「ゆとり教育」の疑問
今、揺り戻しが来て見直しが進められていますが、教育の現場では「ゆとり教育」が言われていました。これは、「学習者が詰め込みによる焦燥感を感じないよう、自身の多様な能力を伸長させることを目指す教育理念」で、これにより学習指導要領が改定され、授業時間の削減、学習内容の簡易化、完全週休二日制などが実施されてきました。
しかし、私はこれはとてもナンセンスなことだと思いますし、はじめから反対していました。
そもそも、シビアな人がホッと一息を着くための「ゆとり」という発想を小学生に対して導入することはおかしい。むしろ私は、もっと基礎をしっかりやれといっていたのですが。
結局、これにより失われた何年間があります。本当に怖いことです。
最近「理科離れ」といわれます。しかし、私が感じるのは、「離れるも何も、本質的に理科をやっていないではないか」ということです。「食わず嫌い」という言葉がありますが、まさにこれと同じではないでしょうか。
ちゃんとした料理を食べて「これは私の口に合わない」と判断するのであればいいのですが、ろくな料理を食べさせないで「好きではない」というのはどうかと思います。
小学校では、一通りのメニューを食べさせないといけないのです。そしてその中から「先生、私はこれが好き」「これはどうしてもあわない」と本人が感じ取ることが大事だと思うのです。
人間を製品のように機械的に品質管理をすれば、優れた人間になるという考えは間違いです。人間には個性や感情があり、好きなことなら苦に感じずにとことんやり遂げるという素晴らしい特性を持っています。そういう特性を伸ばすことが、本来の教育ですよね。
これがあった上での「ゆとり」だと思うのです。学校で学んだものについて、少しでも興味が持てれば、自分で図書館に行ったり、関連する本で勉強もできる。
私の場合は、もともと理科が好きでした。そして学校の教科書だけでは物足りなくなり、本を読んだり、模型の本を買って自分で飛行機を組み立てたりしていました。さらに、当時は各クラスに数名のインターン(師範学校の学生)がいましたので、その先生が色々と教えてくれたのです。
音楽の先生はピアノや歌を、理科の先生は様々な実験を、歴史の先生は歴史を、と自分が関心を持った分野の先生の所に行けば、色々と教えてくれたのです。このような出会いから学んでいくことが大事で、「これをやらないと大学には入れない」というような押しつけは、根本的にその子供がかわいそうです。
音楽に関心を高めた私の同級生は、その後も音楽の道を進み、現在もピアノの先生となっています。
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