2008年5月アーカイブ
企業の本来の役割とはなんでしょうか。様々にありますが、その一つに一定の教育を受けてきた人材に、その能力に応じた具体的な行動を起こさせて、付加価値を生むシステムです。
ところが、今の学校や家庭、あるいは社会でそれまで受けてきた教育を現在の企業サイドから見るとね様々な欠陥があります。本来の教育がされておらず使い物にならないので、仕方なく、企業の中で教育をしなければならないのです。あいさつの仕方まで、会社で教えている状況です。
大学教育のレベルも疑いたくなる事態があります。大学院のレベルの低下です。
最近は、ドクター過剰という問題が起こっています。文部科学省が予算を付けて、多くの大学でマスター、ドクターコースができています。その一方で、ドクターの就職難が生じています。会社にも「ドクターを採れ」とうるさく言われます。しかし、学部卒生に比べて5年間も勉強ばかりしているはずなのに、とにかく能力がない。論文を読む速度も遅い。
では、なぜそうなってしまうのか。かつてであれば、自分が研究を深めたいテーマを持って、それを指導してくれる先生の教室に行きました。ところが今は「修飾するのも気が進まないな」とマスターへ行き、「このまま修飾しても今ひとつだな。あと3年」とドクターへ行く。そしてその間も、先生から与えられたテーマの研究を進める。これは、会社の食堂で「今日はカレーだ」と、食べたくもないのに仕方なく出されたから食べる、というようなものでしかありません。さらに、自分が書いた論文が、その論文がその分野の研究のポジションや果たした役割などを理解していないケースもあります。
特別な学者で特別な研究をして、ノーベル賞級の研究をする人もいます。しかし、日本の国力を維持し、発展させるための専門教育、高等教育について大学だけに任せて、もし、企業が真剣に教育していなかったら、日本のレベル、国力はすごく落ちていると思います。
これまで、人間が仕事をする年代は、だいたい20歳から60歳くらいまででした。しかしこれからは相当延長されると思いますし、少子高齢化も追い風になっています。
最近は平均寿命も延び、80歳くらいまで生きることが可能です。つまり、生涯で働いている40年間と、その前後をあわせた40年間は全く異質のものです。
そして後半の20年間は、数字的な年齢は高くなっても、体も心も非常に元気な場合が多いです。
よく、今の年齢はかつての7掛けや8掛けといわれます。つまり、70歳であれば、かつての49歳ということです。
ということは、少なくとも70歳まではピチピチした状態で働くことができます。サッカーで言う「ロスタイム」かもしれませんが、点数を入れることも可能なのです。人生というのが長くなり、退職後も新しい展開が可能となったのです。
少子高齢化というと、「労働力が不足する」「活力が無くなる」という議論になりがちですが、会社を辞めてから10年から15年、彼、そして彼女らは非常に質の良い労働力となります。そうなると当然一人当たりのGNPも上がります。今後絶対人口も減っていきますし、適正人口で質の高い人間がいることは、ハッピーな国だと言えませんか。
プラス思考で考えれば、少子高齢化は日本にとってラッキーですし、団塊の世代にとっては、とても有り難いことではないでしょうか。