「ティーチング」のプロとは?
会社は決まったスケジュールで動いていますから、人はジェネラリストの方がいいんです。何でもソツなくこなせる方が良いのです。そして、会社ではそういった人がどんどん偉くなっていくのです。そして「これは100点だけど、これは0点」という人が会社にいると、困るわけです。そしてジェネラリストがいかに沢山いるかということが、その企業のエネルギーみたいなものでした。今までは。
しかし、今は違います。
私は、教育というのは完全なフィードバックシステムがなければ絶対にいけないと思うのです。つまり、こういう方法で教育した人間が社会へ出て、これは非常に良いという面については、元の教育現場へ戻ってそれを助長するようにする。一方こういう方法をやって悪いというのは、元に戻ってそれを補正していく。
そのようなシステムと能力のある人がいて、完全なフィードバックサーキットがある上で教育がされていたらいいんですが、今まではそのフィードバックが全然ないわけです。
偏差値主義で教育をしていって、一流大学へ入れて、いい会社に入ったり高級官僚になったらもうこれで良いだろうと、ここで生じている色んな問題を彼らを育てた教育現場に戻していません。
フィードバックは、早ければ早いほど、そしてその帰還率が高ければ高いほど、出来上がったものは現実に即したものがでます。そして遅ければ遅いほど、帰還率が低ければ低いほど、出来上がったものはマーケットに対して機能しません。でも教育はフィードバックが遅いどころか断ち切られていたわけです。そして可哀想なのは、出来上がった人間。出来上がった頃には「いらん」と言われるんですから。まさに、不良在庫を作っているわけです。
フィードバックの際の大本は何かというと、持って生まれた人間の「資質」です。教育というのは、ある程度能力を大きくすることはできるけれど、基本的な資質というのは、生まれたときには既に備わっているのです。資質は能力ではありません。誰もが持っている個性のようなものです。だから生まれながらに好きなものと嫌いなものってあるんです。
例えば、音感とか味覚とか聴覚とか視力なんていうものは、ある程度決まっています。音感の弱い人は努力しても音痴のままですし、どんなに目のトレーニングをしても、アフリカにいるような視力4.0の人にはかないません。ですから、人間の資質とはそういうものだということを前提にしないと始まらないのです。
全く資質のつがう人に同じ味付けをし、同じような完成品にしようとするのが今の教育でしょう。決まった答えの出し方を教えて、差を付ける。そしてそこからはみ出た人は、はみ出たままで大人になるのです。
備わった資質を生かして、好きなことをさせてあげるということが、子どもの幸せに繋がると思うのです。そしてそれを見つけてやるのが、初等教育です。その子の最も得意とするところを伸ばすにはどうしたらいいかを導いてやれるのが、ティーチングのプロなんです。
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