2008年11月アーカイブ
私はよく「いやならやめろ!」というのですが、それは学校教育が嫌だから教育をやめろ、というものではなくて、妥協しながら卒業しようという考えはいけませんよ、ということです。自分のフィロソフィーに忠実になって、自分の納得する道を歩みなさいということであって、日本の国が嫌だから日本人をやめるとか、教育が嫌だから教育をやめるとか、親が子どもの世話が嫌だから育児を放棄するとか、そういう問題ではありません。自分のフィロソフィーを確立させることによって、それに忠実に生きなさい、ということを言いたいのです。
不登校や引きこもりが問題になっていますが、例えば今の教育は特定の学校があり、そこに毎日、決して自分が選んだわけでもない先生の授業を受けて、そういう学校には行きたくないだろう、といっているのです。「そんなもの、いやならやめろ」とね。
その代わり、それに変わるべきものとして、自分が好きなときに好きなものを勉強する。しかしやがて社会人として食べていかなければいけませんから、自分の好きなものでそのために必要なものを身につけて、それが正当に評価を得られれば、その人はそれなりの職業を選べることになります。
そこを「何とか卒業だけはしてくれ」といっても、問題は解決しません。