのではなく、みんなでワーワー遊んで、喧嘩もする。そしてどのくらいの力でなぐったら相手にどの程度のダメージを与えるかを、そして自分がなぐられたらどのくらい痛いかを心と体で学んでいく。これらも、ノウハウです。
見方を変えれば、まさにこれが人間のコミュニケーションの基本なのです。よく「スキル」といいますが、そのスキルは全て自分で持つわけではありません。みんなからかわいがられるとか、頼られるようになれば、必要な情報の半分は他人が持ってきてくれるようになります。いわゆる、人徳のようなものです。
人間生きていく上で、そういう能力を付けていくことも大事ではないでしょうか。